私が車の免許を取った昭和50年代前半(1975-1980年ころ)は、軽自動車の排気量は360ccでした。
「スバル360」は富士重工製の軽自動車で、前進3段+後退の4段ギアチェンジでしたが、艤装スペースの関係か、技術的問題か、ギアチャンジはフルシンクロではありませんでした。
ローからセカンドギアにシフトアップする時だけ、現在も大型車両が行っている、ダブルクラッチが必要でした。
もーっと驚きなのは!!!運転席とギアボックスが近すぎて(日本人の体格でも)、慣れた通勤おとーさんは、一回目のクラッチを踏んだら、左足をたたんで膝頭で、シフトレバーをローの位置からニュートラルに移動、もう一度クラッチを踏みこみ、今度は電光石火の早業で、シフトレバーをニュートラルの位置からセカンドのポジションにやはり膝だけを使って追い込む、という作業をラクラクこなしていたということであります。
実際に、違う運転手の方で、何回か見たことがありますが、「お見事」としか言いようがなく、当時のすばらしいカンドーを事細かに皆様にお伝えできないのは、非常に残念であり、このような文章を書いておりまして、自分のリキリョーのなさに情けなくなって参ります。
ところが、ほどなく、排ガス規制がうるさくなり、初期の排ガス規制車は、非規制車と比べ同一排気量で出力を比べると20%ほど落ちていましたから、スバル360では車体重量385kgに対して16PS,、から20%落ちてしまえば、もともと24.1kg/PSと1馬力あたりの負担重量が、当時としても極端に大きいエンジンに余裕があろうわけがなく、運輸省は、軽自動車の排気量の550ccへのアップをきめました。
※スポーツ車は2000ccクラスは1150kg/130PS=8.8kg/PS,1600ccクラスは970kg/110PS=8.8kg/PSと1馬力あたりの負担重量が10kgをきり、面目を保ちましたが、しばらくして、ガソリン中の鉛濃度が問題視されるようになると、ハイオクタンガソリンも使えなくなり、これらの強力車が街中からきえていくには、そう時間は必要ありませんでした。
その後の諸事情で、排気量は660ccとなり現在に至っておりますが、どーして「360cc」なんて中途半端な数字が軽自動車の排気量の上限値だったのでしょうね?
これは、戦前からの軽自動車の区分の法律で「軽自動車の排気量は”2合”を上限とする」という尺貫法に基づいておりまして、条文自体は、メートル法の全面採用の昭和34(1959)年まで続いていたようです。
私も、実は、左足で、スバル360のクラッチ操作を2回ほどさせていただきましたが、相当熟練が必要だということだけが分かりました。