無人の資格 | カラッポのマネキン

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ウソと本当のミックスジュース。おいしくどうぞ。

 物件の前についた。ハイム高田。なんとも普通の名前だが、家主が知恵をしぼりすぎて意味不明になっている物件よりは良い。最近あった物件で印象的だったのは、中野の奥地にあるアパート名が「サグラダファミリア」。家主のこだわりに文句はないが、印象の前に失笑してしまう。国の名前も多い。「マンション・カサブランカ」や、「アパート・インド」てのもあったし、アパートの名前なのに「サイトウタカシ」という物件まであった。市井は我慢ができない体質だから
「サイトウタカシという物件に、サイトウタカシさんはご紹介しにくいですね」と笑顔(嫌味)で言ったら
「ぜひ紹介してくれ」と握手されたという。
 僕の予想だと、家主はサイトウタカシじゃなくて、サイトウタカシを探してる人なんだ。
 生き別れた弟とかね、サイトウタカシ。きっと良い人だと思う、サイトウタカシ。梅干とか自分で漬けてそうだな、サイトウタカシ。
 どうでも良いことを考えながら玄関ドアを開いて、ポストのある場所を確認する。
 ポストが物件の中にあるのは、良い。いたずらをされる確立が減るからだ。それにこの玄関ドア、両開きだから引越しには便利。
 マンション内に通路があるのは、女性に人気がある。外の道=玄関では、どの部屋に入ったか見られても文句は言えない。畳で築年数も古いが、この物件、意外と女性向かもしれない。
 ガスのお知らせがぶら下がる玄関ドアの鍵をあけて室内に入る。もうリフォームされていて、室内は清掃後の香りがしていた。前の住人が長く住んだこともあり、シンクは新品にしたようだ。障子もはりかえてあり、美しい。畳もはりかえてあるようだ。カーテンがない窓を開けると、目の前にマンションがそびえたち、まったく光が入らない。それどころか、方南通りの車の音が激しく聞こえる。これは減点だな。ベランダがあるのに、ここに洗濯物は干せそうにない。半年客が入らなかったら、浴室乾燥機をつけてもらうと良いかもしれない。
 僕は部屋の真ん中に正座し、横に買ってきたパンとコーヒーを置いた。
「いただきます」心の中でつぶやき、両手の先をあわせる。
 自分が紹介することになった物件の中で、食事をするのが好きだ。家具もカーテンもない部屋。ただ広くて、自由で、孤独だ。
 近所で買ったものを食べながら、この部屋をどうお客さんに紹介しようか考える時間が好きなのだ。
 売りは物件そのものより、周辺の環境にありそうだ。立地条件や周辺店舗、スーパーや商店街をのぞいてみよう。このパンも結構おいしいし、コーヒーも悪くない。いけそうだ、と小さく何度か頷き正座の足をくずし、パテンと畳に横になった。
 瞳をとじたら、一気に畳の香りが鼻に踊った。
 畳の香りは日向を思い出す。僕はフローリングの床よりも畳のほうが好きだ。でも畳は敷金トラブルも多いんだよな、と頬にふれるタテジマの感触を楽しんでいたら、外からパラ、パララと何かを弾く音が聞こえた。
 瞳をあけると、むき出しになっている窓ガラスに雨粒がついていた。
「え。まじで?」横になったまま、声にはせず息と共に吐き出す。
 雨がふってきたのが信じられないのではなく、ベランダに雨が振り込むことが信じられなかったのだ。いまどき屋根がないベランダなんて考えられない。本当に浴室乾燥機を入れてもらったほうが良いかもしれないと瞳を閉じたら、今度はお尻からビリリと振動を感じた。
 寝転んだまま右手をお尻にまわし、携帯電話を引っ張り出す。画面には「会社」と出ている。
「もしもし」起き上がりながら耳にあてた。
「二宮さー、今、南台の物件?」市井だった。
「だったら?」瞬時に嫌な予感がして(今物件?など、あまり聞かれない。僕は基本的に単独で動いている)言葉ごと突き放した。
「新人の歓迎会がさ」
「ああ」面倒で行きたくない(基本的に仕事でいく飲みは好きじゃない。家でゲームでもしながら物件のことを考えてるほうが好きだし、酒は一人で飲んだほうが美味しいし、楽しいと思う。たまにドンチャン飲むのも楽しいが、やはり疲れる)ので、断る理由を頭の前のほうで考える。
「二宮がいる南台近くの居酒屋で5時からやるんだよ。この前行ったらすげぇ良くてさ、まず店員な、美人が多いのよ。あ、今日居るかどうかわからないけどね」聞きながら時計を確認したら、もう4時をすぎていた。
「帰りに寄れよ、その方が楽だろ? 住所今からメールするから。地図持ってるだろ。じゃあな」
 ピと距離を持って電話は切れた。断るもなにも、これで参加しなかったら僕は「新人を歓迎する気がない、面白くない人」だ。僕は面白くなくても良いが、歓迎はしている。
 しかし面倒だ。そしてこのベランダの雨。ああそうか、雨がふってきたんだ、更に面倒だ。僕は携帯電話を太ももの間に挟み、再び瞳を閉じた。
「新人」口は動いているが声にならない息で言う。柳沼さんがいるのか。じゃあ行ってもいいか、と考えた自分に呆れた。僕は“人であって人じゃない”。女の子に興味を持つなんて、バカみたいな時間の無駄だ。