<ご報告>お疲れ様でした。「紙芝居風・711系様」 | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

*はじめに

「711系電車様」は在来線では、我が国初の交流専用車として、
昭和43(1968)年8月28日、
小樽ー滝川間
の新設交流電化区間に就役なさいました。

当初は小樽ー旭川間開業を予定しておりました。
しかし、当時は、函館線の北端、深川ー旭川間の中でも
「深川北方の神居古潭渓流」の前後が、地盤が悪く
難所として知られており、単線のまま残っておりました。
「ぢゃ、どーせだったら、そこんとこ、カムイコタン、突っ切って
チョーダイとんねる掘って、別線・複線にするべ!
さわらぬ神にたたりなしっつーべ!!」
と話は決まったので・・・と思います・・・たぶん・・・。

予想されていたこととはいえ、新線の隧道部は難工事の連続となり
とりわけ、神居古潭トンネルの出水のコントロールに悩まされ続けたと
うかがっております。

それでも、滝川ー旭川間は1年遅れての開業となり、ここに晴れて、
所期の目的、小樽ー旭川間複線電化が完成したので
ありました。
(自分で読んでいても古臭いブンショーだな・・・ならやめろや!!)

その711系様もこのたび、寄る年波には勝てず
(人間で申しますと、90歳すぎでしょうか?・・・・すいません・・・)、
平成27(2015)年3月13日・・・
  13日の金曜日だったね!!(関係ないと思うよ・・・)
全廃となりました。

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昭和48(1973)年、夏、小樽。月日不明
*在りし日の711系様のお元気なお姿を、皆様にご供覧
   していただけます、我が家に現存する最古のお写真でございます。

<写真ー1>

小樽駅1番ホーム(当時、現・4番ホーム)で
お休み中の711系様(旧塗装=新製時塗装)。


<写真ー1>
この日、私高校2年で、なぜか高校1年の時のクラス会をやろうということになりました。
クラス替えをして4ヵ月しかたっていないのにと思っていますと、
高1の担任が、小樽⇒夕張⇒札幌と転勤していらした方で、
「どうせ、クラス会をするなら小樽がいーな!!」
と鶴の一声できまったとか・・・
小樽駅集合ののち、市立祝津水族館で、「カブトガニ君」をひっくり返して
どーやって元に戻るかなど見て遊びました。
「カブトガニ君」裏から見ると、確かに「クモ」のご先祖様と思っちゃいますね・・・
エイリアンのモデルでも通るかも・・・

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*張碓ハリウスのこと

<へぼ絵>新塗装で張碓海岸を走る711系様、右は恵比須島
   
[Staedtler水彩色鉛筆。pilot hi-tec gel pen,4mm,ぺんてる修正液]
実際車輌はこんなに大きく見えません。私の虚構です。

ところで、張碓海岸一帯は、
防波堤の下にはさしたる岩場・砂地なりがなく、まったく「海水浴場」
としての体裁にも欠けるこの駅の存在意義を大変不思議に思って
おりましたが(ってさぁ、国鉄さんが「海水浴ならハリウス」ってPR
してなかったぢゃん。そこで、ハリウスは海水浴場のための駅っぢゃ
ないってことに気づかないと・・・それって後出しじゃんけんだと思う)

「交通新聞社新書」の中に、
{当駅は鉄道技術が未熟だった時代に、札樽間の「保線の駅」として活躍していた}
と書かれてあると、
ハンドルネーム「警部様」からご教示頂きました。

ありがとうございました。改めてお礼申しあげます。
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*快速仕業の話
古くは、江別ー札幌、札幌ー手稲の区間快速を各々
いしかりライナー、マリンライナー
と称しておりましたが
現在は、両方とも「いしかりライナー」となって、
<ドッチほーこー行く快速>だべか?ということに
なってしまいました。

過去に「江別ー札幌ー手稲」間快速といった強力快速便を
作った際に、ニックネームのつけようがなく、
「ぢゃ、この際、全部いしかりライナーにすべ」
ってなことになったかどーか・・・私は存じ上げません。
小樽方面に向かう快速も<いしかりライナー>にホーカツ」して
しまったことについては、
小樽市は後志管内なのに、えらいメーワクな話だべ、と
お怒りの方もさぞやおいでのことと思います。

