そろそろ七夕... ということで、保育園とピアノ教室で、短冊を書いたテディ。
保育園
「〇〇くん、△△くん、□□くん、◇◇くんとなかよくあそびたいです」
(母の心の声: 仲良しが多いのはいいけど、女の子は書かないんだ~)
ピアノ
「ぴあのがすきです。☆☆せんせいといっしょにがんばります」
...なんというか、すごい、空気読んでる! 空気が読めるようになったんだー!と思う反面、これはこれで、
空気読みすぎてませんか? 大丈夫?
とも思ったり...本当は、「プラレールがほしいです」って書きたいんでしょ?
ちなみに昨年は、「すいかがきりたいです」と突然書いて笑わせてくれました
※ 今年の短冊は、個人情報が出まくりなので、載せることを控えます
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さて、公文式の先輩お母様・風の向くままさんの記事に、色々と考えさせられているところです。
是非本文読んでいただきたいのですが、
(やりたいことだけやらせる)覚悟がなくて、満遍なく”勉強”させてしまう
所詮、多少はいい大学に行って欲しいとか思ってる
というあたり、私がモヤモヤと考えていたことを、綺麗に言葉にしてくださったなぁと、ありがたく思って、共感しながら読みました。
そもそも、私は「多少はいい大学」に入るであろう大学(KO)に行ったのに後に色々と悩んだケースなので、大学だけではない! 大学にこだわってはいけない!と大いに思っているはずなのですが、中受や大学信仰の教育も大分受けているので、根本にこういうのあるんだろうなぁ。
大学に行ったからなんとかなるような時代では全くないうえ、その大学も幼児期から勉強しなくても普通に行きやすい時代かな?と、個人的には思うんですけれどね...。
じゃあ、何が必要なのか... というと、少し前のひろゆき氏の動画が面白かったので、載せてみます。
抜粋すると、こんな感じ↓のお話です
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コスパの良さで行くと5歳くらいまでで(略)、親が家にいることにリソースをつっこむ
0歳から5歳まで保育園に預けたり、あんまり親と子が接点がないという状態にしちゃうよりも、働くというのをあきらめて、どちらかの親が付きっきりでいるというほうが長期的にはコスパが良い気がする
(以下、行間開けてる部分も略してあります)
勉強を教えるって何とかなる、そんなに能力値なくても詰め込めば普通の大学受かるくらいは何とかなる
良い大学に行って学歴をとったからといって、その子が社会人になって通用するかというと(略)、社会を生きていく上で必要なスキルと学歴って実はちょっとズレがある
数学・算数っていくらでも計算機があるので暗算する必要ないよねとか(略)、
英語喋れるほうが便利だよねはあるんですけど、じゃあ別にグーグルトランスレート使って良くね?(略)
実はその人自身が自身がやらなくても何とかなるものって多い
じゃあ必要なのって、これが必要だよねっていう時にそれを勉強するとか、それの調べ方覚えるとか、例えば突然スペインに出張して下さいって言われた時にスペイン語である程度挨拶して会話できて片言でも仕事が進められるようになるっていう度胸だったりする方が重要
他の国に行ってなんとなく友達を作って、なんとなく知り合いに助けてもらって仕事を進めたり(略)そういう感じのスキルというのが実は5歳くらいまでに伸びる影響が結構でかいと言われていて非認知能力と言われるんですけどそこの時間に投資したほうが良い
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これに対して私は、テディの場合は一人っ子だし、私とずっとべったり一緒にいるより、むしろ保育園で同世代の子どもたちとの関わり方を身につける時間もあった方が、ひろゆき氏のいう「非認知能力」につながるのではないかな?と思うのですが(なのでお勉強よりひたすら自由遊びの多い園を敢えて選びました)、
社会を生きていく上で必要なスキルと学歴って実はちょっとズレがある
なんてあたりは、とても強く同意しています。
結局は、
自分が本当に好きなことが何かを、自分で見つけられること
そのうえで、それを自分は成し遂げられる!と思えること
(その過程で、困難にぶつかっても、広い視点で、何度でも試行錯誤できること...)←ここも大事。そして時には方向転換する勇気とか...
このあたりなのかなーと、今の私は思うのですが...
1. ここの確立の仕方って、山ほど参考書がでているいわゆる学校のお勉強が、私の子供時代に比べてずっと楽しく学べるように開発されてきているのに比べて、まだまだ未開発で、なかなか目に見えてきづらい分野でもあると思うので、保険として、とりあえず勉強しておこうかに傾いてしてしまっているようにも思います。
2. また、私は、中学まで理数系が得意だったのに、突然高校で落ちこぼれたケースで、これについてはかなり後悔もあります(本当にやりたければ、何歳からでも勉強しなおせばいいのですが)。
感覚としては、中学までの内容を小学校でやって、高校の内容を中高6年かけてやればいいのに...と言う感じでした。なので、テディには、とにかく高校数学まで一通り目を通しておいて、先にこんなのがでてくるんだというのは知ったうえで学年相応の勉強に臨んで欲しいなという気持ちもあります(これ、遠回りに聞こえるのか、あまり人に話しても共感はしてもらえないのですが...)。
3. そしてやっぱり、53は素数だけど、57は素数のようで素数じゃない!とか、56は何と何と何で割れるか?約数を全部考えて嬉しそうにしていたり、今朝も保育園に行く道で、こどもちゃれんじすてっぷの、ひらがな工場ごっこで、拗音(ゃゅょ)や促音(っ)の言葉を見つけて作りながら楽しそうにしている様子を見ていると...
プラレールだけさせるのももしかしたらアリなのかもだけれど、プラレール以外の世界も少しでも知ってもらうためにも、1日のうちの短時間なら勉強時間を作っても悪くないのかな?などと思ってしまうのですよね そして、自分で読書を楽しむようになったら、もっと自分で世界を広げていってくれるであろうことも期待!
ちなみに、テディは電車の運転士さんになりたいらしいですが、プラレールだけしていても、電車の運転士さんになれるわけではないということには、まだ全然ピンときていないようです (もしかしたら、立体的に組み立てる能力が少しは向上しているかも知れませんが、それはまた違うお仕事かなと。それよりむしろ運転士さんに必要なのは算数・数学では?などと母は思ったりしています... )
↓これは、かなり、運転士さんなりきり気分が味わえて楽しいんですけれどね
続きというほどではありませんが、補足的な記事を書きましたのでよろしければ...
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しょっ中、線路を組み替えては、そこを走らせて悦に入っています、でも、設計じゃなくて運転がしたいんですって
※本文、一部白地反転を作りました。不自然なスペースのあるところです。ここまで読んでくださってる方ってあまりいないだろうなぁと思うので、敢えて書いてみました。