マーダーボット・ダイアリー(4)人間らしいふるまい | Mictlan

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ミクトランは、アステカ神話において九層目にある最下層の冥府であり、北の果てにある。

「マーダーボット・ダイアリー」シリーズ。

マーサ・ウェルズ(Martha Wells)、中原尚哉訳、創元SF文庫

 

我が家の子どもがその昔0歳3ヶ月頃のとき、おっぱいorミルクを飲み足らなかった際、拳を握りしめてブンブンと振り回し怒りを示してきたことがあり、「誰にも教わっていないのに、怒りの表象の仕草として拳を振り上げるのか……!!!」と感動したことがあります。

 

こういう感情を表す仕草というのは、どこまでが本能で、どこからが社会的な教育/刷り込みによるものなのか。「マーダーボット・ダイアリー(上)」36ページには、

弊機くんが混乱しつつ自室に戻り、

 

安息の地である準備室にもどってプラスチック被覆の壁に頭をもたせました。知られてしまいました。

 

というシーンがある。知られてしまったことに(何を、は省略)ショックを受け、壁に額をあてて何とか自分を保とうとしている健気なシーンである。

ここで慎ましい日本人の皆さんに聞きたいのだが、「自分は今混乱しているよのポーズ」として、「壁に頭をもたせる」って、実際どれくらい本当にやりますか? 漫画やドラマでそういうポーズは数多、目にするけれども、自分自身でそれやります? あまりにもお芝居っぽくないです?? 私人生半世紀、そんなんしたことない気がしますが最近の若い人はみんなするもんです???

 

SecUnit(警備ユニット)としての弊機くんにそのような仕草がプログラミングされているわけはもちろんないだろう。ではどうしてそんなポーズをしたのかというと、やっぱり「困っているときに壁に頭をもたせかける人間」が出てくる映画やドラマを何万時間を見続けてきたからではないか、という推論に達する。

作者のマーサ・ウェルズ氏がアメリカ人なので、登場人物の仕草は基本アメリカナイズされており、どこまで自覚的に弊機くんの仕草に対する描写をコントロールしているのか少々疑問に思うことはあれど、弊機くんの【感情に基づく動き】は、ほぼ後天的に娯楽メディアから学んだものなんだろうな、と思って彼の描写を追うと、また新しい面白さが出てくる。「拗ねて膝を抱えて座り、メディアに耽溺する弊機くん」とか、別にロボットは膝を抱える必要はないのに、「こういう気持ちの時は体を小さく丸めると人間は落ち着くらしい」という文脈を理解していて、それに自分を当てはめてみようとするシークエンスが背後で走った結果そうなっている、と思うと、非常に可愛くないですか。