心機一転のJR北海道様にはこの辺のネーミングを吟味して
していただきませんと、いずれ小樽ホーメンから
「快速一揆」がおこって・・・(その辺でやめておいたホーが
イーと思うよ・・・)

今でこそ、711系様は「快速便」の仕業に入ることはなくなりましたが、
就役当時は、区間快速はもちろん、空港快速エアポート仕業も
ありました。

現在、後継の721-733系の起動加速度は2.2km/hr/secで
ありますが、711系様は半分の1.1km/hr/sec。
最高設計速度110km/hrと、はっきり申しまして、
後の世代の車に比べ、とーぜんのごとく鈍足であります。

しかし、出場時には、わずかながらSL牽引列車が残っており、
他ディーゼルカーが多数いる中で、この性能は「ダントツの俊足」でありました。
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・・・ダントツといえばやはりあの話題でショー。
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*人呼んで<「超」急行さちかぜ>のこと
 別にどなたがネーミングしたか?とゆーことにはキョーミがありませんが、
「この便は小樽ー(快速)ー札幌ー(急行ー)旭川」と走りまして、
 小樽ー札幌間快速(停車駅は小樽ー南小樽ー手稲ー琴似ー札幌)
 +
 札幌ー旭川間急行かむいに、
昭和46(1971)年7月1日改正で、「ノンストップ便」を設定し、
  特別に「さちかぜ」とネーミングいたしました。

 いかにも 何物にもとらわれぬ走りっぷりをホーフツとさせる ”颯爽”たる センスが
 横溢している愛称ではありませんか!!
 しかも、誰とはなしにあとからつけられた ”超”急行 という種別も洒脱であります
 (え!?正式列車種別ぢゃないの??・・・だそーです)。

 両駅間表定速度は札幌・旭川間136.8kmを1時間46分で走破、
 85.5km/hr(◆)でありました
。(その後、余裕時間がふえ昭和47年は
 1時間47分、48年には1時間48分となっていました)。
 さちかぜ運転開始当時の電車急行快速No1は「仙台→青森間急行:
 くりこま1号の81.6km/hr
でしたが、こちらはノンストップでなかったから
 やっぱりベツモノだよね)。
 昭和57(1982)年11月15日、くりこま様は快速に転封・・・格下げとなりました。
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<写真2-1>
[特別出演:くりこま1号様、453系]
 
仙台駅発車07:00数分前⇒青森着11:49
昭和54(1979)年3月24日
TcMMcTsMMc-TcMMc ⇒青森方
太字は基本編成、斜字は多客期増結付属編成
私が乗車したときは9輌運転でした。
Ts:付随G車、Tc:制御車、Mc:電動制御車:
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<写真2-2>
[友情出演:チョーカンの仕分けをするキヨスクおばさん]
 
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 トコロデ、
  もともと「**かぜ」は「スピードの象徴」として「国鉄特急」の愛称に
 よく使われてまいりました。
 特急並みの活躍の期待を込められて名づけられたかと思われます。
 実際、「さちかぜ」自体2度目の登場であります(☆)。
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(◆)
・近鉄名阪甲特急
・こまち盛岡・秋田在来線平行区間のみ
・越後湯沢ー直江津間「超快速」
を含めた200の優等列車の中で
19位北斗5.15号の86.52km/hr,
20位カモメ49号長崎ー博多85.56km/hr
21位スーパーはくと倉吉ー京都85.4km/hr
22位サンライズ瀬戸東京ー高松85.1km/hrなどに匹敵
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◆「表定速度」のお話は下記サイト様を参考にさせていただきました
<2015年3月改正版 在来線主要列車の表定速度ランキング>様
http://2015.iijiman.com/
・136位までが60km/hrです。
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☆ブルートレイン製作前の昭和31(1956)年、東京対九州の寝台専用特急列車
第一号として「あさかぜ」が誕生しました。
第2号として、「東京・長崎特急、さちがぜ」が昭和32年登場しますが、あさかぜと
まぎらわしい!との理由で翌年「平和」にかえられています。
その「平和」も「響きが硬い」との理由で「さくら」に代えられました。
実は「あさかぜ」の愛称決定会議の席でも「夜行であさかぜはおかしーだろー」
といった声が多かったらしーのですが、ある人が
「いや、目的地に<あさかぜとともに到着>するのだ!!」
といって
満場一致で決まったというのですが、当時のスタッフの方々の熱心さが
伝わってくるような話でもあり、後世のつくり話でもよさそな話でもあります・・・
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<写真-3>
*ちゃっかり新製当時の塗装で出場の711系様

