久しぶりに映画を観に行った。人々がドカ~ンドカ~ンと死んでいくハリウッド映画にあまり魅力も感じない。人がたくさん登場するのだが全く人が描かれていない気がするからである。薄っぺらさを感じるのだ。
この映画の舞台は昭和33年の東京。東京タワーも建設中で今ほど便利でも裕福でもなかった時代の話である。僕が映画を観てこんなにも胸がいっぱいになったものは、かつてなかった。昭和33年にはまだ僕はこの世にいない。しかし映画が始まって街の風景が映し出された途端、懐かしさの気持ちが溢れてきた。この気持ちは僕のどの部分から来たのだろう。
映画に登場する当時の日本人の前に進もうとする力、将来を自分たちの手で切り開いていこうとする意志の強さ、人と人との不器用なまでの繋がり、モノに対する愛情すべてが僕の心を満たしてくれた。観終わった後はしばらく静かな場所であの当時と変わらぬ夕日を眺めた。綺麗な夕日だった。
作品全体に流れているテンポは非常にのんびりとしたものである。それとは対照的に登場人物の生きる活力や前に進んでいこうという意志の激しさが印象的である。前に進んでいこうという活力を時代のテンポが抑制している。それによりその時々の時間が濃密な丁寧な時間となっているのではないだろうか。現代に目を向けてみると、時代のテンポは追いつけないくらいの早さになり、人は必死に追いかける。生きていると言えるのか。もう自分の足で歩いていないのではないだろうか。人間を人間たらしめているのは直立二足歩行でも道具でも火を使えることでもお金を持っていることでもない。それらを使う精神、こころを持っているか否かである。自分の意志にいいわけをして選択を放棄することこそ生きるということを放棄することになりはしまいか。
「あの時代は良かった」で済ませたくない。これを観た人が何を考えてこれからの時代を創っていくか。人間は何度でも生まれ変われる。