墓を移す ふぁいなる | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

残り少ない余生をテキトーにいきていくブログ
◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

「もー何を言ってもだめそうね。降参するわ。
私は死人です。でもどこから気づいたの?」
************
「◎◎交通の始発のバス停から。」
「ウソでしょ!!」
「だって影はないし、二人でしゃべっているのに◎◎交通の運転手からは
<一人で何ごちゃごちゃやってんだ>
ていわれたし。そこまで言われればすぐわかりますよ。」


「でも<芙蓉四十停留所>が結界円の外縁ということや、床屋のおやじさんが、
通過する人間の
<性格の良し悪しの判定を下す>試験官かもしれない、という推理は
お見事だったわね。」

「Y子さん、俺、床屋に入るのとめたけど、オレをそのまま終点まで行かせる
つもりだったの?」


「まさか、帰ってもらうつもりだったわ、墓石なんて、モー、ドーでも、よかったのよ。
身内からこれ以上犠牲者を出したくなかったし。」
「伯父さんは?」
「精神を病んで入院中よ。」
「人に電話掛けたりできる?」
「人と会話もできないわ。恐怖体験で。どうして?」
「今度はこちら側の秘密にさせてもらいます(となるとはじめの電話の主は一人しか
ないか・・・)
いや、それにしても<俺に電話をかけてきたのはホントに伯父さんか?>とたずねた
Pさんは鋭すぎる!!俺は全然気がつかなかったのにね!!」


「Y子さんねぇえ~え。私の両親はそれぞれぞれの兄弟の末っ子でさー。」
「なによ、いきなり。」
「人の話は最後まで聞くこと!!」
「はいはい。」
「昔話もしたいって言ったでしょ。
そんで、そのせいか、おれ、父方でも、母方でもいとこの中で一番年下でした。
Y子さん覚えているかな?俺小2の春休み、Y子さんたちの家に遊びに行って、
<フキノトー>摘んで、アレルギーで、目が腫れてあかないくらいになって、
ぜんそくも
出て、当時もう高校生だったY子さんの一番上のQ姉さんが寝ずの看病してくれて、
Y子さんもおきていてくれた。

そのときこんな人がお嫁さんになってくれないかなーと思った。」
「ませた人ねー。」


「それでお願いがあるんですが、停留所の前まで手をつないで歩いてもらえませんか?」
「だって、私は、この中で豹変するかもしれないと言ったのはあなたじゃないの。」
「<ちょっと前[Y子でーす]といった表情>。昔のあのY子さんそのものだった。」
「そんなのって覚えていられるわけないでしょ!!」
「そーかな?」
と言って、当時の本家の家の間取りを書いて見せた。約50年前に1度訪ねたきりの家だ。
「呆れた。どーして?」
「キョーミのあることなら、一度見たことでも、4-50年は覚えていられるんです。
だからフェチだってよく言われるけれど・・・・みんな忘れてしまったことが自分だけ
知識・記憶として定着していることがよくあります。きっとそのせいでしょ。
細かいことを覚えていると思われているのは。フェチでもなんでもないんだ!!」

「ぢゃ、私もあなたのことどうして<兄貴分>として扱っているか教えてあげるわ。
初めて会ったとき、あなたのほうが年上だと思ったの。」
「幼稚園児のときからふけ顔でしたからね。」
「人の話は最後まで聞くこと!!」
「はいはい。」


「私の解けなくて困っていた、春休みの算数の宿題をあっという間にといてくれた。
それも、解き方も伝授しながら、手とり、足とり、そのアレルギーがひどかった日だと思うわ。
春休みの分の算数の宿題、一晩で解いてくれたのよ!!
おまけに、最後の最後で、最後のページに大きく鼻水たらして、もー、あははは・・・。
自分は女ばかりの4姉妹の末っ子だったから、こんな頼もしい兄貴がいたらって思ったの。
だから、あなたは、私にとって兄貴分なの!」

