大人になってから矯正をはじめた人なら誰しも言われている言葉がある。
「気にするほどじゃないのにー」
歯の矯正をするほどあなたの歯並びは悪くない、というものである。しかし、私はそれを言われるたびにいつも心の中で思うのだ。
「ならばあなたはこの歯並びになりたいですか?」
おそらく、ほとんどの、というか全員が「NO!」であろう。NOと正直に答える人はいないのは明白なので、どんなに親しい人でもこんな質問はしたことがないけれど。
かつて私には鼻の穴の下にほくろがあった(昨年レーザーで切除した)。子供のころは鼻くそと馬鹿にされ、鏡を見るたびに嫌だった。海外で外国人にチャーミングだと褒められると、それほどまでにこのほくろは目につくのかとがっかりした。そんなほくろがうらめしいと友人に話すとかならずこう返される。「それほど気にならないよ」。しかし、その度に思っていた。
「じゃあこのほくろ、あなた欲しい?」
もし自分の体にあってもいいよ、どうせ気になるようなものでもないし、と思えるならば本心だろう。
こと容姿に関しては「悪い」「劣っている」などを認めるのは失礼だ、という風潮がある。たとえば、会社でよくある風景なのだがOLなどがトイレで「最近化粧のノリが悪くって。クマが目立って悩んでるの~」と言う。その言葉に対しありがちな返答は「そぉ?気にするほどじゃないよ」である。実際私がそうしている。クマが結構ひどいなーと内心思っていても、決して「そうだね。クマ目立ってるね」と肯定してはならない。彼女が気にしていることを指摘することは失礼なことなのだ。
矯正に関してもそれと同じだ。矯正をしていない人は、「歯並びの悪さを認めることは失礼なこと」と思い「気にするほど悪くないよ」と答えるのだ。
クマのひどいOLが相手に求めている答えは確かに「気にするほど目立たない」であり、その言葉によって気分的に楽になりたい、と思っている。そもそもクマを消せないからどうしようもなくて悩んでいるのであり、それを指摘するのは悪趣味だ。
しかし、矯正は違う。歯並びはどうしようもないものではなくて、治療によってきれいになるからだ。そのため「気にするほど悪くないよ」は現在矯正をしていない人(きれいになる見込みがない人)にとっては有効だが、矯正中の人(きれいになると信じて努力している人)に対してはまるで意味をなさない。矯正治療中の人間は「それほど悪くない」と言われても安心するどころか、むしろ矯正していることを否定された(わざわざそんな苦労するなんて変わった人ね)と言われたような気持ちになる。これは痛みや不便に耐えて矯正治療を行っている人の気持ちを逆なでするものだ。「なんでそんなことやるのかわかんない。無駄じゃね?」、と努力している人に向かって言っているようなものなのである。
矯正治療を別のものでおきかえてみよう。何でもいいのだが、たとえばお菓子作りだとしよう。
ある人から「上手にアップルパイが焼けないの」と言われたら「そうなの?でもこれもおいしいよ」と相手は返す。しかし、その人がもっと腕を上げたくてその後お菓子教室に通うことになったとする。「アップルパイをもっとうまく焼きたくてお菓子教室に行くことにしたんだ」と言ったらどう返すだろうか。たいていの人は「そうなんだ!がんばってるね」となるだろう。決して「教室に行くほどでもないよ」ではない。これは英会話でもダンスでも受験対策の塾でもなんでもいい。矯正治療だと「気にするほど悪くないよ」となるのに、他のものだと「がんばってるね」と前向きな声援がおくられる。それはやはり矯正治療は見た目を強く意識したものであり、過去のものであったとしても悪い(悪かった)ことを認めるのは大変失礼にあたる、と思い込んでいるからだろう。
矯正は見た目だけではなく、あごの痛み、かみ合わせがおかしいのを治すという名目もあるのだが、多くの患者の一番の目的は歯並びをよくすることである。あとの理由はとってつけたようなものだ。もし矯正歯科医に「見た目が悪くなるけど、かみ合わせはよくします」と言われたら、私は治療はしなかっただろう。なんだかんだ言っても矯正=見た目をよくしたい。だからやるものなのである。
さて、歯の矯正は相当歯並びが悪い人がやる、というがそれは本当だろうか。そもそも相当歯並びが悪い人ってどんな人なのだろうか。実際、矯正治療を行っている人たちを見てみると、相当歯並びがひどい人、というのはほとんどいない。私から見れば、きれいな歯並び(少なくとも私よりだが)が大半だったりする。
このブログは矯正治療中の人しかみないと思うが、最後に矯正をしていない人にひとことアドバイス。
「歯の矯正をはじめたんだ」と言われたら、「いまさら?」「それほど悪くないのに」と答えてはならない。矯正治療者が相手に求める言葉は「がんばってるね!」「きれいになるのが楽しみだね」なのである。