ある人に出会った。その人はものすごく優しい。午前中畑仕事に出た。畑はジャガイモを植えていたのだが雑草で埋め尽くされ、どこに植えているのか判別がつかないくらいであった。その人は誰よりも率先してその雑草で埋め尽くされた畑に入っていく。誰よりも汗を流し、ジャガイモの葉を探し雑草を抜いていく。誰よりも周りのみんなに声をかけ、気をかける。その人がいるだけで作業をサボっている人を含め豊かな時間が流れた。作業を終え、みんなの仕事ぶりを讃える。
午後は室内で工芸を一緒にした。もくもくと作る。時にサボっている人を励ましつつ冗談を言いながら。友達が作業に疲れて座椅子で寝だした。「お腹が冷えちゃダメだから・・・」そっと毛布をとってきてかけてあげる。
その人の『優しさ』について書こうと思ったが書ききれない。その人がどんな行動をとったか、どういう言葉をかけたかを書けば書くほど、その人と実際出会って感じた印象とのギャップに悩まされる。部分を取り出せば取り出すほど、その人全体の『優しさ』との溝を感じだす。『優しさ』とはどういう行動をとるか、どういう言葉を使うかではなく、その人の人格そのものであると思う。例えとしてその人の言動を優しさを表すものとして言うことはできるが、その人の『優しさ』そのものを伝えていない。そこに表現できないもどかしさを感じるのである。
今日は貴重な出会いをした。その人は知的障 害を持つと言われる人が利用する施設に通っている。