モーソーJR北街道のヤボー:たるまえ区間:「北海道・製紙工業の発祥地」を行く2/2 | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

え、間もなく、列車、虎杖浜に停車いたします。
お出口左側。
温泉は、列車の窓、左手にご覧いただけますよ。
こちらで下車の方も、苫小牧駅弁をどうぞ。

ところで、こちらの駅名の由来でございますが、え、「虎杖」はもともと2m以上に到達しようかという
「いたどり」と申す、え、大変背の高い草がありまして、蝦夷地入植当時、この近辺、海岸を埋め
尽くすほど群生していたそうであります。

今は、え、山沿いにわずか見られるだけとなってしまいました。
地名は、それを音読みにして「こじょうはま」としております。
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<図ーE>今回の走行範囲、苫小牧~東室蘭

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<表B’:北街道・製紙工業の発祥地を行く・・・「たるまえ」時刻表>

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虎杖浜到着でございます。

さて、え、次の登別駅は御隣でございます。まずトンネルの穴が4つ見えてまいりまして、い~え、
二つではございません、旧線の、単線用トンネルが複線分残っておりまして、え、両者が
接近しすぎたため、電化の際、拡幅困難ということで、海岸側に新しいトンネルを造ったので
ございます。
そのトンネルをでますと、列車は速度を落とし登別駅到着となるわけでございます。

登別は皆様ご存じのように、山側に登別温泉が控えてございます。
駅前から、路線バスで約15分といったところでございましょうか。
その温泉自体は、江戸時代から知られておりまして、明治になりますと本格的温泉宿が
建ち始め、保養地として急発展、観光地としても合わせて地位を確立いたしました。

現在も泉質は9種類(☆)、湧出量は1万ton/日と双方国内有数で、「にっぽんの温泉100選」
ひとつとなっております。

<(☆)11種類とするガイドブックもありますが、登別観光協会の表記「9種類」に従いました。>

温泉の湧出をじかにご覧いただけるエリアが登別温泉にはございまして、「地獄谷」と呼ばれる、
え、登別温泉でも1、2を争う人気スポットでございます。温泉街からわずかに山沿いに歩いて
いただきますと、日和山の噴火によって生じた、火口の跡が見えてまいりますが、
地表には小さな、火口、湧出孔があり、ガスと高温の温泉がフツフツと湧き出しており、命名した方の
センスにですね、カンドーいたしますですね。
なお、え、周囲は遊歩道で囲まれております。

今回登別で下車なさるご予定のない方も、一度はお立ち寄りください。
クマ牧場などの楽しいテーマパークもございますし、当地の紅葉はなかなかミモノでございますよ。
日帰りツアー、足湯コースも充実しておりますヨ。
さらに、付近一帯、支笏湖、洞爺湖、羊蹄山などなどとともに、昭和24(1949)年支笏洞爺国立公園に
指定されております広域大観光地の一角であります。

登別到着でございます。
お降りの方、苫小牧駅弁をお忘れならないよう。

降り口、左側、2番線到着でございます。
となり、3番線の更に左の海側に2本の側線がございます、
「団体臨」用留置線として敷設されたものであります。

次は、鉄の町、室蘭の入り口、東室蘭に停車いたします。

その前に、登別と、東室蘭の間に、当列車は通過いたしますが、幌別駅がございます。
まず、1番線、2番線の間があいてございますが、もともと、石狩炭田の石炭列車の石炭積み出しが
室蘭港から盛んに行われていたころ、中線がございました。
その中線を撤去した名残でございます。

またですね、え、この付近一帯、幌別村、そして時代が移って幌別町と申しておりましたが、
昭和36(1961)年、知名度優先で登別町に改称いたしました。そして昭和45(1970)年、登別市と
なりましたが、役所他官公庁の所在地に変化はなく幌別に存置されたままになっております。
付言いたしますと、幌別と、登別の合併は大正8(1919)年でありました。

