マーダーボット・ダイアリー(3)翻訳について | Mictlan

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ミクトランは、アステカ神話において九層目にある最下層の冥府であり、北の果てにある。

「マーダーボット・ダイアリー」シリーズ。

マーサ・ウェルズ(Martha Wells)、中原尚哉訳、創元SF文庫


イラストひとつで主人公の性別問題が起こる本作。(注:本作主人公に性別は【無い】ので念のため)

インターネットの感想を見て回っていると、原作のジェンダーフリーっぷりに比べて、日本語訳のほうがかえって男女差を印象づけているという指摘もある。日本語には話し言葉に男女差があるので、仕方ないところ。

 

1巻2話目から登場する自我を持った船、ARTは、女性の口調で訳されているけれども、とくに原文でも、女性寄りのアイデンティティが強調された描写は無い(と思われる。全部原文で通読したわけではないのですみません)。ARTを女性っぽく訳するのはどうなのか、という指摘も見たが、しかし通読するとやはり、主人公の弊機くんとの関係性において、女子枠にARTを設定したのは翻訳者の英断だなと思う。

 

先日記述したとおり、弊機くんは基本的に細マッチョ長身の男性外見であると思われるところに、精神的な庇護者となるメンサー博士(成人女性)との関係性を見て導き出される感想は「萌え~」としか言いようがなく、そこに加え、お互いにケンカしながらも結局、人間ではない、自分と近い存在として初めて友情/信頼の気持ちを自覚したARTと弊機くんの関係は、やはり男女になぞらえるのが一番しっくりくるのではなかろうか。キャプつば脳的には男子×男子としても勿論(もちろん!!)いいけれど、ARTの人間の若者に対する愛情深さとか、お客様を船内(自分の体内)にお招きするにあたりきれいに掃除しなくちゃ!と焦るところとか、やっぱり女子(というか主婦?おばさん?)っぽいと思うわけです。

 

なお、「【弊機】という訳はすばらしい。原文ではどういうふうに言ってるんだろう」みたいな感想にときどき出会いますが、印象的な出だしの一文

 

冷徹な殺人機械のはずなのに、弊機はひどい欠陥品です。(「マーダーボット・ダイアリー(上)」11ページ)

 

は、原文だと

 

As a heartless killing machine, I was a terrible failure. ("ALL SYSTEMS RED"より)

 

で、答えはふつうに「I」です。

ちなみに、同じく「マーダーボット・ダイアリー(上)」25ページ、

 

人間たちがなにをそんなに驚いているのかと思って、事件の記録映像を見てみました。なるほど、そういうことかとわかりました。

 

の「なるほど、そういうことかとわかりました。」の20文字は、原文だと

 

Okay, wow.

 

しか言ってない。おっけ-、わお、ですよ。そこからなかなか「なるほど、そういうことかとわかりました。」まで膨らませるのは難しい。30年前の翻訳ミステリだったら、ここは間違いなく「オッケー。ワオ」とカタカナで直訳していそう。(そして、肩をすくめて嘆息するTheアメリカナイズな仕草が脳裏に浮かぶ)

実は本作を読んだころに同時並行で「火星の人」の翻訳も読んでいたのだが、あちらも一人称の物語であり、もしあちらの主人公っぽい台詞にするなら「はいはい、わかったよ」とか「オッケー、そうきたか」とか、もっとライトで楽天的なかんじになるだろうな、と思ったり。日本語はニュアンスが無限にあって翻訳は本当に大変ですね。