「あー。」

「なにが?」

「アレルギーがひどい日って、100%徹夜は無理なんです。どーしてあの日起きて
いられたか、やっと記憶の糸が繋がった・・・」
「案外つめたいのね。」
「頭がボーとして、それどこでないです。
でも確か・・・・あー問題も10題くらいなら思い出せるかも・・・」
といって地面に当時の宿題を書き始めた。
「当たっているけどある意味気味悪い人ね・・・」
「なんとでも言ってくださいって。
人には得手不得手があります。
Y子さんが多少できない問題があっても不思議ではないでしょ?」

「ちょっと、あなたのほうが学年一つ下だということを忘れないで。
そのおまじないのような解き方を教えてもらって、中学3年ころまでは数学で苦労したことは
なかったわ。
ほんとにいつお礼を言おうかと思っていたけど、それがまさかこんな所になるなんてね。」

「じゃ、ますます、<昔々、こんな人がいーなーと思った人+算数のアルバイト代>として
最後のお別れに、手を握らせてもらいたいのです。」

「わたしの手冷たいよ、きっと。」
「グチャグチャ言わない!!」


私はまんまとY子の手を握って停留所の前までやってきた。
「ありがとー。
満足しました。」
「つめたくなかったの?」
「50年ぶりでお嫁さん候補になっていたかもしれない人と歩いて感激です。
それからY子さんは今のところ私に敵意がないことが分かっただけでも収穫でした。」
「そんなことわかるわけないじゃない。」
「ふふふ。」
「やーねー、時々気持ち悪くなる人ね。ほんとに。」
「だからほっといてくださいって!!
今私が握っていた右手で、自分の左手を触って御覧なさい。」
「あ!!」
「ね!、あいていた左手の方があったかかったでしょ?緊張していなかった証拠だと
思うんだ。」
「こんなことって・・・」
「自分は大学の時、母方の祖母が亡くなりましたが、冬場で・・・その祖母の右手を握ったら
あまりにも冷たくて・・・さすっているうちに左手のほうが余計にあたたかくなりました。
この話はまだ身内のだれにも話をしていません。
きっと誰も信じてくれそうもないんで・・・」


「さて、今から私、自分用に盛り塩で結界を作ります。
お清めの塩なので、御嫌でしたら、ここでおわかれしましょう。
今日、子供時代に戻ったようでとても楽しかった。
ありがとう!!」


「リュックの中全部塩なの?」
「そーですよ。<♪は◎□か▼たの塩>(伏字になってないよ)です。」
「そーね、私も、からだが困るかもしれないから消えます。」
「私も生きて帰れたら御本家に御焼香に上がります。」
「生きて帰ってちょうだい、絶対よ!さよなら!!」


私はまず自分の体に合った長方形を描き、その長方形の頂点が内接する円とそれより
わずかに大きな円の2重円を書いた。
さらに6棘の先端が、外円の内側に接する六茫星を書き終了とした。
ちょっと歪んでるけど、ま、いーべや・・・疲れた、寝る・・・ZZZ・・・


3時を回っていた
雨の音で目が覚める・・・
「マジーナ・・・」
当然結界は雨に流されて半分はなくなっていた。

結界修復はメンドイので奥地へ出発。
90分ほどかかって最終停留所まで到達。
8時ちょっと前・・・
床屋さんがOKならここまでは来れるって言っていたな。」
まず登記(こちらは場所です)を探そう・・・・


お!意外と早く見っけ!!
墓を閉じる方(移転の方も含まれます)へ:Z市広報
登記(こちらは書類のほうです)を持っていかれる場合、
当社(とうやしろ)の台帳に、処理した方のお名前・お住所・日付をお書きになり、
台帳の同じ欄と、お持ち帰りになる登記書で割り印をしてください。
処理日から1ヶ月以内にZ市役所まで墓を処理したことを何らかの手段で
お知らせください。
住所郵便番号・・・-:::: X県Z市ZZ町YのYYのYYY/TEL:・・・-・・・-・・・・/
e-mail:--@---
また割り印した写しを上記住所の、「Z市役所**課##係」までお送りください。
締め切りは処理日から6週間後の消印があるものを有効とします。
指示に従っていただかない場合は窃盗罪などで刑事告発される場合があります。」