それから、幌別地区の一番山側には、明治39(1906)年から昭和48(1973)年まで鉱山が
ございました。

今でも付近一帯が「鉱山町」と呼ばれていることでわずかに往時の姿を偲ばせます。

採掘期間中、まず、硫黄採取が大正末期からはじまり、引き続いて金、銀、銅と鉱脈が
見つかりまして、え、戦前の隆盛期のヤマの人口は幌別村の約20%を占めるに至りました。

戦後、硫黄の需要が増大し、昭和29(1954)年頃が鉱山の最盛期だったようでしたが、
昭和40(1965)年ころからは鉄の鉱脈に翳りが出て、さらに硫黄が、原油精製の脱硫装置の
設置義務で容易に入手可能となり、海外からも安価な硫黄が輸入されるに至り、需要が
下がり始めると、衰退の一途をたどり、昭和48(1973)年閉鉱となりました。
相前後して国内の硫黄鉱山はすべて閉山となっております。

それに伴って人口の流出はとどまることを知らず、鉱山小中学校も68年の歴史に幕を
下ろし廃校となったのであります。


続く、次の鷲別駅は機関区所在駅であります。
以前の駅は、機関区を挟むようにして、上下線ホームが、かなり離れておりましたが、平成8(1996)年、
旧・上り線ホーム(海側)を廃して、上下線を対向式ホームにまとめました。


さて、東室蘭駅が近づいてまいりました。
元々の駅名は「東輪西」でありますが、発音次第によっては、「東は、西」となり、紛らわしさを防ぐために
今の名前に変わりました(ホントにそーか?それだけか??)。

富国強兵を謳う国家に引きずられたのでしょうか?鉄道省は、明治37(1904)年につながった、
長万部ー倶知安ー小樽ー札幌間の山岳路線(最急こう配22.3‰=セノハチと同等)の輸送力に
明治末期ころから不安を感じておりました。

ひょっとして、北海道を巻き込んだ戦争がはじまった場合、本州からの補給が十分できるかどうかと・・・

実は、函館本線(当時は初代・北海道鉄道)敷設にも2案ありまして、え、函館⇒江差といったん
海岸線に出て小樽まで北上する案と、え、現在ルート案がございました。

海岸ルート案は、①山岳地帯が海岸線に迫っている個所少なからず、技術的に困難であること
②人口希薄地帯が広いこと③ロシア艦隊(当時の仮想敵国は帝政ロシア)の艦砲射撃にさらされる
危険大であることから現行ルートに決まったようであります。

ところが先ほど申しましたように、戦争が近代戦になりますと、どーしても旧・北海道鉄道線のみでは
補給路として心もとない・・・
さりとて、伊達紋別ー長万部間の海岸部は「静狩峠」を始めとして、峻嶮な岩山も多く、屹立した岩肌が
そのまま海中に没しているかのごとき海岸線も少なくありません。
それでも昭和3(1928)年なんとか長万部ー東室蘭間は開通いたしました(※)。

※長輪線:長万部ー輪西間鉄道。省線の公式名称は「ちょうりんせん or おさわせん」となっておりますが
             北街道人は「ながわせん」と読む人も少なくありません。
       長万部ー東室蘭ー岩見沢をまとめて「室蘭本線」と呼ぶようになったのは昭和16(1941)年の
       事であります。

東室蘭ー室蘭間鉄道が明治30(1897)年開通ですから、それから約30年後のことであります。

また、鉄のお話をさせていただきますと、いったん室蘭に決まりかけていた海軍鎮守府開設の話は、
より防御に向いている本州対岸の大湊地区に逃げて行ってしまいますが、え、
富国強兵の一環として、北海道炭鉱汽船、英国・アームストロング社並びにヴィガース社による合弁の
日本製鋼所工場の誘致が決まっており、本来これは海軍鎮守府とセットで室蘭に来る予定でした。
しかし、工場の準備までは、中断してまで大湊に持っていくわけにも行かなかったと見えまして、
え、明治41(1908)年、当初の予定通り、室蘭・日本製鋼所設立となりました。

