「キャッチボール」について | 行く河の流れ

行く河の流れ

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

 キャッチボールの基本は相手の胸に向かってボールを投げることである。小学生の時から散々言われてきた標語のような台詞である。なぜ相手の胸に向かって投げなければならないのか?それは相手が捕球しやすいようにする為である。さらに考えると目標がさらに変わってくる。相手の右肩に向かって投げるのである。そうすれば捕球した後、相手はそのまま投げる体勢に入れる。
 夕方、近くの公園に行き友達とキャッチボールをした。公園のフェンスのさらに向こうに見える空はやさしい橙色をしていた。秋の緊張感のある空気がボールを抵抗なく加速させる。相手のグローブに収まるまでのボールの軌跡が居合いで空間を一刀両断したような爽快感だ。
 僕らがキャッチボールをするのは何年ぶりだろう。お互いに相手の胸に向かって投げようとしているがなかなかいかない。あの頃はほとんど逸れなかったのに。相手の胸に向かって投げるという最低限の基本もままならない。でも僕らはとても楽しかった。相手のことを思いやって投げるというキャッチボールの基本を超えて、ボールを投げる、捕るというキャッチボール自体を楽しんだ。キャッチボールは楽しい。なぜだろう。とても気持ちがいい。キャッチボールの基本が自明の理として既に僕らの中で定着し、それ自体を楽しめるようになってきたのだろうか。
 キャッチボールが持つ魅力に気づき始めた。どんな人としても楽しいものだ。相手が子どもであれ、女性であれ、おじさんであれ、気持ちが通じ合う感じを味わえる。よく言われ、使い古されたような感情をやっぱり感じているのである。
 今はもう高校生・大学生の時のように遠くに思い切り投げるということはできなくなった。長時間投げ続ける体力もなくなっているだろう。野球の練習の一環としてのキャッチボールはもうできない。しかし丁度心地よい距離で、話が出来る距離でするキャッチボールをこれまでの野球をやってきた遺産として宝物のように大切に感じる。野球は続けられなくとも、このキャッチボールだけは続けていきたいと切に願うのである。