 
平成24年夏から行われた「北海道デスティネーションキャンペーン
(マスコットキャラクター:キュンちゃん・・・エゾシカではありませんよ!
ナキウサギですからね!!)開催前年の23年から赤2号+クリーム4号の
新製当時の塗装に復元された編成がありました


発車前の12:30発下り各駅停車「滝川行」
平成26(2014)年4月1日、岩見沢駅7番ホーム
 
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*711系様の車内設備
<写真4-1>クロスシートがズラリ
 「近郊形」ですから一応急行運用仕業に
つくことも考え、クロスシートをたくさん並べ
ロングシートは車端にちょこっとだけ・
この辺の考え方は「キハ22」によく似ています・
  
近郊形としてはシートピッチを初めて
従来の1400⇒1470mmへ。
平成26(2014)年8月4日、
滝川発岩見沢行各駅停車2228M車内
☆本来学生さんの下校時間で満杯ですが、夏休み中でがら空きでした。
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  <写真4-2>車端部のロングシート
しかし、どこのJR社でも同じ道をたどりましょーか?
「第一線を外れた優等列車用客車・電車」の
車端部のロングシート長は拡大されて、通勤用に
もう一働き・・・
  
平成26(2014)年10月14日、
旭川発岩見沢行各駅停車2158M車内
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<写真4-3>段差が結構きついですね・・・
古い時代の車輌ですから
  
平成26(2014)年10月14日、
旭川発岩見沢行各駅停車2158M車内
##########################################
<写真4-4>近郊形といっても北海道では
2扉デッキ付です。
 
 
 これはTc-M-Tcユニットの北側・旭川方のTc。
南の小樽方Tcには、トイレ・洗面の設備があり
デッキと運転席の中間にありました。
平成26(2014)年10月27日、
滝川発岩見沢行各駅停車2228M
終点・岩見沢駅3番ホーム到着直後
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 *美唄駅パラパラ漫画<写真5-1・・・5>
平成26(2014)年12月1日
岩見沢15:27発旭川行き2199M各停
美唄駅進入(美唄発15:45)
  
  
1 15:43:14
2 15:43:39
3 15:43:44
4 15:43:47
5 15:43:49 ゴオォォーーーーる!!(次行こ) 
**********************************************:
<写真ー6-1>雪が降って・・・
 
 デフレ・・・テブレがひどくてスイマセン・・・  
こーゆー日の、クハの正面運転席が雪だるまのようになって
いるのにも驚かされますが、写真にご覧いただける、後ろの
クハは、走るときに巻き上げて?まいあがった?雪がフロント
についてこちらも雪だるまのようになり時々驚かされます。
平成26(2014)年12月10日、
滝川発岩見沢行各駅停車2228M
終点・岩見沢駅3番ホーム到着直後
####################################
<写真ー6-Ⅱ>嵐が去って・・・
 
大まかなところは、サッサと機械力で除雪しますが、ポイント、信号ラインなど
デリケートな保守点検の最後の仕上げはやはり人海戦術です。
平成27(2015)年1月5日(月曜日)、09:30、岩見沢駅7番ホームの西側の
ヤード(岩見沢運転所に通じる連絡路兼用)の点検作業風景。
1月3,4日札幌ー岩見沢地方は暴風雪でした。
 
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<写真ー7ー1&2>最晩年のお仕事
 <写真4-4>の使い廻・・・再掲です。
 結局、ローカルの通勤・通学用電車になってしまう、と
 ゆーことでしょうか?

 平成26(2014)年10月27日、
 滝川発岩見沢行各駅停車2228M
終点・岩見沢駅3番ホーム到着直後
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上の写真のサイドビューです。奥が札幌方。
  
  ◎ここで提案ですが、どーせ?と言っては失礼ですが
  財政的に苦しいのであれば、711系様M車のモータを下して
  内外特別修繕し、721系君の2輌M車が入った3輌ユニットに
  入れて2M2Tを組めば混雑もだいぶ良くなったと思うのですが・・・
     平成26(2014)年7月30日、
     滝川発岩見沢行各駅停車2228M
     終点・岩見沢駅3番ホーム到着直後
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<写真ー8ー1&2>・・・<写真ー7-1&2>とまったく同じです・・・
 *・・・そして「711系様、2015.3,13でお役御免となる」の情報が
    イヨイヨ真実味を帯びて・・・

