「義烈空挺隊玉砕之地」の碑について その9 | 沖縄 読谷村・摩文仁の丘 義烈空挺隊慰霊 全日本空挺同志会 沖縄支部

沖縄 読谷村・摩文仁の丘 義烈空挺隊慰霊 全日本空挺同志会 沖縄支部

摩文仁の丘に建つ、「義烈空挺隊慰霊塔」読谷村にある「義烈空挺隊玉砕之地」の慰霊碑をお守りし、毎年慰霊祭を実施し、義烈空挺隊を顕彰し、慰霊・鎮魂して、後世に伝える。

「義烈空挺隊玉砕之地」の碑について、縷々書いてきました。

今回、このようにブログで書くことになりましたのは、

あたかも、「義烈空挺隊玉砕之地」の碑が、所有者がおらず、管理する者もいないので

この碑を、建て替えるなどと言われる方々が出てきたことによります

 

 

おそらく、そのように仰る方々は、「義烈空挺隊玉砕之地」の碑の由来、沿革をご存じなく

現状も分からないまま、今、手にした情報や思い込みだけで、ご判断されたと思っております。

 

義烈空挺隊に対する敬意と尊敬の念は、どなたも、同じであると思っております。

 

空挺同志会沖縄支部は、昭和48年5月24日に いろいろな制約の中 ここ読谷村に慰霊碑を建立し、沖縄支部を発足して以来、代々、「義烈空挺隊玉砕之地」の碑を守り、義烈空挺隊の慰霊、顕彰を行ってきました。

 

ある団体から「義烈空挺隊玉砕之地」の碑を 「木製の粗末な碑」と言われたことがあります。

この団体も、おそらく、この碑の経緯などは知らなったと思われます。

また、義烈空挺隊への思い入れから、もっと立派な碑でなくてはならないとお考えになったのでしょう。

 

 

 
しかし、「義烈空挺隊玉砕之地」の碑を 代々、黙々と、褒められることもなく 受け継ぎ 管理維持してきた
沖縄支部会員の中には、その言葉に、大変深く傷つけられた者もおります。
 
摩文仁の丘には、各戦友会が建てた立派な石碑の慰霊碑が多く並んでいます。
建立には、かなりの費用がかかったことが想像されます。
 
しかし、その中には、その慰霊碑を維持管理できなくなり、所有権を放棄し、平和記念財団に譲渡し、慰霊碑の存続を委ねているものも少なくありません
「義烈空挺隊玉砕之地」の碑は、諸事情により、現在のような木碑ではありますが、
所謂「木製の粗末な碑」ではありますが、建立以来45年間、代々、守ってきました。
この「木製の粗末な碑」には、歴代の空挺同志会沖縄支部会員の 義烈空挺隊の慰霊と顕彰の魂が受け継がれております。
「仏作って魂入れず」という言葉があります。
少なくと、この「木製の粗末な碑」には、義烈空挺隊の御霊と空挺同志会沖縄支部の先輩方の魂が宿っていると確信しています。
初代の「義烈空挺隊玉砕之地」の碑
この碑を受け継いで、今年で45年を経ている
 
 
空挺同志会沖縄支部は、現在の「義烈空挺隊玉砕之地」について次のように考えております。
 
現在の借用地について、読谷村の戦争遺跡である掩体壕の前に建立されており、
掩体壕の一部のような誤解を生じる恐れがあり、また、読谷村の戦争遺構の説明が平和教育のための内容になっており
義烈空挺隊慰霊碑の建立する地域としては、ふさわしくないと思われます
 
 
「読谷村戦跡めぐり」に「義烈空挺隊玉砕之地」の碑について書かれている
読谷村史編集室が編集している
 
 
借地契約は1年ごと更新になっています。また借地人名義が空挺同志会沖縄支部となっておりません。
これが、いろいろな誤解を生じている原因をなっていると思われます。
よって、借地人名義を空挺同志会沖縄支部に変更する必要があります
 
現在(令和2年現在)は、借地名義人については、空挺同志会沖縄支部長になっています。
また、協力者が立て替えた借地料も、お支払いを完了しています。
 
読谷村のでは同地域は、運動競技場の一部として整備する計画があります。
 
以上から
 
空挺同志会沖縄支部では
「読谷村内のしかるべき地域に、慰霊碑設置地点を確保し、 木碑を恒久的な石碑に換装する」と言う方針で
計画を立案し、鋭意、実施中です。
以前、現地域ではなく、他に移転することが検討されましたが、干渉を受け、頓挫したことがありました。
色々な思惑があり、義烈空挺隊の慰霊・顕彰とは別の方向に行くのは残念です。
「義烈空挺隊玉砕之地」の碑は、空挺同志会沖縄支部が所有し、維持管理しています。
今後も、空挺同志会沖縄支部が存続する限り、維持管理していきます。
静かに、見守って頂ければ、幸いです。義烈空挺隊の御霊もそれを望んでいらっしゃると感じています。