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今回は「羊蹄」余市到着から再スタートであります。
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乗務員、(札幌から)長万部まで
運転士:秋田谷、苗穂運転所[札ナホ]
車掌:厚谷、蠣崎、札幌車掌所
3号車アテンダント:南部、札幌車掌所
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途中駅から御乗車のお客様、3号車のサロン・カーでお食事の用意ができております。
恐れ入りますがお運びください。
また、申し訳ありませんが、余市でお降りのお客様、
小樽の厳選四種の駅弁から1種を選んでお持ち帰りください。
●海の輝き(ウニ、いくら、ししゃもの卵
●北海手綱(いくら、カニ、鮭)
●おたる特製かにめし
●かきめし弁当
そして、小沢、倶知安でお降りの御予定のお客様。
小樽の弁当でいい、とお考えの方もいらっしゃいましょうし、コース料理半分でも
食べていくぞ、と、
お考えの方もおいでになりましょう。
どちらもご用意できます。
車掌にお申しつけるか、3号車の方においでになり、お伝えください。
余市到着までとさせていただきます。
%%%%%%%%%%%%%% MENU %%%%%%%%%<詳細前回分栄光区間1/3ご覧ください>%%%%%
・食前酒
・グラン・アントレ 旬の野菜
・本日のスープ 朝もぎアスパラ・ポタージュ
・アントレ カルパッチョ & マリネ
・肉料理 または 魚料理
・黒松内のパン工房から
・[コーヒー/紅茶 と 小菓子]/「プレミアム・ソフトクリーム」
※酒類:別途料金
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次は余市でございます。
お出口左。2番ホームにつきます。
今、朝のNHK連続ドラマの舞台の中心が余市になろうとしておりますね。
この町、江戸期より明治初期にはニシン漁で、明治になりまして、本邦では初めて
\間人で初めてリンゴ栽培に成功、ウィスキーの創業と話題豊富な話題の町でありました。
もともとアイヌ語地名「i-ot-i,イオチ」が元になっているといわれている地名です。
ところが、アイヌ語を始めとして、二重母音が嫌われる言語形態が多いといわれておりまして(☆)
アイヌの人たちは途中に「y音」をいれ二重母音を回避(i-y-ot-i,イヨチ)され、さらに和人が入植した際
「よいち」と言い習わされて、「余市」の表記となりましたが、もともとの[それらが(マムシのことらしい)
群棲するところ]という意味合いはまるでわからなくなりました。
☆日本語も二重母音を嫌う言語のようです。
ex)西馬音内:秋田県、nishi-uma-oto-nai⇒実際の発音は「にしもない」(羽後交通雄勝線)
灯台笹:石川県、tou-dai-shino⇒実際は「とだしの」(北陸鉄道能美線)
見老津:和歌山県、mi-rou-du(tsu)⇒実際は「みろづ」 (JR紀勢線) etc
現在も、ブドウ、リンゴ、なしの収穫量は道内1位ですし、漁業もニシンの群来(くき:魚が空の色を
変えんばかりの大群で岸辺まで押し寄せること)は昭和29(1954)年を最後に来なくなりましたが、
近年はさくらえびなど高級食材が水揚げされます。
今、余市で話題のウィスキーですが、昭和9(1933)年、「大日本果汁株式会社」から初出荷されて
おりますが、「大日本果汁株式会社」⇒「日果」⇒「Nikka」と変わってきたものでございます。
そして、<余市町ご出身>日本人初の、「NASA宇宙飛行士・毛利衛<まもる>氏」をたたえて作られた
「余市宇宙記念館」は現在「道の駅」の中核施設となっておりまして、 当時のコスチュームの陳列他
宇宙食の販売、宇宙ステーションの生活空間のレイアント、ベッド/トイレなどをご覧いただけます。
宇宙食は500円で、人気商品は、1番、タコ焼き、次がアイスクリームの順だそうです。
余市停車でございます。
徒歩では30分ということでしたので、駅前にジャンボタクシーをご用意させていただきました。
