公文式である決断をした時、たまたま公文式の先輩お母様からいただいたコメント、メッセージで、私の浅はかさを思い知らされた話の続きです。
ネットなどでよく、くもんで一番つらかったのは、〇教材だとか△教材だとか言うのを見ており...
テディに関しては、楽ではなかったのですが、正直、思ったよりそこはスムーズに終わったなという印象がありました。
そんなこともあり、テディが2歳頃から、この子は数に興味があるなとは思ってはいましたが、それが
あ、この子はやっぱり算数・数学に適正ある!?
と変わって来てしまっておりました。
公文式の弊害?
とはいえ、よく公文式に対する批判として、計算だけで頭を使っていないというものがあり... 私もそれを全く懸念していなかったわけではありません。
でも...
・計算を、日常生活の算数にリンクさせて考えることができていれば、弊害はないと思っていた
例えば、テディは、〇〇線のドアがいくつあるか?などを、1両に8ドアあって、〇両編成だから...などと自分で思いついて考えていたので、今の時点では十分だと判断していました。
・算数というよりパズルとして取り組んでいる面もあった
大人からしたら四則演算はただの四則演算でしかありませんが、式を解くということは、例えば「筆算のお作法」や「足し算よりも掛け算が先」などの、沢山の条件をふまえて解くというパズルのようなものでもあると思います。
これは、いわゆるひらめき問題とは系統は違いますが、「頭を使わず機械的に解いているだけ」という言われ方はピンとこないなと感じていました。
※ ですが、公文式は合う合わないがあると思うので、否定的な方がいらっしゃることは理解できますし、議論するつもりは露ほどもありません。下のpickで紹介しているようなものと違って、人に敢えて薦めることもありません。
高校数学が解ける小学生ではなく…
とは言え、
小4で最終教材を終わらせたお子さんのいらっしゃる先輩お母様のお話をお伺いして、私は衝撃でいっぱいになりました。
色々とお聞かせいただいたのですが、その中で特に私の印象に残ったことは、
ということでした。
これ、
高校数学が解ける小学生になるには?
数学が得意な小学生になるには?
というより、素地、才能はもちろんですが、
その子に数学への興味があるかどうか?
そこに尽きるのかなと思いました。
勘違い母の、反省点
しかしこれは、数学に限った話ではないですね。
解かせるにはどうしたら?
ではなくて、
自分の興味で勝手に解く世界
もはや、親の「あの手この手」なんて、とっくに離れているのです。
過去にもこんな記事
を書いたりしていたわりに、
まだまだ親が今後どうこうできると思っている時点で、非常に思い上がっていたなと気付きました
まだ年齢的に、ある程度の興味付けまではしてもいいのかなとは思いますが...
勘違い母の、さらなる反省点
また、このご家庭には、下のお子さんもいらっしゃるのですが、下のお子さんについては、
ともおっしゃっていることも印象的でした。
これを聞いて、確かに、
テディは数に興味のある子だったけれど、
そして、他の取り組みよりも圧倒的に伸びたので適性があるかな?と思っていたけれど、
それイコール数学への興味や適性までがあるかどうかはわからないなと思い直しました。
算数→数学と名前を変えるだけあって、これからは別物がスタートすると考えた方がよさそうです。
過去にとらわれず、今を見よう
幼児期の「取り組み」を振り返ると、一番時間を費やしたのは算数だったと思うし、
今までは、ここまでやったのだから... という気持ちも強かったのですが、
もし本人に興味がないのなら、
今後はもう、すでに過去になりつつあるその時間に縛られたりとらわれたりする必要はないのかな、とも思えるようになりました。
それよりも、今のテディを見よう。
仮に今高校数学にすぐつながらないとしても、
処理能力と暗算力がついたことで、ひとまず小学校での算数には自信を持って取り組めるでしょう。
そして、少なくとも、机に向かう習慣、脳トレとしても、幼児期に公文式算数に出会えたことはよかったのではないかしら(親目線では)。
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さてさて、フォローフィードが、「全統小」の文字でいっぱい!
ミーハー母としては、自分が受けるんじゃないのに、なんかイベント参加な気分で、受けて欲しかったー!となどと思ってしまいます
(昨年度の様子)