第2話
小さな波紋の広がりと、見え始める変化
■ 最初の小さな反応
翌週。
佐伯は、匿名アンケートに寄せられたコメントを、静かに読み返していた。
一つひとつは短い。
とても短い言葉も多い。
だが、そこには確かに「人」がいた。
佐伯は、社内掲示板にコメントを書き込む。
匿名のままではあるが、
できるだけ温度の伝わる言葉を選んだ。
「皆さんの声、しっかり受け止めています。
何が問題で、どう感じているのかを理解した上で、
少しずつですが改善策を考えていきます」
送信して、数分後。
通知が鳴った。
中村からだった。
「見てくれているだけで、嬉しいです」
たった一行。
それだけだった。
それなのに、佐伯の胸の奥に
ふっと灯りがともる。
(……やはり、伝わるんだ)
匿名であってもいい。
長文でなくてもいい。
「見ている」「聞いている」
その事実が、人を動かす。
佐伯は、初めてそれを実感した。
■ 雑談の時間をつくる
佐伯は、次の一手を打った。
週に一度、
部門横断の「雑談会」を開く。
参加は自由。
強制はしない。
初回。
画面に映ったのは、三人だけだった。
(……少ないな)
正直、そう思った。
だが、すぐに考え直す。
(三人“も”来てくれた)
雑談は、ぎこちなく始まった。
沈黙。
画面越しの気まずさ。
それでも、少しずつ言葉が落ちてくる。
「最近、プロジェクトで迷うことが多くて……」
「評価って、どう決まっているんですか?」
「上司に相談しづらいんです」
佐伯は、答えなかった。
指示もしなかった。
ただ、聞いた。
それだけだった。
だが、その「それだけ」が、
彼らの中に小さな安心を生み始めていた。
■ 誰も来ない週
翌週。
開始時刻になっても、誰も来なかった。
その翌週も、同じだった。
佐伯の胸に、じわじわと落胆が広がる。
(なぜだ……?
俺は、社長として、ここまでやっているのに)
その考えが、まだ「自分中心」だったことに、
このときの佐伯は気づいていない。
答えは、思いがけないところからやってきた。
中村のデスクを訪ねたときだ。
「社長、すみません……
参加したい気持ちはあるんですが、
トラブル対応に巻き込まれていて……」
中村は、申し訳なさそうだった。
「そうか。それはすまなかったな」
話を聞くうちに、
佐伯の中で、何かが噛み合い始める。
(……そうか)
(現場は、“時間を選べる状態”じゃないんだ)
■ 気づき、修正する
翌週。
佐伯は、雑談会の三時間前から動いた。
「今日の雑談会、参加できそうな人はフラグを立ててください」
三人が反応した。
個別にメッセージを送る。
「開始一時間前に状況を教えてください。
業務優先で構いません」
返事が来た。
「急な対応が入って、30分遅れでもいいですか?」
佐伯は、画面を見つめた。
(……これが現実だ)
開始時刻をずらす。
途中参加も歓迎する。
掲示板に、そう書き込んだ。
その日は、
終了10分前に一人が滑り込んできた。
「今、業務が片付いたので……」
わずかな時間。
だが、佐伯の胸は熱くなった。
■ 見え始める“見えなかったもの”
数週間が経つ。
雑談会は、少人数ながら続いた。
そして、声が変わり始める。
・客先で孤立している
・小さなトラブルが報告しづらい
・将来が見えず、不安が強い
数字にも、資料にも出てこない現実。
佐伯は、ようやく理解し始めていた。
経営とは、
数字を見ることだけではない。
「見えないもの」を見ようとし続けることなのだと。
■ 上からの冷たい視線
すべてが順調なわけではなかった。
部長クラスからは、冷静な疑問が出る。
「雑談会で、何が変わるのですか」
「業務効率が落ちませんか」
佐伯は、言葉を飲み込む。
(感情で押しても、逆効果だ)
波紋を広げるには、
摩擦を受け止める覚悟がいる。
■ 一人の変化
雑談会の後。
中村が、ぽつりと言った。
「社長……
言葉にするだけでも、変わるんですね」
佐伯は、うなずく。
「そうだ。小さな声が、集まればいい」
その瞬間。
一人の社員の中で、何かが確かに変わった。
■ 部長会での孤独
部長会。
佐伯は、資料を手に立った。
「社員の成長と誇りを取り戻したい」
沈黙。
無表情。
慎重論が続く。
(……やはり、簡単じゃない)
それでも佐伯は、
一歩引かずに言葉を置いた。
■ 廊下で差した光
会議後。
廊下で、西田部長が声をかけてきた。
「社長。
私は、ずっと見ていました」
その言葉に、佐伯は救われた。
「これからは、私も支えます」
大きな石が、
ようやく動き出した音がした。
小さな波紋は、
まだ大きなうねりにはなっていない。
だが、確かに広がり始めている。
佐伯自身もまた、
少しずつ変わり始めていた。
――第3話へ続く。
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