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続・日々コラム・・・

Shen Teh n Shui Ta = hen na TeTSuShi・・・

いまさら、素人考えでTPPの議論に参加してもしょうがないのですけれども、ずっと以前の『米一粒たりとも』という時代から、この図式って変わってないのが面白い気がします。

この図式って、日本の農業を保護するってことで、当時から保護すりゃいいけど『一粒たりとも』ってのはなあ、と思っていましたが、その保護も薄くなったような、少なくとも過剰なものでは無くなってきたのは間違いありません。

農業、決して優遇されているとも言えない昨今ですけれども、それでも社会にあふれる『『ワークング・プアー』のことを考えると、ああ、農業なら所得補償でもなんでもしてもらえるのか、というだけの優遇はあるんですね。

いっそ、ある程度不便な地方で生活をしながら、過酷な自然と闘いながらでも、農業やってりゃ、都会のワーキングプアーがうらやむような生活の保障があるのなら、そっちの方が『お得』なので、移住・転職するひとが増えてくる、ってとこまで手厚くやってたら、とも思います。

国のお金、いくらあっても足りないでしょうけど・・・。

そういえば、バブル時は、公務員は人気がなかったんです。
民間の社員は派手に儲けて、遊んで、転職もしてって時に、地味だったんですね、いろいろと。

でも、その頃は、不況になれば公務員がよくなる、って悔し紛れ?に言っては救われていたのですけれど、今となっては、それから20年もまさにその状態。

公務員とか、銀行員とか、安定こそ最高の仕事。
首にならないし、信用抜群。

ま、考えてみりゃ、農業もそうなんですけど。

日本にハロウィンが定着してきた感じがします。


町中を仮装して歩いている姿はあまり見かけませんが、各所でパーティがもたれて、それ以前にお店の装飾は、この時期カボチャだらけになります。


そもそもハロウィンってなんなんだ、という事はさておき、これも世界中で行われているイベントなので、世界の人とシェアできるのは良いことです。


僕が、高校生のときの大ヒット映画、スピルバーグの『ET』の字幕では、『ハロウィン』は『仮装パーティ』とだけ紹介されてました。まだ、ハロウィンってものが認知されていなかったんですね。


いまだに、お正月はHappy, クリスマスはMerry,ですけど、ハロウィンは、ハローかと思ってたりします。なんでハッピーなのか、どうもよくわからんのですけど。


ま、そんな25年前に、すでに仮装して大阪の町を歩いていた私、写真があればお見せしたいのですけど、どこへ行ったもんやら行方不明。

ハロウィンが浸透していなかった当時には、とってもお馬鹿にみえたのは間違いないのですけど、以外にビックリされなかったのは、たぶん文化祭のイベントかなんかで、馬鹿な学生がやっているんだと思われていたからなんでしょう。


いっそ、日本は、文化の日の仮装でいいんじゃないかとも思ったりします。

12月から、プチっとコーナー・プロデュースをさせてもらうFMラジオの打ち合わせしてきました。


毎週土曜日、午後17:00~お友達のカオルさんがやっている番組の一コーナーなんですけれども、

(コミュFMですけれどもネットはもちろん、スマホで生聴取できます、おたのしみに)

FMせたがや


そのコンセプトとして「食堂車」という想定をしました。


おもえば、食堂車にはいろいろな思い出があります。


ちょっと前までは、岡山東京間は新幹線ひかり号の時代で、あの懐かしい食堂車がありました。

今は、のぞみ号で3時間ちょっと、それなら食事している暇もないし、ビュッフェで十分です。


いまはほとんどなくなってしまったJRの食堂車も、ノスタルジックな感じがするのですけれども、外国、アメリカ・ヨーロッパの鉄道は、これまたいい雰囲気があります。


もともと、長距離の長旅の列車、お金持ちの裕福な旅に応えるための、一流のレストランに負けないサービスが要求されたわけです。


何度か利用した思いであります。

思い出しても、とてもお洒落で、落ちつく空間の、決して仮設ではない旅ならでは贅沢な時間がある場所でした。


ところが、今調べてみると、やはり鉄道経営的には、あの食堂車を維持するのは大変なことらしくて、ヨーロッパでもどんどん廃止されているらしいです。


簡単なビュッフェと売店があれば、あとは座席で過ごしてもらって、そんなことよりも早く目的地に運ぶスピード技術。


スローライフって、もう戻ってこないのかなと思うと寂しい感じもします。


で、この食堂車コーナーは、ちょっくら、落ちつく、ほっくらした内容にしたいと思っています。

。

神田外語大学のキャンパスは、幕張のプチ摩天楼がみえてちょっとニューヨーカーな感じでした。


11月と言えば霜月。

友人によると、ニューヨークは、既に雪が積もったらしいのですけれども、こちらのエセニュ-ヨークは、霜どころか半袖上等な感じの暖かさでした。


あまりの眩しい太陽光線に、顔が美川さん風に歪んでますけど・・・


まぁ、天気がいい、暖かい、ってのが、良い話題と素直に思えなくなっている今日この頃です。


誰が悪いのか、なにが可笑しいのか分かりませんけど、とりあえず火は燃やすな、原子力は使うな、ということみたいです。


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「悲劇的なのは死ではなく、生の滑稽で悲惨なパロディと化した老いである。」(ぼーぼわーる)

