日本語では全く違う言葉である 「経済」 と 「生態学」 は、英語になると "economy" と "ecology" という何となく語感の似た言葉になります。英語では "word-forming element referring to the environment and man's relation to it (環境と人間との関係を表す接頭辞 : by Ethymology Dictionary)" である "eco-" が共有されているからでしょうか。語源的に見ると "eco-" はギリシャ語の "oikos" (house:家) から派生したものです。

 

 

 

およそ500年前に "household management" を意味する単語として登場したとされる "economy" は今の言葉で言えば 「家政」 を表していました。goo辞書で 「日常の衣食住・家計など、家庭生活を対象とし、そこで営まれる人間の諸活動を分析研究する学問」 と説明される 「家政学」 が研究対象とする分野です。しかしながら、現在私たちが理解している "economy" は 「人間の生活に必要な財貨・サービスを生産・分配・消費する活動。また、それらを通じて形成される社会関係(by goo辞書)」 とその意味が大きく拡張されています。

 

こうした意味変容の背景には 人新生 に象徴される人間活動の膨張(ある意味では暴走)があることに間違いはないでしょう。一方、"ecology" という言葉が登場したのは1873年とされています。また、熱力学の法則を確立したドイツの理論物理学者クラジウスが 「エントロピー(entropy)」 という言葉を造語したのは1865年とされています。従って、エネルギーを含めた 「環境」 問題が人間の視野に入ってきたのは19世紀中盤あたりからだったと考えられます。

 

 

しかしながら、危機感をもって 「環境」 に目が向けられるようになった嚆矢はレイチェル・カーソンの 『沈黙の春 (Silent Spring)』 でした。"ecology" という言葉が生まれてほぼ1世紀後の1962年のことです。

 

 

いずれにせよ、ギリシャ語の  "oikos" (house:家) に由来する "eco-" で繋がる "economy" と "ecology" という兄弟が、再び "地球(Earth)" という同じ屋根の下に集うことは現代における喫緊の課題であると感じます。