毎日試行錯誤の中、テディを育てておりますが...
先日も、風の向くままさんのブログ記事から、沢山の気づきをいただきましたが、今回また、ドリーム72さん(幼児教室)のブログで、色々と考えさせられました。
「いい子よりも幸せな子に」
そして、
「いい子は一歩間違えると、
大人にとって都合のいい子になりがち」
という言葉から始まる記事なのですが、これを読んだ日、一つ前の記事で書いたテディの七夕の短冊の件もあって、ちょっと悩んでいたのです。
テディ、私や先生に認められたい、怒られたくないという気持ちから、純粋な願いではなくて、優等生的な内容を書いてしまったのではないか、と?
それで、何だかいても立ってもいられなくなってしまって、この記事に出てくる「Aちゃん」が「爆発する前にはどう接すればよかったのでしょうか」という質問を差し上げましたところ...
結構、この記事を読んで動揺してしまったので、コメント欄で質問を差し上げているのも、今から読むと唐突で不躾な感じになってしまっているのにも関わらず...
記事にしてくださって、さらに、わかりやすく丁寧だと感じるご回答をくださいました
......正直、この記事を読んで、涙が出ました
是非、元記事を読んでいただきたいので、伏字にしますが、
「2歳をすぎたら、褒めることより
〇〇〇ことを大切に」
という趣旨のご回答をくださったのですが
...そうか、そういうことだったのか!
ずっと、嫌なことは強制しすぎないように、できるだけ自分から行動させるように、ほめ過ぎないように、注意し過ぎないように... などなど、色々考えてはいても、空回り+迷走していた私の育児ですが、いろんなことがつながった思いがしました。
そして、私の突然に質問にも関わらず、こんなに丁寧にブログ記事にしてくださった、ドリーム72の三浦様の温かいご対応が、本当に嬉しくて、胸がいっぱいになって、つい感極まってしまったんです...
もちろん、この言葉をどれだけ自分の中でかみ砕いて落とし込んでいけるかは、対テディだけでなく、対自分自身に対してもできているか、今の私の在り方にも関わってくると思うのですが、重大な道標をいただいたように思いましたので、是非、このブログでも紹介したいと思いました。
*
さて、少し話が変わるのですが、私の母は、最初、テディの公文式には反対派でした。でも最近は、この子がこれだけ頑張っているのなら、応援しようという気持ちに少しなってくれているようです。
が、今でも時折、
「〇〇くん(私と同年代の母の友人の子)、公文式で優秀だったのよねぇ。
△△中学(テディが中学受験をするなら目指して欲しいなぁと私が秘かに思っている学校の1つ)にも行ったのよねぇ...」
と言ってきます。
その後、〇〇くんは、第一志望だった東大を諦め、でも誰が聞いても立派な国立大学に進学したのですが... 色々あって、結果、ひきこもりのような生活を送るようになってしまった... と言う意味も込めて...。
いや、ひきこもることがその人の幸せで、自分でその生活を望んで成り立たせているのかも知れませんし(でも多分違う感じ)、いずれにせよ基本、他人がどうこう思ったり言ったりすることではないとも思うのですが...
「幸せな子よりもいい子に」
を親も子も無意識に目指してしまったがゆえの、「いい子よりも幸せな子に」の逆パターンに、私には見えました。いやこれ、〇〇くんだけでなく、ひと昔前のいい子教育や競争教育に浸かっていた私にも、大いにありえたことだと思うので、本当に他人事じゃないのです(母は気づかずに話してるみたいですが...。私もテディを産む少し前くらいまで、東大を目指していれば今よりもっと幸せだったに違いない!などと本気で思っていたので...)
注: 勉強を頑張ったり東大を目指すことに弊害があるという意味ではなく、その根本にある原動力がなんだったのか?が大事だと思うという意味で書いています
*
一つ前の記事で、
自分が本当に好きなことが何かを、自分で見つけられること
そのうえで、それを自分は成し遂げられる!と思えること
と書きましたが、
「自分が本当に好きなことが何か」、
↑ここのところを無意識に(無意識だから怖いのです)
親の望んでいることを、
自分の好きなことや望んでいることだと
思い込むことがないように!
その結果、本当は嫌なことを、
親のために無理し過ぎて頑張り過ぎて
成し遂げようとすることがないように...!
これからもテディに、いろんな世界を見せることはしつつも、そこは気を付けてバランスを取るようにしていこう、と強く思ったのでした。
蚊に刺されたくないから!とこの暑いのに長袖を選ぶテディ…