豆の愛 | カラッポのマネキン

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ウソと本当のミックスジュース。おいしくどうぞ。

 席に戻り、南台の物件への行き方を地図で調べる。市井や内田さんのようにパソコンに詳しい人間は皆、ネット上の地図を使うけれど僕は手でパラパラと見れる地図が一番だとおもう。地図はまず面が広い。パソコン画面のように小さく区切られていないし、どこの道を通ろうか考えてる時間が一番楽しい。大通りから小道へどのタイミングで入ろうか。方南町周辺は商店街が多い。ぶらりと歩いてみるのも楽しい。お客さんにその辺りを売りにするのも面白い。こういう時はパソコンが役にたつ。僕は方南町周辺の商店街を調べ、プリントアウトのボタンを押した。商店街を回りつつ物件を見に行こうと考えながらプリンターへ向かうと、プリンター横の給湯室に柳沼さんの姿がみえた。一畳ほどしかない給湯室に柳沼さんは電気もつけずにいた。
「電気、ここだよ」
 僕は右側の壁に手を伸ばしてパチンと電気をつけた。
「あ、つけてないんです」ふわっと顔をあげた。
 同時にほんわりとコーヒーの香りが流れた。柳沼さんは右手に小さな急須(たぶんお客さん用にお茶をいれるものだ)を持ち、コーヒーをいれていた。
「急須で、コーヒー?」思わず身を乗り出して見る。
「ポットからだと、おいしく入れられないので」と、ドリッパーのふちからゆっくりと急須でお湯を流した。
「見にくいでしょう。電気つけないと」僕はプリンター側に移動して紙束を取った。
「暗いと」ドリッパーを外してコーヒーカップを一口、口に運んだ。暗い部屋の中で白く光る長い首がコクンと動く。「香りがたちますよ」
 視覚が奪われて、嗅覚がたつという事だろうか。顔をちらりと見たが、真っ直ぐに僕を見ていて一瞬目が合ったので慌てて目をそらし「へえ」と言った。
「美味しくできました」柳沼さんはコーヒーカップを僕に手渡した。言葉を失う。飲めということだろうか。さっき柳沼さんが一口飲んだものを? 戸惑ったが、これまた柳沼さんが“飲まないことが理解できない。飲んで当然”という目で僕を見ているので、カップを口に運び、柳沼さんが口をつけていなさそうな場所を探しカップを舐めた。すると苦いのに甘い、コーヒーの味がした。
「良い豆だね」とカップを返す。よく分からないが、確かに美味しい、と思った。
「お粉はここにあったものです」柳沼さんは口の両端をゆるやかにあげて給湯室の電気を切り、出て行った。