餃子中毒も歩けば餃子屋に当たる・・・ | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

私は自他共に認める餃子中毒である。


しかし、最近単身赴任が長くなったので、自宅で、ニョーボと一緒に餃子を包んだり焼いたりすることも
なくなった。

道すがら、餃子屋が目に付いたので、入ってみた。
7-8人も座れば満席となるような、カウンターだけの小さな店。無愛想なおやじ・・・。

「チューモン、きまった?」
「ギョーザ、二人前!」
「お客さん、大丈夫か?うちの餃子そーとーデカイね。」
「自信あるさ。」

確かに!!
出てきた餃子の大きさは、1つが片手ほどの大きさ、6個で1人前だそうだ。

「????」
「お客さん、顔色あまりさえないから、とりあえず1人前だけ出してみた。」
「ありがとう。
御主人、なかなか鋭いね。」
「心配事か?」
「これ以上話をすると、ご主人の、仕事の邪魔になります。
お、でもこれはウマイ!!
御主人も何か特別に入れてくれたんだね?」

「お客さんこそ鋭いね。
お客さん。日本のとてもえらい軍人さんだね?
新聞でこの前見た。
今の戦争、ぜひ勝ってほしい。

ところで、一人前食べてその顔色、もう一人前行けるね?」

ところが、どうしたことか、一皿目をあれほどゴキケンで平らげていた私だが
二皿目は、一つ一つ食べるごとに胸が悪くなり、最後には吐いてしまった。

電話がなって目が覚めた。
副官からの報告であった。

「閣下。
第3回目旅順総攻撃中であります。
中村 覺(さとる)少将 率いる「白襷(しろたすき)隊」は、中村閣下御自身を始め多数の死傷者を出し
「二竜山堡塁」の奪取には成功しませんでした。」

そうかと短く返事をして私は、受話器を置いた。

夢の中の「餃子」は私の部隊の将兵、ひとりひとりであり、
はじめ、旨く感じたのは、彼らの頼もしい姿を思い浮かべて、満足してのことか?
吐き気、嘔吐はその頼りがいのある部下が、散ってゆくのを感じ取っていたのか?


私は、今次の攻城戦で多くの将兵を死なせてしまい、お上(明治天皇)に合わせる顔などもはやない。
「おい、副官。
いまから、2個大隊歩兵を集めろ。
明朝、〇六〇〇を期し、相手陣地に突っ込んでひと泡吹かせてやうかと思うてな。

乃木希典、お上と御国へ最後の御奉公じゃ!!」


 **第3軍 編成序列:明治37(1904)年5月29日発令**
 ☆軍司令官 乃木希典大将(6/6中将から進級)
 ☆軍参謀長 伊地知幸介少将
  ●第1師団 師団長 土屋光春中将
  ●第11師団 師団長 伏見宮貞愛親王中将⇒松村務本中将
   ○攻城砲兵司令部 司令官 豊島陽蔵少将
     ◆野戦重砲兵聯隊 聯隊長 酒井甲子郎中佐
     ◆海軍野戦重砲隊 指揮官 黒田悌次郎(海軍中佐)
  ●第9師団 師団長 大島久直中将 (6/30増派発令)
   ○後備歩兵第一旅団 旅団長 友安治延少将 (同上)
   ○後備歩兵第四旅団 旅団長 竹内正策少将 (同上)
   ○野戦砲兵第二旅団 旅団長 大迫尚道少将 (同上)
  ●第7師団 師団長 大迫尚敏中将 (11/11増派発令)

                *参考:Wikipedia-日露戦争、第3軍戦闘序列

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 最後に投入された、第7師団(旭川部隊)は、203(高地陣地)の公約数なので、
「割ってくれる=打ち破ってくれる」とゆー話が当時まことしやかに流布しました。
実際、その通りになりましたが・・・


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餃子中毒も歩けば餃子屋に当たる・・・了


今度は何にしましょうか?