ーーーあああ~あ~あ、うっせ、うっせ、そーゆーなら自分たちでこの墓地何とか
してからえらそーなこと言えよーーー

しかし、登記書の束は、紙の閉じ紐で固くむすばれていた。最後に解かれてから何年か
経っているのだろう。しかも本日は雨で、紙紐も濡れてボーチョー、解くのに1時間ほど
かかっちゃったか?それでも、とにかく本家の登記書は確保!!
これで、全行程の30%くらいが終わったところか?


次に寺の台帳を探して割り印を押した。
残るは、境内の地図を見て、墓石探しだが、何様が待ち受けているのやら???

そして、もう少しで見逃すところだったが、寺の廊下から、陽にあたっていないような
やたら白い腕が
まず1本出てきて、登記書の束をバフバフ握っては振り、振っては
握って遊び始めた・・・
と思ったら次々と手が出てきて登記書でキャッチボールを始めた。


自分の関係登記書を抜いた後で本当によかった。でないとこのキャッチボールを、
下手すると、半永久的に追いかけねばならない。

私は少し広い範囲に塩をまいてみた。手は一時?引っ込んだが、またいつ出て
くるかわからない・・・

私は、次に、ホームセンターで仕入れてきた、床材のプリント柄の紙を寺の廊下の上に、
塩をまいて敷き、さらに床材のプリント地を乗せ、それに四角を3重にして書いた
すでに邪悪の者がいるところに結界を作ると、邪悪がそこから出られず閉じ込めて
しまうのでNGであると言う人がいるが
これだけ無限に援軍?が来そうなところでは
結界の中で多少閉じ込めても、援軍をシャットアウトしたほうが、いいに決まっている。

さて墓石は、地図に従って墓前まで行ってみると、少し掘り起こされた形跡があって、
わずかにうきぎみで傾きぎみだった。
私ははじめ、この地面から浮きぎみの墓石は、昨年、伯父たちが少し掘り起こした名残で
あろうと簡単に考えていた。
と間もなく両隣の墓石がヒト型に変化こちらに向かってきて、
私の体を抑え込もうとする。
一方で
、地中からは何本もの腕がはいでてきて、私の体のあちこちを取り押さえ、今まさに
体は地中に引きずり込まれようとしていた。


「墓を閉じるあるいは移す」といった条件を変えようとここを訪れる人間はここを「終の
棲家:ついのすみか」と考えていた霊たちにとって全員が敵なので、ただちに抹殺
されなければならないというのが彼らの掟になってしまったのだ
。しかも地中に
引き込めば、墓を掘り起こして捜索するには裁判所の令状がいるので、余り件数が
多いと警察・司法ともだんだん面倒になるだろう
。いやはや、実によく考えられている。
「なるほどこれぢゃ、きっつい精神的いやがらせ、対人関係が多少ハードになっただけで
胃潰瘍になっていた繊細な人柄だった伯父だったが、おそらくこんな状況下なら精神に
致命的ダメージを受けてもおかしくはない。


床屋の式神にあいさつしてもこんな手ひどい仕打ち受けるんだもな?
そーいえばよく考えると、床屋はバスの終点までの身の安全の保証で、寺の境内の
安全は関係なかったな・・・?
私はありったけの力で、腕を胸のところまで持って行って服を引きちぎった。
一番上は紙のYシャツで、やぶれば多量の塩が・・・出てくるはずだったが・・・
あいにくの夜間の雨で水を吸って出てこない!!
塩の塊を握っては、的にぶつけているうちに少しずつ腕の数が減ってきただろうか。


