一番印象に残ってるレースは大阪で行われた国体、なみはや国体の
4km速度競走で3位になれたこと。
MTBブームも去り、会社の自転車部門の業績も悪くなって、とうとうチームが休部となってしまった。
会社あっての実業団チームなので業績次第では致し方のない事です。
私はスギノ時代に同じ経験をしているので「やっぱりな」と言う感じだった。
当然ながら練習時間を頂いていたのが普通に定時までの勤務になる。
それでも、何かの縁かアートネイチャーがメインスポンサーのチームで走らせていただく事になった。
会社自体は辞めずに休日を利用したトレーニングやレース参戦になる。
30歳を越えた頃だったので、どこで第一線から身を引くか?
そんな事を考える様になっていた。
「やる事ないから取り合えずレース活動を続けてます」みたいな選手には絶対になりたくなかった。
何事も引き際が肝心.。
全日本で上位を目指すような選手はどこかで区切りを付けなければいけない。
武士の様に潔く。
最後にもう一花咲かせよう!腐りかけてた気持ちを奮い立たせて新たなチームで走る決心をした。
数年前の国体4km速度競走で決勝に上がりながらも最下位(10位)で入賞を逃していた。
決勝は、10人出走で入賞は8位まで、情けないやら恥ずかしいやら悔しいやら。
これは、入賞するまで辞められないなぁと思っていたところの休部宣言だった。
さあ、目標がはっきり決まったので後は目標に向かって頑張るだけだ。
とは言っても国体で入賞するにはそんなに簡単にはいかない事は百も承知
走力の底上げ、短所を克服し長所も伸ばさないと決勝にも進めない。
4km速度競走の特徴はゼロからのスタート発進、ここで足を使ってしまうと話にならない。
ゼロ発進のスタンディング走、実は自分が苦手としている走行だった。
と言う事で、スタンディングのインターバルトレーニングに取り組んだ。
積極的にバンク練習にも出かけてロード選手からピスト選手に肉体改造。
ウエイトも背筋力(引く力)をメインに練習した。
1年のシーズンを国体だけに賭ける、他のレースは全てトレーニング(捨て)レース。
国体前は、怪我や風邪をひくことさえ許されない。
異様なプレッシャーが自分に圧し掛かる。
でも不安な要素は、ハードなトレーニングでプレッシャーも撥ね退けた。
機材も体調も走力も全て準備万端で国体に挑む事が出来た。
後は結果のみ、ただ死力を尽くして走るのみ。
↓4km速度競走予選前日に走ったチームパシュート。
当然ながら調整レース(苦笑)
3番手はMAVICの偉いさんM氏。
もう、昨年の自分とは別人だった。
余裕の走りで決勝まで難なく進めた。
福井県代表として出走しているが、地元開催の大阪国体は格別なもの。
バンクも日頃練習している河内長野のKCSC(関西サイクルスポーツセンター)
走り慣れたバンクも、自分にとって追い風となった。
●4km速度競走とは?
数名以上の選手が、ホームストレッチのS.F.ライン(スタート・フィニッシュライン)上に横一列に並び、スタータの号砲により一斉にスタートします。4,000m(400m×10周回)を走る間に、ホーム側とバック側で定められた回数を先頭で通過(先頭責任)し、フィニッシュの順位を競う競技です。
順位決定は、与えられた先頭責任を完了した競技者のフィニッシュ着順によります。先頭責任はホーム、バック両方で必要本数獲得しなければなりません。したがって、先頭でフィニッシュしても1位になるとは限らない競技です。
予選・準決勝を経てあくる日は、朝一番の決勝レース。
作戦はとにかく8位でもいいから入賞狙い。
先頭責任を完了すれば、必ず入賞出来るから隙があれば、全力で先頭責任を取りに行く。
朝から全開モガキの速度競走。(とてもハードな競技です)
アップも十分にして、朝食も消化の良い物。
スタートオイルを足に塗ってもらいスタートラインにつく。
号砲一発スタート!
前半は、何時もの様にハイスピードな展開、自分は機を狙って後方待機。
中盤になって地元大阪府代表のU阪さんが逃げる。
U阪さんは、この4km速度のスペシャリスト、ここで逃がしてしまえば後々ややこしくなると
自分もフルアタックで追走する(ハーフスピードからのダッシュは最も得意としている)
誰も付いて来ないのを確認して2人で逃げ態勢に。
ここで先頭責任(ホーム1本・バック1本)をなんとか取る事が出来た。
Y沢氏の叫ぶ声がバンクじゅうに響き渡った(バック取って無いぞ!早よ取らんかい)
大先輩のありがたい声援である(笑)
先頭責任を完了した瞬間の喜びは今でも鮮明だ。
2人のペースが弱まり、後方から同じチームメイトのT橋君・K野選手・N澤選手が加わって
またペースが上がる。
勝負の行方はこの5人に絞られた。
ジャンが鳴って後1周。
自分が押し出されるように先行態勢になった。
もう入賞も決まったようなもので思いっきり先行する事にした。
U坂さんとT橋君に抜かれたが粘って3位でフィニッシュ。
優勝はT橋君で、2位はこの試合で引退宣言をしていたU阪さん。
最後の最後までU阪さんに勝つ事は出来なかった。本当に偉大な選手です。
福井新聞の記事。
左の選手は少年4km速度で優勝した、現競輪選手の渡辺十夢君。
一大イベントの試合を終えて、自分の中での幕引きのシナリオ、「入賞して引退」から
「優勝して引退」に変わっていた(笑)
人間とは本当に欲深いもので、あれほど夢にまで見た国体入賞が叶った瞬間に次は優勝を!と
この後、2000年の富山国体で引退するまで優勝を追い続けたが夢は叶わず。
それでも、大阪国体から富山国体まで4年連続、4km速度競走で入賞することが出来た。
この4年連続入賞と、国体個人種目のロードレース・ポイントレース・4km速度競走と
3種目のレースに入賞出来た事は、今でも自分の中で金字塔として輝いている。









































