我が子に感じる意外な「ギフト」 | わが家の 教育実験簿 ~ テディ録

わが家の 教育実験簿 ~ テディ録

2016年夏生まれの息子・テディと英語で生活したくて、
3歳半ばまで英語8割で話しかけていました。
が、思ってたとのとは違う方向へ育っている
息子と母の摸索の日々の記録です。
小学校受験、公文式数学幼児認定・中学認定(小1)を経て、
中学受験はどうしようか考え中。

 

皆様が読んでくださることが励みになっています

いつもありがとうございます ニコニコ ラブラブ 音譜

公文式数学を特に頑張っている小1テディ

学習や日々の記録などをしておりますが、基本的には

うちの子上げブログかも? ご了承ください
2022年小受終了→中受未定→2035年大学受験

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皆様、楽しいクリスマスをお過ごしでしょうか クリスマスツリーサンタプレゼント星

 

 

前回、「ギフテッド」について考えてみまして... 

 

いや、考えるまでもなく、基本的に、息子は普通のマイペース坊やなんですけれど 爆笑

 

 

  我が子にギフトを感じる時

 

それでも、テディに、

 

こういうのがギフトでは?ニコニコ と感じる時あります。

 

それは、

 

まわりの大人が一切教えていないのに、

好きだったり没頭すること

 

です。

 

ギフテッドの「ギフト」って、

 

= 天から生まれ持って授かったもの 昇天

 

ということです。

ならば、まわりの環境はあまり関係なく、すでに持っているもののはず!

 

例えば、一応「教育・お受験」ジャンルなので、あまり触れてこなかった話ですが...

テディは、創作ダンスが大好きで、TVのCMや番組のタイトル主題歌に合わせて、振付を考えるのが大好き!

 

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2歳の頃から、音楽に合わせて踊るのが、ただ身体を動かすというより、振付を一生懸命考えている風で、あれ?と思っていました。あ、多分に親バカ入ってますよ、きっと 爆笑

 

ダンスを習っているわけではありませんし、私は全くのダンス音痴なので、見る人がみたら、こんなのギフトじゃないと言う人もいると思います。

でも、夫も私もダンスに無縁なのに、こういうことを誰に言われるまでもなく始めるというのは、やはり「生まれ持ってきたもの」だと思ってしまいます 昇天

 

 

  ギフトを授かる理由って?

 

それで、ちょっと鼻息荒めに

 

物申す「ダンス習ったほうがいいよ!」

 

と誘ってみたこともあるのですが、

 

にやり「自分で自由に考えて踊るのが好き!

他の人に言われた振付で踊るのはつまらない」

 

と言われ続けています。

 

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特にダンサーになって欲しいわけでもなく、本人の希望通りにしています にっこり

 

ただ、あまりにも楽しそうにやっているので、別にこれでどうなる必要もないよね、本人が幸せになるための特性なんだよね?って思っています。

 

そういうのも含め「ギフト」ではないかと。

 

なんというか、飽くまで

 

本人が幸せになるため授かったもの

 

であって、

 

人と比べたり人から認めてもらうためのものではない

 

のですよね。

そういう風にとらえていた方が幸せかもしれない ニコニコ笑い

 

 

  勉強に「ギフト」を感じない理由

 

現時点で「得意だよね」と言っていいであろう、算数・数学。

 

これは、2歳半から公文式に通っていますからね 爆笑

 

天が与えたギフトというよりは、後天的なトレーニングによるものだと思っています。

 

それもあって、テディのテストが多少良くても、なんかびっくりしないというか、まぁあれだけやってれば当たり前だよねと思っていたりもします イヒ

 

ただ、

 

・ 当時から数字への興味はあった

・ 2歳半から続けられている

 

という点で、適正はあると思いますし、それはもしかしたら、ギフトなのかもしれません。

 

だけれど、多分、ただ放っておいたら、巷のスーパーキッズみたいに、4歳で四則演算を自ら自然にマスターした!なんてことはしなくて、学年相応のことしかしてなくて、今、国語でそれなりに苦労してるみたいに苦労してたのかもしれないなぁ、なんて思う時もあります 爆笑

 

そういう意味で普通の子です。

 

それにもう、それなりに検定やら試験やら、つまりは人に認めてもらうためにやっている部分もあって、純粋に楽しんでいるだけではありません。

 

ダンスは放置してても、やってますからね。本当に純粋に好きなんだと思います。

 

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今後、誰かにカッコいいと思ってもらうためにレッスン受けたい!と言い出すのか、全く踊らなくなってしまうのか、そのあたりはよくわかりませんが。

 

とはいっても、もし私が、ダンスのことに詳しくて、ダンスの早期教育を受けさせていたら、今、算数・数学に関して感じるのと全く同じことを思っているかも知れませんけれどね 爆笑

 

 

  アメリカでの「ギフテッド」教育に立ち返って考えると

 

ところで、前回の記事でも紹介した、アメリカの"Gifted and Talented"プログラムは、学校の中でのことなので、後天的な努力も含んでの意味だと思います。

 

生まれ持っての天才だけでなく、成績維持のために努力できることも含んで才能とみなしているのでしょうか。

 

その子たち、成績や素行はいいですが、10000人に1人とか、何年に1人みたいな、そこまで特出した何かがあったわけでもないと思います。

 

でも、そのプログラムに所属することで、まわりの手本になろうとする気持ちや、いい意味でのプライドや自信があるようでした。地域のリーダー教育の一貫的なものかも? 
 

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ちなみに、アメリカでは、IQ150以上の子のみがいけるような天才児教育実験校のようなものも存在するなんて話も日本では耳にしますけれど、私のいた地域の学区にはなかったようで、この"Gifted and Talented"プログラムのみでした。そこに通う子たちは、さらなる別枠だと思いますけれど...

 

とはいえ、私が知る限り、そしてアメリカの友人にも聞いた限り、地域性もあると思いますが、そのプログラムの枠を巡って激しく争うということは、特にないようです。

 

四谷大塚の「でてこい、未来のリーダーたち」ってキャッチコピーを初めて聞いた時、結構、ここにフィットする感じがしました。ようやく日本でも勉強できる子が輝ける場所もある時代がきたなー!というか。それでいて、これからの世の中は、いわゆる勉強だけでもない時代になっていくことでしょう。

 

それでも、日本はアメリカに比べたら、課金戦争やら含めて、もっとずっと競争が激しいように思います。ですので、テディがこれからどういう道を選んでいくのか、さらに中学受験への適正も見ながら、折に触れ、話していこうと思っているところです。

 

なににせよ、「ギフテッド」という言葉は、少なくとも

 

多くのこどもの成長に寄与する使われ方をする言葉

 

であって欲しいなと願うばかりです ニコニコ飛び出すハート