「ラーメン」てナニヤツ? | 余生庵 カラスの晴耕雨・読ぶろく…クンセイが肴

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◇監修 左上野 老鶴 ◇GM 経田野 横鋤 ◇照明 当代元 蔵志
☆余生を送っている人間が書いている記事ですので、恐縮ですが
 「記事更新頑張りましょう」といったコメントにはお返事できま
  せん。

ラーメンのイメージって皆さん、百人が百人とも同じですよネ?!


でも、こいつがなかなかの曲者でして・・・


水戸黄門光圀さまが、日本人で初めてラーメンを召し上がった方ですか?

いや、ここではそんなことは、どーでもよくて・・・


「らーめん または ラーメン」という言葉は明治末か大正元年あたりから使われていたと、横浜中華街では記録が残っているようです。


しかし、庶民の間の「夜泣きそば屋-あのチャルメラを吹き鳴らしてやってくる屋台の蕎麦屋さん」では、敗戦後、復員兵が帰ってくる(昭和23-26年ころ)まで、一般には「支那そば」と呼ばれていました。


それが、中国大陸から兵隊さんが、帰還してこられますと、ラーメン屋さんや、餃子屋さんが各地にでき始めました。


モチロン、「らーめん」「ラーメン」と書いた店もかなり見られたそうですが、「拉麺」「柳麺」「老麺」の看板も・・・。


「拉麺」は日本式に申しますと「手延べ麺」であります。「柳麺」は縮れ麺。しかし「老麺」の中国での作り方は、饅頭のように酵母を入れて膨らませたものを麺にするといったもので、これは、日本でのラーメンの製法では該当なしでした。


また、札幌市の味噌ラーメン発祥の店(恐らく大半の方がご存知のお店とは違うと思います)では、料理人が品物が出来上がった時に「了(ラァ)!=できたよ」と言っていたことから、了麺ではないか?との説まであります。


いろいろと、この辺のことを考えると、いつの間にか、ラーメンの由来なんかどこかに吹っ飛んで、ラーメン自体が頭から離れずヨダレが出てきます。


食文化の歴史を極めることは、途中でノーミソが挫折してしまい、タイソー難しいと感じました。(了ラァ!)