『老い』をテーマにすこし考えている機会がありました。
いつかは直面しなければならない事だと思います。
本当は、いまもそうだんだろうとも思っています。

私、生きて生き恥をさらしております。

まあ、生のパロディというか、若さのパロディってところです。
年齢同一性障害の会としては・・。

しかしこの世に生まれてきた超目標はなんだろうかと考えたら、目標なんて具体的なものを考えたこともなく毎日を過ごしているわけです。

人生の目標なんて、無理に考えてしまうと、綺麗事になってしまいます。
他人様の人生は他人様に考えてもらって、やはり自分としてどう生きるか、という事だと思います。

そのうえで、人様の幸福のお役に立ちたい、と本気で思えるなら自分も大したものだとおもうのですけれども、やはり自分に返ってこない幸せまで、一生懸命に届けるほどいい人にはなれそうもありません。

できるだけ、同じ幸福を共有していただける人を増やして、そこで生きていきたいものです。



通りがかり、というか必ず通る道なのですけれども、東京駅・八重洲の地下で『ドールハウスの世界』という展示がされています。


英国の生活空間を、ミニチュアで再現しているものです。


ちょっと、大き目のシルバニアファミリーみたいなかんじですけど、その精度が違います。


さらに、これはそれぞれの職業や地域の暮らしを再現していて、資料としてもとても優れているものです。


こういうジオラマって、夢がふくらんで良い感じです。


英国の暮らし、という意味で、シェイクスピアの生きた時代を、現物とジオラマで再現しているのが、千葉県の房総にある、丸山町のシェイクスピアカントリーパーク。


さらに、神田外語大学が、福島県の白河に作ったブリティッシュ・ヒルズなんていう、これは行ったことないのですけれども、研修施設でしょうか、等身大で味わえるはずです。


ま、ヨーロッパの暮らしは、わかっているようでわかっていない事が多いです。

特に中世とか貴族の話になると、いろいろと滑稽です。


ま、それが、たのしみなんですけれども・・・。


最近、重要な事しか覚えなくなってきて、すると重要でないことも放置しておくと重要になってしまったりするもので・・。


歯磨き粉がな切れて、買おうと思っていても、ついつい忘れてやはり歯磨き粉無しの毎日が続き、それぞれ旅行の戦利品で誤魔化し続けてはみたものの、今日こそは買わないとダメだ、というところまで毎日放置。


歯磨きは無くなると以外に代用品が無いものです。


ところが、歯磨き粉は「それを買う」という目的さえもって出かければ、近所のコンビニでも確実に売っているので、「なにかのついでに」という身分からちょっと上げるとそれでなんとかなります。


このところ、セロテープがその運命になっていました。

案内資料を一枚つくるのに、最後の仕上げに使う予定のセロテープが切れていて、最後のところで止まってました。

それも何と3日も。


このセロテープ、代用するとなると糊か、他の粘着テープなのですけれども、事情があって透明のセロテープがどうしても必要だったのです。

透明でなくてもよいのなら、このさいバンドエイドかなんかでよいのですけれども・・・。


ということで、その「うっかり」が連日続くと、コンビニを見るとセロテープが連想されるようになって、無事購入、と思いきや、コンビニに売っているセロテープって、ちっちゃくて使えなかったんですね。


普通に文房具店か、せめて100均一ショップの開いている時間に、わざわざ買いに行くことにします。


何事も、仕事はためない事が重要です。

偶然にもご近所に、関係者の皆さんが終結。

神田外語大学でポーランドの一人芝居を拝見。

ヒトラーとチャップリンを演じ、ストーリーテリングから、ダンス、歌、マイムを織り交ぜた、一人芝居の王道って感じでした。


そして夜はごっそりと、シアターχへ移動して、こっちは東京日仏学院、フランスのとてもアヴァンギャルドな一人芝居。

まさに、フランス前衛って感じの思い切った客席置き去りと、クライマックスへの流れ、歪さと新しさがありました。


アバンギャルドは、ものすごい基礎的な下地の技量が問われます。演者にか、演出にかにかかわらず、これがないとただの変ななこと、になってしまいます。


この、見たことのないヘンチクリンが、スタイルとしてスタンダードになっていくかどうかは、これからの世間との対話次第ってところでしょう。


そして、アトリエセンティオでは、やっと見つけた時間で、矢野さんのshelfのイプセンを拝見できました。

矢野さん的な構成、そしてイプセンを現在日本の素材で再調理している試み、(シェフじゃなくてシェルフなんですけど)これまた、東欧、西洋、と比較して興味深い買ったです。


このあと、僕(たち)は、来年の新・ロミオとジュリエット、そして宮沢賢治と、創作の戦いが始まります。

おおいに刺激をいただきました。


パフォーマンス用語としてのハプニングと、一般日本語としてのそれは微妙な違いがあるのです。


今日は、わが地元でポーランドから来日のみなさんが仕掛けるハプニング。


なので、だれも事前に知らないのですけれども、朝、

「今日のハプニングは予定通り行われますか?」

と聞く可笑しさ。


さて、どこでなにがおこるかお楽しみ。


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こんな感じでした。

ポーランドから、放射能汚染の心配もあったでしょうに、それになんといっても、この超超円高、東欧の方にとっては大変な生涯だったろうにと、来日に感謝します。



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おもいっきり異教徒なんですけれども、教会が好きです。


海外にいたとき、ここだけは本当に居場所だと思えました。

外国の立派な教会は、広くて、荘厳で、しかも落ちついています。


そこには、いつでもいていいよ、言われている気がして、独りで活動しているときは、心の休まる空間。コーヒーショップやパブなんかよりも、よほど落ちつくものでした。


写真は、スペインのセビージャの有名なカテドラルの中です。

どうやってこの撮影をしたのか覚えていませんが、この後ろ頭は僕です。

そして、一人旅でしたし、この日は朝から一日、全く飽きることなくセビージャの町を歩き、昼食もとらずに歩き、歩き、歩き、考えてみれば誰ともしゃべらず声を出さなかった日でした。


日本にもこういう場所があればいいのに、と思います。