次にリュックの中の塩もいーだけ湿っていたが、地中からの腕を黙らせるには十分
すぎる量が残っていた。
とはいえ帰りの道中、<芙蓉>停留所を抜けるまでの間の塩は取っておかねば
ならない。
とにかく墓石>はやっと拾い上げた。これが70kg!!!
リュックの中の残った塩を小袋に詰め替え、両手に持てるようにして、リュックに墓石を
入れる。ちょっと後ろにひっくり返りそうになる。
おとなひとり分だもんな。

始めの帰路の登りの4.8kmを何とかせねば。
最初から走るわけにはいかない。
いまになってきづくが、Pさんに教えてもらったように付近で一番低い土地であるだけに、
瘴気のごとく淀んだ気体が充満していることに、逃げ出すころになってよーやく
気付かされた。

私は4.8kmの間どうやって逃げたか覚えていないが、後ろからは天を突く大男が
私を踏もうとして追跡してきていた。
時には、またまた地面から手が数本出てきて、私の体をうごきを奪って今にも踏まれる
というところまで行ったが、手持ちの塩をまいて九死に一生を得た。


そしてまだ<芙蓉停留所>に至る前にPさんが友達2人を連れて2トントラックで待っていて
くれた。
「Pさん、大丈夫ですかこんなことして。お仲間に何かあったら・・・」
「大丈夫、今日は床屋のおやじ怒っていませんから・・・」
ここで、◎◎交通の運転手のおやじが近道が現れても決して選ぶな、ということを突然
思い出した。

「いやPさん、あと結界抜けまで2km程度だから自分で行きます。でも今日の御好意は
忘れません。」
Pさんはちょっと悔しそうな顔になったようだ。

5分くらい歩いて振り返るとトラックの姿形は半分ほどになっており、残りの半分は形が
消えたり崩れたりしていたが、そこからは、大量の羽虫が帯状になって恨みがましげな
羽音を立てて集団で天空に舞い上がっていく途中であった。

よく考えたら、もう一度私に誘いをかけた時、
「そー言わないで乗って行こうよ!」
と言って少しついてきたけど、エンジン音は聞こえなかったね・・・
ヤツラ何としても俺を生かして返したくなかったんだね・・・・

乗らなくてよかった・・・
それから1時間歩いて半分溶けかかった見覚えのある<芙蓉>バス停下の
結界線が見えてきた。
・・・助かったってことか・・・?

私は手持ちの塩で結界線の形を整えてリュックを抱えて2時間ほど眠った。
・・・もう一息
後は◎◎交通百十里まで出て、Pさんの掘立小屋に寄った。
あいにくとPさんは不在だった。
「大変お世話になりました。」と書いたメモ用紙と、
「あの日おまけしていただいた運賃、大人1.5人分です。」
と正規料金を置いてきた。
やはり今回の生還はPさんのアドバイスなしではありえなかったろう。

掘立小屋から出るとちょうどZ市駅行きのバスがやってきて、行きと同じ
運転手だった。
「墓参と登記の変更して来たんかい?」
「えー。」
「あんたってすごいひとだねー。」
「Pさんよく助けてくれましたから。」
「あのものぐさ2代目が?ウソだろ??」
「運転手さんの近道厳禁のアドバイスも役に立ったんですよ。」
といって、終点で運転手に、途中軽トラックに惑わされるところだった話をした。
「それは俺も聞いたことないな。墓参の人が来たら言っておくよ。
でもあんたよく気付いたね。」
「今思い返したら、その車、ヘッドライトなかったかもしれないんです。」
・・・
札幌に着くとまず会社に顔を出した。
予定を2日オーバーしての御帰還となってしまった。しかも無断欠勤。
「すいません。罰則はどうにでも・・・」
「なにが?君に伯母さんいる?」
「はい。」
「休み2日延ばしてくれって連絡いただいているよ。そのかわり、1日は有給
からはみ出ちゃって無給休暇にしちゃったけど。しょーがないだろ?」
「えー、助かります。」
「助かりますって、変なやつだなー、その言い方。」

伯父が言っていた成功報酬というのは、無断欠勤を伯母が察知してくれて会社に
連絡してくれることなんだろうか???


