令和元年「義烈空挺隊玉砕之地」慰霊碑塗装整備 | 沖縄 読谷村・摩文仁の丘 義烈空挺隊慰霊 全日本空挺同志会 沖縄支部

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摩文仁の丘に建つ、「義烈空挺隊慰霊塔」読谷村にある「義烈空挺隊玉砕之地」の慰霊碑をお守りし、毎年慰霊祭を実施し、義烈空挺隊を顕彰し、慰霊・鎮魂して、後世に伝える。

令和元年11月4日 空挺同志会沖縄支部有志により

読谷村「義烈空挺隊玉砕之地」の慰霊碑の塗装を行いました。

当慰霊碑は、昭和48年5月24日に空挺同志会沖縄支部が、

米軍の飛行場であった読谷村の滑走路地区(現、読谷中学校校庭)に建立しました。

その後、慰霊碑が木製の為、数回にわたり、沖縄支部が建て替えております。

現在の、掩体壕前に立っている碑は5代目で、平成23年6月に換装しています。

今回、慰霊碑の塗装の経年劣化が目立ち始めましたので、

令和の御代の初めとして、塗装をすることになりました。

平成23年に建立してから約8年近く経て、塗装の痛みが表れてきていました。

 

建立時は白地にくっきりと文字が浮かんでいましたが、今は薄くなってきています。

 

表面の塗装に軽く、やすりをかけ、表面の汚れを落としました

 

慰霊碑は高さがありましたので、作業を2手に分け、上下でやすりと塗装に分けて作業を行いました

 

文字部を残し、先ずは、本体の塗装をはじめました

 

桃原支部長はじめ、背の高い大型の会員の出番です

 

会員の家族も参加いたしました

細かい作業や準備は、女性の独壇場でした

感謝

 

 

文字部分の塗装は、集中力が必要で、皆でかわるがわる行いました。

 

 

昨日演習から帰って来たばかりであったり

当直明けで参加してくれた賛助会員もおりました

 

「義烈」文字は、最後に

桃原支部長に入れてもらいました。

何時になく緊張気味でした。

「義烈空挺隊玉砕之地」の文字は

元第1空挺団管理中隊整備班長 窪洋之右 氏に書いて戴きました

現在 書家をされております

 

化粧直しが終わった「義烈空挺隊玉砕之地」の慰霊碑

沖縄支部会員にとって、焼失した首里城に匹敵する

大切なアイデンティティです

 

奇麗になった慰霊碑に、黙祷を捧げ

これからも義烈空挺隊の慰霊顕彰を続けることを誓いました

墨痕鮮やかになった「義烈空挺隊玉砕之地」

 

慰霊碑塗装に参加した沖縄支部有志