お弁当を忘れずに。
いってらっしゃいませ。
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<図ー13>当列車の小樽ー倶知安間時刻表(予定)

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<図ー14 小樽ー倶知安 「羊蹄」単独区間、運転経路>
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次の仁木は、明治12(1879)年、付近の開拓に携わった仁木さんのお名前に名をお借りして町名といたしました。
町は果樹園中心の仁木地区、米作の大江地区とわかれておりますが、果樹栽培では、余市に引けを
取らないほど有名でございます。
駅は対向式2線の配線でしたが、昭和61(1986)年、交換設備撤去しております。
続いて、然別は、その昔、北海道鉄道時代にゴールドラッシュでわいたこともあるそうでして、その頃は
急行停車駅で、駅弁の立ち売りもあったそうでございます。
ところが、その私鉄時代は5年ほどしかなく、わたしが調べました資料には優等列車が停まった時期は
今のところ見つけられておりません
確かに然別・大江鉱山は非鉄金属鉱山として、明治23(1890)年から昭和59(1984)年までの間の
ほぼ100年という長い歴史がありましたから、そういった時代もあって、私の調べ方が足りないのでしょう。
当時の繁栄時代の名残でしょうか、当駅の発着便が1本ずつございます。
次の銀山は内陸の「赤井川村」の鉱山からの鉱石運び出し駅でした。対向2線構内でしたが、昭和61(1986)年、
交換設備撤去しております、しかし。昭和63年、交換設備が奇跡的に復活いたしました。
もし銀山に交換設備がなければ、20.5kmを1閉塞で運行する不便さを考えての交換設備復活と思われます。
余市ーX仁木ー然別:8.5km(で仁木は交換設備復活せず)、然別ーX銀山ー小沢:20.5km
そういった点では、平成12(2000)年の有珠山噴火の折、目名に交換を復活させました。
これがありませんと(また次の区間ですいません)、
熱郛ー(15.4km)ーX目名ー(7.6km)ー蘭越は23.6kmが1閉塞
一見熱郛ー目名間もきついのですが、以前はこの間に「上目名」があって7.2+8.2kmにわけておりました。
まだまだ、交換設備撤去によって、20km~1閉塞になってしまった、黒松内ー長万部(二股、蕨岱駅の
交換設備を撤去)間などありますが、新幹線が通れば、交換設備復活ということは絶望的でしょう。
※ここでもまた次の区間に、めり込みましての御説明不足で失礼申し上げました:
後少々で小沢でございます。
小沢から昭和60(1985)年まで、日本海沿岸の町岩内まで岩内線が延びておりました。
また、ローカル準急(後急行に格上げ)が札幌ー岩内・蘭越・目名・上目名(函館本線側は時刻表改正で
終点も変わりました)へと走っておりました。使用車両は主として「キハ22-2連+岩内線用単行」の
3輌編成が多かったように思います。
そして、準急・急行運転は倶知安までで、倶知安から函館寄りと岩内線内・小沢ー岩内は各駅停車でありました。
その後「山線」の合理化が進むにつれて、
函館線ローカル急行は昭和59年2月で廃止とされ、岩内線は一足早く昭和55年できえました。
この後、昭和61年札幌ー小樽ー函館急行の「ニセコ」が廃止となっております。
●小樽ー倶知安 (59.2km)所要時間ー本当に今の車はよくなりました
ローカル準急[余市・小沢のみ停車](昭和39夏)59分 180PS/輌
201系ディーゼル車各駅停車(現代)64分 900PS/輌
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<図-15>ただのヤジウマです!
C62の定期運用がなくなった翌年、札幌市内のデパートで展示会があったので行ってきました。
高一の夏休み(1972年の夏)のようです。

三重連のお別れ運転をモチーフにした展示会の入場券。
このころラーメン1杯150円だったんですよ!!!・・・つぎいこーぜー!!!
