オフィーリアの運命 | 続・日々コラム・・・

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自殺された方の数が14年連続で3万人越え。

交通事故死はずいぶん減ったとはいえ8千人。

ゼロでもいいはずなのに、不思議と安定しているこの数字がいつもおそろしく感じます。


人の運命は誰にもわかりません。

昨年、本当にたくさん、予想していなかった方々が亡くなられてしまいました。

かの大震災では、直接の友人知人にご不幸はなかったのですけれども、若い方、同世代の人の訃報を聞きました。


上り坂、下り坂、そして人生の3つ目の坂は『まさか』。

どんなことが起こっても、踏ん張って生きている知恵や理屈はもっていても、予想の出来ない状況になることだってあります。

そして、自分ではどすることもできなものもあります。


神様が世の中にいたとしたら、あ、この世にいないから神様か・・・


神じゃないかもしれないけど、僕らの運命を決めているメンバーがいるとしたら、

それはたぶん、神様仏様のような人格者じゃなくて、結構シビアな査察官なんじゃないかと思います。


上の写真は、ずいぶん昔にイタリアのコモの湖畔で撮影したものです。

(これでも仕事中です)

後ろのBMWは愛車です、ってのは嘘で、レンタカーです。

このレンタカー、このあと木端微塵になるのです。


遠路、モナコに移動する途中で、スリップ事故を起こしてしまいました。

当時、レーサーのライセンスももっていたのですけど(1997年まで)

高速道路でスピンしたのは後にも先にもこれが初めて。

このときに、猛スピードの大型トラックが隣の車線をクラクション慣らしながら走り抜けて行きました。


このトラックと同じ車線にいたら・・・。

1/2の確率です。

後になって思い出しても、背筋がぞっとします。


そして、どうして僕はこのとき助かったのだろう、と考えたとき、

誰かが、「こいつはまだ必要だ。この世に必要とされている。」

と判断してくれたんじゃないかと思いました。


なので、勝手に二つの自信を持ちました。


僕は、死ぬような事故には合わない。

僕は、何かに必要とされている。


なので、少々辛くても逃げ出すのはもったいないと考えうようになりました。

聞きかじった人権の理論で、自殺の反対、否定の主張もしてきました。

厳しいことも申しました。


しかし最近、齢を重ねて、「生き疲れ」ってあるんだろうなあ、と思うようになりました。

ひとそれぞれ、運命に身をゆだねながら、抗いながら、生きているんだと思います。

亡くなられた方の気持ちなんて、他人が分かるはずもありません。


どこで終わろうとも、それぞれの人の人生を尊重してあげたいと思います。