次に私は、本家に伺って差しさわりのない範囲で大体のことを話した。
伯母にはある程度予想される内容であったらしく、伯父がなぜあのような
精神状態になったか納得がいったようである。

伯父と同行したY子さんは後日墓地近くの谷底から遺体で発見され、
あわてて逃げて(多分余計なものに追いかけられたのだろう)滑落したのだと
思われたが、地元警察は事故の原因については深く説明してくれなかったらしい。

それから伯母に、
「伯父さんから、墓石と墓石の登記書をとってくるよう指示があったので持ってきました。
旅費もたくさんいただきました。
でも、伯父さんて、今電話もかけられないくらい対人関係が駄目なんですって?
では、本家の事情をこれほどまで知っておいでの方は、他にというと世の中に一人だけ!
実はうちに電話をかけたのも、旅費を送ってくれたのも伯母さんでしょう。」
と言うともちろん即座に否定された。
墓石もどこかに持って行ってくれと言う。
仕方ないので、<伯父さんと名乗る人が書いた旅費を送ってきた手紙>を見せると
あら私の字ということになり、さらにナンバーディスプレイの電話をみると、なぜか
録音されており私との会話の記録が残っていて、
「まあ、これも私の声・・・」
墓地の連中のいたずらであろうが何百kmも離れているのに大したテレパスだなと
感心せざるを得なかった。


「それから伯母さん、私の墓参休暇を2日延ばすよう会社と掛け合ってくださって
ありがとうございました。」
というと。
「何言ってるの。あなたのほうで、私に頼んできたんじゃない。自分で会社に電話
するのが筋だと思ったけれど、大変なことお願いしちゃったみたいだからショーがなく
私あなたの会社に電話したのよ。」
「電話番号は御自分で??」
「あなたが教えてくれたんじゃない!」
きっと奴らのギブアップ宣言と言うか、私は彼らから解放された証拠なのだろう。

それから墓石と伯父さんの快癒祈願とY子さんの追悼のために、一度お経をあげて
もらいましょうと提案したところ、伯母ははすんなりOKをくれた。


すると「飲み屋のツケ」を払いにいった可能性のある人間は残りただ一人になって
しまったではないか。


私は、いつぞやの高いボトルが入っていてびっくりした店に行ってみた。
そして、そのボトルを入れた日に記憶があまりなかったふりをして、
「この前のボトルいつまでだっけ?」
と聞いてみた。
すると一番親しい店員が、
「あれカラスさんあの日そんなに酔っていなかったように見えたけどね!?
まだ4ヶ月ほどあると思うよ。
記録しっかり見てみる?」
「いやそれで十分です。」
やっぱり、私も含めて一族全員が墓地からのパワーでコントロールされて
いたようだ。
でもそーすると伯父(実際は伯母)が言っていた成功報酬とは何だろうな?


そんなことなんかすっかり忘れたころ
宝くじで一億円当たった。しばらく使わないでいてお供えしておいた。
伯母に後日成功報酬があると言っていたのはこれに違いない、と事情を話して折半。
半分を伯父の治療費とゆーのか介護費に充ててもらうことにした。


予定外の3回シリーズになりました。
始めは「普通の床屋さんに入って、店員さんがいなくなり、外に出てみたら廃屋だった」
という話だけだったのです。
それに自分の体験談を(もちろん差障りがありますのでどこが実話かはお教え
できませんが)ちょっとずつたしていったら、こんなだらだらのヘタクソ文章になりました。

最後までお付き合いくださった方、またまたまた!!!御礼申し上げます。

 墓を移す ふぁいなる/しりーず 完