週がが変わって
今まで「美唄16:03発各駅停車岩見沢行き」というとこの↓711系様
のトリオでしたが、
(またまたオーチャクして上の写真とまったく同じであります.
撮影日は省略させていただきました)。

  
 

 
 
要するに上の二葉が下の二葉に世代交代したわけであります
#############################################
<写真ー8-3&4>
平成27(2015)年3月15日、美唄16:03発各駅停車岩見沢行きがやってきました。
あらま、やっぱりやってきたのは711系様ではなく、721系君たち・・・
 

上の屋根のようなものは、美唄駅橋上駅舎の1-3番ホームの跨線橋。
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そして、岩見沢到着後のサイドビュー。
 
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 <写真8-5>
 翌日もムダに遅くまで待ってみたけどやっぱり来なかった・・・

   平成27(2015)年 3月19日、美唄駅にて、橋上駅舎の1-3番ホームの跨線橋から
  旭川発各駅停車2240M岩見沢行(美唄17:35発)721系電車3連を見送る
  ホームの跨線橋:<写真8-3&4>で721系君に覆いかぶさるように頭の上に
   あった通路から撮影
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 <写真8-6>平成27(2015)年3月22日10:23撮影 そー、くるわけなかったネ・・・

岩見沢駅で、10:24発L特急、Sカムイ11号(札幌10:00始発)乗車のため
同駅下り専用ホーム6/7番線に跨線橋の最上段から降りようとしたところ、
階段の横壁の窓から、岩見沢運転所◆と思われる場所に、
退役された多数の711系様たちが休んでおられたのを偶然見ることができました。

◆ 岩見沢運転所
 駅構内一番西側7番線のさらにズーーーッと西側にあります。
 51系客車が廃車となって以来、旅客車の配属はなく、現在「チキ・タキ・ホキ車」56輌が所属
   しています。
 開設は明治24(1891)年、北海道炭礦鉄道機関庫の開所に始まります。7月でソーギョー114年。
 ・昭和43(1968)年、函館線電化で第二機関区を新設し、ELとDLを管理、今までの機関区を「第一」と
     呼称変更SLを掌握しました。
 ・昭和51年、無煙化達成し、岩一の掌握機関車がなくなったため(SL機関区だったので)乗務員区
    として存続。
 ・昭和61年、岩一と岩見沢客貨車区を統合、岩見沢運転区となり、岩二は岩見沢機関区となる。
 ・昭和62年、岩見沢機関区を空知運転区と改称、この年4月国鉄からJRに分社化。
 ・平成2(1990)年、空知運転区を空知運転所に改称する。
  •  ・平成6年、空知運転所が廃止となる。
  •  ・平成17年、追分駅運転部門を当所に移管
      Wikipedia、岩見沢運転所を参考にいたしました。
       http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E8%A6%8B%E6%B2%A2%E9%81%8B%E8%BB%A2%E6%89%80

  •  ・・・バイバイ・・・お疲れ様でした・・・

       711系電車かく戰へり・・・了

    <編集後記・・・というより一人反省会と愚痴>
    最後までお付き合いくださった方、いつもいつもありがとうございます。
    引退物の発表記事としては、完全に時期を失したものとなってしまいました。
    理由はいくつかありますが、最大の物は、書き手が引退日を知ったのが
    当日の地元紙のチョーカンで・・・といったのんびりした身構え。
    おまけに、週が明けて、月曜日から行われていた職場の外注のワックスがけに
    今年はひどく反応、アレルギー性鼻炎に喘息をハツビョー、3日ほど
    廃人のよーにと申しますか、少し良くなった後も、人様がご覧になったら1週ほど
    「マンボウ」か「エチゼンクラゲ」のような動きをしていたと思います。
    で、記事を書く気力が暫く出ませんでした。
    それから、
    485-1500ノンストップ・いしかりの所要時間がさちかぜに1分及ばなかったはずだと
    調べものをして、それだけで2日費やして、全体は全然進まなかったり
    (結局見つけられませんでした・・・)ナニ、やってたんでしょーね?

    病気が治るのが遅くなったと自分で感じるキョーコノゴロ・・・
    年を取るってこういうことなんですね・・・「ジッカン!!」

     カラスのクンセイ 拝