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①運転整備重量②動輪周出力③ ②/① ④ 設計最高速度
◆C62①145.17②1620PS③11.2PS/ton④100km/hr
◆DD51①84.0②エンジン単体のみ1100PSx2⇒周出力1540PS③18.3PS/ton④95km/hr
◆DF200①96ton②2610⇒2071PS(79.6%)③21.5PS/ton④110km/hr
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□始めDF200の重連運転をしぶっていたJR貨物北海道も、ごく稀に行うように
なりましたし、JR九州では7000番台が、例の「ななつぼし」の牽引に当たっています。
長年王座にいたDD51の時代もようやく終わりを告げようとしています。
お疲れさまでした。
定格出力の差がDF200はDD51の1.5倍だというのですから、やはりDD51の出番は
ないようです。
北海道では、かつて、C62引退劇のころDD51はまだまだ元気でしたから、小樽ー倶知安
ー長万部の線区に、C62不調の時は、ピンチヒッターでDD51の重連が先頭に立つことが
ありました。
目名あたりでカメラを構えていた、本州からの「撮り鉄さん」たちから、この「奇襲攻撃」に思わず
「赤豚が攻めてきたぞー!!」と大声を出してお互いに知らせあったとか・・・
なんせ、まだ、ケータイなど夢のまた夢のころのお話でしたから・・・
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そして、昭和40年中ほどには流れてしまいましたが、岩内との合併話もありました。
岩内とは14km で、オトナリ倶知安の10kmより遠いくらいですが、明治期から文化的結び付が強く、
一部では家並みのつながりも見られます。倶知安の方が近いと申しましても、間に倶知安峠があり
文化的つながりは共和町各市街地、岩内町程強固ではありません。
こちらは、岩内に出る間、ほとんど平地であったことが、海岸に至るまでの文化的交流を強くしたの
でしょう。
鉄道開通以前に馬車鉄道が開業しておりましたのも、岩内ー小沢の結びつきの強さをあらわす
大事な事実かと思われます(#)。
加えて、国鉄未成線の中に、函館線のバイパスの役目をするはずだった「岩内線構想(既設の
岩内線+寿都鉄道の湯別ー黒松内間などの施設を利用)」や、先にお示しいたしました、
岩内町+共和村(現・町)の合併後、岩内市昇格計画など共和ー岩内を結び付ける話題には
枚挙にイトマがありません。
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(#)岩内馬車鉄道、岩内港ー小沢駅、762mm軌道、営業キロ;17.4km,、
営業期間:明治38-45(1905-1912)年、[省線開業で廃業]
省線岩内線:明治45年開業
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さて、その小沢駅についてですが、岩内線が現役だったころ、
構内の配線と申しますと、駅舎が建っておりますホーム、これが片式1面岩内線専用で、
札幌方から参りますと岩内にはスイッチバックして出ていかなくてはなりませんでした。
ですから、岩内線を函館線のこう配線緩和バイパス線として構築するのには、時間的ロスも
大きく、かなり無理があったのではないかと思われます。
そして、岩内線ホームから函館本線上下本線用島式2線のホームまでが跨線橋でつながれて
おりました。
現在は、駅舎があった(コンパクトな駅舎に改築されております)ホームの本線、他多数の
側線は取り払われ、島式ホームの2線の軌道のみが敷設されており、かつての峠の麓の
機関車の待機駅といった貫禄は、構内の広さにわずかな残影をとどめるのみになりました。
ただ、うれしいことに、駅前十字街の創業明治37(1904)年の末次商会さんが相変わらずの
盛業で、「トンネル餅」を販売し続けてくださっていることであります。
それから、岩内線廃止の保障として元々駅前からは「倶知安ー小沢ー岩内」という経路のバスが
ありましたが「小沢ー岩内間」がさらに増便されました。
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<図ー16>小沢駅前、末次商会さん「トンネル餅」

昭和56(1981)年8月1日撮影+直後に完食(秒殺)、400円
私は寿都町に住んで以来のお付き合いですからもう50年チョイに
なります。
昭和30年代後半当時は50円?100円??だったかなー
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小沢に停まります。
降り口右側です。
コース料理を召しあがらなかった方、お弁当は是非お持ち帰り下さい。
ワイス温泉には、小樽駅ーニセコ駅間の基幹の路線バスが函館線と平行に走っております。
途中、余市駅前、仁木役場、小沢、倶知安駅からとアクセスが可能でございます。
あと、10分で倶知安でございます。
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といったところですいませんがまた
CMをくださいませ。
御迷惑をおかけいたします。
倶知安!!少しじっくりやりましょう!!!
モーソーJR北街道のヤボー:羊蹄区間:「かつての栄光区間を行く:C62重連が去って30年2/3
了

