「自由」について | 行く河の流れ

行く河の流れ

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

 僕は幸運にも日本を2年間離れ、開発途上国で生活するという機会を得た。2001年から2003年の間今まで育ってきた『日本』という国を全く価値観や文化、生活様式が異なる国で暮らし外からこの国を観ることができたことはとても貴重な体験であった。
 開発途上国というだけあって、その国に生活する人たちの間には貧富の差が激しい。ごく一部の大金持ちとその他大勢の庶民。僕が一緒に生活したり、仕事を共にしたのは庶民の方の人たちである。確かに金銭的には日本とは比較にならないくらい低い生活水準だが皆、活き活きと暮らしていた。そこでよくこういう声を聞く。『その人たちは幸せそうに暮らしているからそれでいいんだよ。このまま発展しなくてもいいんだよ』と。果たしてそうであろうか?
 僕はそういった意見にとても違和感を覚える。そこに住む人たちにはそのように暮らすしかないからそのように暮らしているのである。そこには「選択肢」がない。そこには『金銭的には貧しいが幸せな暮らし』しかないのである。
 僕が考える『自由』な暮らしというものは、『いかに多くの「選択肢」の中から自ら選び、決定していけるか』という暮らしのことである。選択肢が多い社会ほど自由度の高い社会であると言える。その点だけをみればアメリカなどはチャレンジしようとする人には誰にでもチャンスが与えられるということで評価すべき社会であろう。
 日本でも最近は『スローライフ』というブームがあるが、僕は納得できる。そのように生きたい人は『スロー』に生きればいいし、ガンガン働いて仕事を充実させるのもその人が決めた人生である。日本は幸い自由な社会である。
 しかしその一方で『開発途上国』という国が世界のほとんどを占めており、多くの人たちが『生きる』という道を選べない国もあるということは忘れてはならないと思う。『無関心』は罪である。