読谷村喜名自治会主催の梯梧の塔慰霊祭に参加して来ました。
読谷村で亡くなった方々を当時に喜納部落の住民が、遺骨を収集し
梯梧の塔に祀り、今日まで供養し続けています。
喜名地区の梯梧の塔
さきほこる はなびらちり
でいごじゅに くれないそめて なつはきにけり
梯梧の塔慰霊祭を主催する
喜名地区自治会長様の御挨拶
喜名地区自治会長様の追悼の辞
追悼の辞では、沖縄戦の悲惨さと戦後、米軍統治下での生活の苦しさ、
二度とこのような戦争を起こしてはならないこと、恒久平和を希求することが述べられました。
お焼香する参列者たち
コロナ禍のため、参列者は今年は限られました。
空挺同志会沖縄支部を代表して、焼香する沖縄支部長
喜名部落の住民は、読谷飛行場周辺で放置されていた戦没者を
収集し、梯梧の塔を建立して弔いました。
その数7百柱を数えました。
梯梧の塔には、氏名階級が判明した戦没者の御名前を刻してあります。
その中に、第3独立飛行隊の町田一郎中佐の御名前もあります。
梯梧の塔を訪れると喜名地区の方々の優しさを感じます。