この本は、私が参加している月例読書会の次回の課題図書なのですが、推薦者以外は誰も 「人新世(ひとしんせい)」 という言葉を知りませんでした。本書の "はじめに" のなかでは次のように説明されています。

 

人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいため、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは、地質学的に見て、地球は新たな年代に突入したと言い、それを 「人新生(Anthropocene:アントロポセン)」 と名付けた。人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代という意味である。

 

"地質学的" というと 「白亜紀」 とか 「カンブリア紀」 といった言葉を思い出しますが、仲田崇志さんが作成された 地質年代表 を見ると、「累代(Eon)>代(Era)>紀(Period)>世(Epoch)」 と階層化されている地質年代の "新世" にあたるのが "cene" のようです。

 

 

この表によれば、私たちは 「顕生累代(Phanerozoic)>新生代(Cenozoic)>第四紀(Quaternary)>完新世(Holocene)」 という地質年代を生きていることになります。Wikipedia では "完新世" を 「最終氷期が終わる約1万年前から現在まで(近未来も含む)を指し、その境界は、大陸ヨーロッパにおける氷床の消滅をもって定義された。」 と解説していますが、かつては "沖積世(Alluvium)" と呼ばれていたこともあるようです。

 

こうした地質年代に対して、クルッツェンが "人新世" という新たな区分を提唱したのは、氷河ならぬ 「人間たちの活動の痕跡」 が地球の表面を覆いつくしたという認識があるためです。それは、人類の経済活動が地球を破壊するレベルにまで拡大しているという危機感にほかなりません。本書において著者の斎藤幸平さんは、人類が人新生の時代に突入するに至った原因を詳細に分析したうえで、一刻の猶予もならぬ解決に向けた方向性を示唆しています。そのために、彼は 「資本」 について誰よりも深く考察したマルクスの思考を辿ります。

 

カール・マルクスは著書 『資本論』 において、資本の本質を 「G - W - G’」 の無限プロセスとして定式化しました。すなわち、G(貨幣:Gelt) が W(商品:Ware) を生産するために投資され、この商品が販売されることで、もとの貨幣よりも多くの貨幣(=剰余価値を含む貨幣) G’が生み出されるという基本サイクルが際限なく続くという見方です。当初マルクスは、この資本の論理が自己目的化した資本主義はやがて寡占化へと進み、民衆による革命によって自滅していくと予想しました。しかし現実には、資本主義は衰退するどころかグローバルに膨張し、その復元力を奪うほど自然を "搾取" したことで地球環境を "point of no return" にまで追い込みつつあります。

 

こうした状況に対して、斎藤さんはマルクスを手掛かりに打開策を模索します。しかしそのマルクスはこれまで一般に知られているマルクスではありません。"MEGA" と呼ばれる、世界各国の研究者が参加する共同プロジェクトとして編纂が進められている、新たな 『マルクス・エンゲルス全集』(Marx-Engels-Gesamtausgabe) に基づく新解釈で見えてきた"マルクス"です。この全集は、マルクスの膨大な 「研究ノート」 など初めて公開される新資料のみならず、マルクスとエンゲルスが書き残したものはどんなものでも網羅して出版することを目指しているといいます。

 

それらの新資料によれば、『資本論』 第1部を発表して以降のマルクスは、エコロジー研究と共同体研究に取り組んでいたことが分かっています。斎藤さんは、そこから浮かび上がってくるのは、マルクスがいわゆる 「進歩史観(生産力の発展こそが人類の歴史を前に進める原動力であるという考え方)」 を捨てて、新しい歴史観を打ち立てようとする血の滲むような努力の過程だといいます。そしてそれが、盟友のエンゲルスが強く待ち望んでいた 『資本論』 の第2部、第3部の執筆が遅れ、死期までに完成できなった理由でもあると。(現在の 『資本論』 第2部以降は、マルクスが残した草稿をもとにエンゲルスが編纂したものです)

 

斎藤さんは、最晩年のマルクスの資本主義批判の洞察のなかに、私たちが 「人新生」 の危機に立ち向かうためのヒントが埋められているといいます。彼はそれを 「脱成長コミュニズム」 という新しいコンセプトにまとめています。その詳細は本書の第5章から第8章を読んでいただくのが一番です。通常 「コミュニズム」 は 「共産主義」 と訳されますが、"community"(共同体) を基本とする政治体制と考えると、"公私(pubic/private)" とは異なる "共(common)" に焦点が当てられていることが分かります。宇沢弘文さんが提唱された 社会的共通資本 に通底するものが感じられます。

 

コロナ禍によってこれまでの生活様式が大きく揺さぶられていますが、斎藤さんのいう 「脱成長コミュニズム」 は、ポストコロナに向けたグランドデザインにもなり得るのではないかと思います。1987年生まれの33歳という若き俊英が発した骨太のメッセージを、日本の若い政治家たちもしっかりと受け止めて、今後の政策のなかに取り入れていってほしいものです。