ホテルからの帰り道、駅まで並んで一緒に歩いた。
最後に信号待ちをしている時に、私は聞きたかった事を聞いた。
「向こうに行く前に、あと1回くらい会えるかな?」
「そうだね」
「向こうに出発する直前は忙しいと思うから、もうちょっと前に会えたらいいな。」
「ふふっ」
交差点を渡って、そのまま別れた。
「じゃあまた、、気をつけて」
「じゃあね」
私は振り返りたかったが、振り返らずに駅の階段を降りていった。
帰りの電車でメッセージを送った。
「今日は激しい白昼夢でした」
「激しかったよね。今日はゆっくりできてよかった」
「それと、美味しいランチをご馳走様でした」
「やっぱりあそこは雰囲気が良いし美味しいですね。」
「ですね」
「前回も、それはそれで良かったけど」
「前回は色んな意味でハラハラしました。あのあと、さすがにガスを開通してお風呂が使えるようにしました。シャワーが無いということが抑止力にならない事が分かったので、もういいやと思って。」
「そうだったんですね。たしかに抑止力になってなかったよねぇ」
「向こうに行く前に最後、またお会いできたら嬉しいです。ご無理の無い範囲で。」
「そうですね。美味しいものを食べに行きましょう」
「楽しみにしてます」
海外赴任に伴って“別れる”ことになったのは完全に受け入れていた。
もう会うべきではないと思って、
その後は自分から彼を誘うことはなかった。
彼が私を3回ほど連続で誘ってきたから、それに戸惑いながらも応じただけだ。
それなのに今回は、私の方が彼にまた会いたいと思って
次回の予定を聞いてしまっていた。
(おかしい、こんなはずじゃなかったのに。やっと別れられると思ってスッキリ爽やかな気持ちになっていたはずなのに)
今回のセックスがあまりに良かったからだろうか?
自分でもよくわからない。
ーーー
私はまた、彼から週1くらいのペースで会おうという誘いがくることを想定していた。
それなのに、いっこうに連絡が来なかった。
大型連休と重なっていたので、連絡したかったけれど
我慢していた。
待ちきれなくて、
大型連休が終わったタイミングで連絡してしまった。
彼と別れられることになってスッキリした気分に
なっていた私は、
いったいどこに行ってしまったのだろう…?
“おはようございます。
ダメだって思うんですが、またお会いしたくなっちゃいました。今週の火、水、木あたりってお忙しいですか?”
“来週の木曜日までずっと忙しくて。その次の週なら時間ができるんですが。”
“そうでしたか。お忙しい時期にごめんなさい。”
“僕もタイミングが合えば会いたいです”
私が狙っていた時期の数日後、彼からメッセージがきた。
“◯日か△日に会えます。それか来月の、僕が日本を発つ日の前日にもゆっくり会えそう”
私は、彼が覚えてくれていてメッセージをくれたことだけでも嬉しかった。
狙い目は、彼が指定してきた、出発の前日だ。
翌日、海外赴任に向けて日本を発つのだから、ドラマチックでもある。
何度も会いたいのであれば、早めの◯日に会ってその後何度も会うことも可能かもしれないが、何度も会ったらダレる可能性もあるので、出発直前を指定して狙った方が良いような気がした。
“なら出発の前日はいかがですか? 壮行会も兼ねて”
“早い時間から会いたいな。10時とか。
“はい、最後だと思うと寂しいですが、次にお会いできるのを楽しみにしてます。とはいえ、出発前の忙しい時期だと思うので、もし難しくなってもお気になさらず”
ーーー
もう彼の出発前日まで会う事はないだろうと思っていた。
すると数日後の朝に彼から連絡があって、その日に急きょ会う事になった。
前回の激しいセックスをした日から、約2週間経っていた。
彼と別れるとなって清々しい気持ちになっていた時期は数ヶ月会わなくても大丈夫だったのに。。
ここ数回にわたって、動物のような姿を曝け出す激しくて深く感じるセックスを週1ペースでしてしまったせいか、また彼に引き寄せられてしまうようになってしまった。
引き寄せられてしまうのは、彼に、なのか、彼とのセックスに、なのか、それはよくわからなかった。
今でもよくわからない。
でも、彼とのセックス「だけ」に引き寄せられている、と思う方が気が楽だということはわかる。
ーーー
ふと、以前たまたま聞いた、酔っ払いの男性数人の会話を思い出した。
失恋して(?)、荒れている男性がお仲間と話していた会話をなぜかずっと覚えていた。
「お前さ、あんな高嶺の花に惚れるからだめなんだよ」
「うるせー!」
「女なんかヤレればいいんだよ。そういう若くて可愛い子いっぱいいるんだから、そっちに目を向けろよ」
「…そうだよな、女なんか、ヤレればいいんだよな…」
荒れていた男性が、急にしゅんとした感じになったのがとても印象的だったのだ。
ーーー
同時に、学生時代に受講していた、
西欧史の分野で著名な先生が、
「好きな女も抱けないなんて、人間として生きている意味があるだろうか?」とおっしゃっていたことも思い出した。
白い髭をたくわえたダンディな初老の先生で、
いわゆる下ネタのような話ではなく、
あくまで哲学的な文脈での話だった。
人間個人個人がいかに幸せに生きるのか?とか、
国会や社会のルールと幸福追求権とか、
自己決定権とか、そういうことをお話しされていたと思う。
どちらの話も、男にも女にも言えることだ。