同社は戦後、昭和25(1950)年、財産集中排除法に触れ、一時期富士製鉄・室蘭として新たな
スタートを切りました。
そして、同年起こった朝鮮戦争、終戦後の復興、昭和30年代の高度成長期における重厚長大
産業による大発展を受けまして、え、人口も1960年代には18万人をかなり越えて、道内4位の
町となったこともありました。
しかし、その後の構造不況などで、平成17(2005)年58年ぶりに人口10万人をわり、え、平成22年には
94000人まで、さらに、将来的見込みでは、平成37(2025)年には人口6万人台まで低下するといわれて
おります(☆)。

☆同時期の間、すなわち平成17-37年の間で道民の人口は540万⇒440万人まで減少すると
  試算されております。

では、室蘭の話題を、あと二つばかり・・・

日本で初めて防弾鋼板を作ったのは、大正13(1924)年、日本製鋼所の「商品名、ニセコ鋼(板)」で
あります。
はじめ、戦車用装甲鋼材に使われました。
国産初の主力戦車、89式軽戦車(後中戦車)は、制式化初期のころ、
戦車用装甲を作る専用施設が国内になく、室蘭から北九州に運び圧延鋼板にして、室蘭に戻して
熱処理を加えるなどして大阪工廠に納品。組み立てをしていました。
これで、年間生産台数は10台程度で、え。
原因は、近代戦力としての戦車の台数を早くそろえたかったのですが、えー、見切り発車のあまり、
専用施設がなく、
特に戦車装甲材のニセコ鋼に代表されるような高張力鋼の圧延ができる
工作機械が、北九州の「東海製鋼」にしかなかったというのが、製作効率が上がらなかった
最大の原因
かと思われます。

戦車を作りながら、工作機械の研究・製作はできなかったのか・・・と考えますれば、当時の
日本の科学力の懐の深さは、欧米諸国から比べれば幼稚で深みのないものだったのだろうなと
思います。

そして室蘭地区最後のお話です。
2012年10月から、節電のため、苫小牧ー東室蘭の普通列車の内燃化を実施いたしました。
その後の運用は、基本的にはディーゼルカー2連で、学生さんの登下校時には収容力不足で
(711形電車は1ユニット3連)列車が遅延することも多く、苦情が絶えないと伺っております。

こんな節電まで行っていて、地元北海道電力は、ちかぢか、電気料金を15%も値上げするので
ございますよ。

さあ、愚痴も出尽くしましたところで東室蘭、到着でございます。

お出口左、4番ホームでございます。
室蘭温泉ご利用の方、駅前にジャンボタクシーをご用意させていただきました。
それから、コース料理を召し上がっていらっしゃらないお客様、え、お弁当を忘れずに。

次は伊達政宗さんの御子孫が開拓されました、伊達紋別に停まります。
%%%%%%%%%%%%%% MENU %%%%%%%%%

・先付け

・造り

・煮物
  季節の野菜、シイタケ、えのきだけ、ザル豆腐のカレー鍋
 
・揚げ物
 エビのてんぷら、室蘭・追直(おいなおし)漁港水揚げ、
  秋野菜かき揚げ


・白老牛の網焼きサーロイン または 陶板とかまどのヒレ肉のゆっくり焼き
   もしくは

 千歳川遡上の鮭チャンチャン焼き

・ご飯:「ななつぼし」
  または

 道産小麦パン5種
  **雪印メグミルク札幌工場当日製造バター&沼ノ端はすかっぷジャム添え

・デザート
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モーソーJR北街道のヤボー:たるまえ区間:「北海道・製紙工業の発祥地」を行く2/2



次回は<かつてのメインルートを行く(仮題)>の予定です
・・・・誰が決めたの?・・・・さぁ??・・・
いきなり<山線>に舞台を移動?
このまま長万部まで一気に行こうよ!!

というわけで次回は
<北街道の湘南か?断崖絶壁の遭難か?温暖だが難所の連続・・・>
(仮題)の予定です。


でも、食事の対比がボケてしまうよ!!
ウーン、困ったね~・・・

すいません、次回、未定です・・・