4月3日の日曜日朝7時台から『機動戦士ガンダムUC(ユニコーン) Re:0096』の放送が始まりました
この作品は2010~14年にかけてDVDで展開された同作の再編集版となるようです
原作は映画にもなった『終戦のローレライ』等のヒット作を飛ばした福井晴敏の同名小説で、1stからのガンダムファンだった同氏のオマージュ作品だともいえます
1本あたり小1時間のOVAで全6話のシリーズだったので、30分番組に再編集して全12話の1クールで放送する事になるのでしょう
1979年に『1stガンダム』こと『機動戦士ガンダム』が放送されて以来37年に亘って続いてきたガンダムシリーズですが、ここに来ていよいよ正念場を迎えつつある様です
ブームというのは長続きしないからブームといいます
イノベイター理論といって
・新しい物に気付いて逸早く取り入れるイノベイター(革新者)が2.5%
・イノベイターが取り入れた物にブームの臭いを感じて追随するアーリーアダプター(初期採用者)が13.5%
・ブームに乗っかりつつブームを形成するアーリーマジョリティ(前期追随者)が34%
・ブームを後追いするレイトマジョリティ(後期追随者)が34%
・ブームに乗りきれずに、オワコン化してからついてくるラガード(保守者)が16%
に分類されるそうです
細かい数字はともかくですが、新しい物が出てきて逸早くその面白さに気付く者が2.5%、その口コミや噂などに素早く反応して試す者が13.5%、彼らに追随するマジョリティが68%で早目に食いつく者と盛り上がりを見定めてから後追いする者が半々、流行と云うバスに乗り遅れて後から追いかけたり乗れなかったバスを酸っぱい葡萄と冷めた目で見る者が合わせて16%というのは絶妙な分類のように思えます
ブームというのは、このマジョリティが付いてくるかどうかでブームになるかならないかが決まるという事でしょう
ブームの頂点はレイトマジョリティが後追いする最中に起きる様に見えますが、実際にはレイトマジョリティが乗った時点で上昇曲線は鈍化しており、既にブームは終わりに向かい始めているのです
ネットのコピペにもこんなのがあります
面白い人が面白いことをする ←イノベイダー
↓
面白いから凡人が集まってくる ←アーリーアダプダ
↓
住み着いた凡人が居場所を守るために主張し始める ←アーリーマジョリティ
↓
面白い人が見切りをつけて居なくなる
↓
残った凡人が面白くないことをする ←レイトマジョリティ
↓
面白くないので皆居なくなる
1stガンダムは初放送当時に視聴率が振るわずに、予定していた本数を全うできずに放送期間が短縮された作品でした
末期に近づくにつれてドラマ性が評価され視聴率も上昇しており、元の本数に再延長しては、という話もあったそうですが、短縮に応じたストーリーラインが構成されており、更に後番組の制作も既に始まっていて元の話数に戻す事は実質的に不可能という事だったようです
で、この直後の事情がよく分からないのですが、1980年1月に放送終了し、翌81年3月にTV版を再編集し一部に新作カットを加えた物を劇場版として映画公開されました
一方のプラモデル、いわゆるガンプラの開発は放送終了前の1979年12月には始まっていたとされます
80年7月から売り出された300円のガンプラ(1/144ガンダム)の後にも8月に巡洋艦ムサイ、9月にシャア専用ザクが発売され、一回り大きい1/100スケールでもガンダム、ドムが売り出されていました
発売元のバンダイは大ブームになった『宇宙戦艦ヤマト』の後釜としてガンダムに白羽の矢を立てたのですが、発売当初は思ったようには売れずにいた様です
それが1981年の2月頃から急遽売れる様になったと言いますが(関西の一部地域で火が付いたと言われる)、その原因は正しくは不明の様です
TVアニメのガンダムが80年1月の放送終了から間をおかずに地方局で再放送が行われた事(結構異例)、80年10月に劇場版の制作が発表された事、2月の前後にホビージャパン誌(プラモデル・フィギュア等の専門誌)のガンプラ特集の別冊本が発売された事等が原因とされています
1stガンダムの映画は81年3月の第1作の興行成績が良かった事から全3部作でTV版のストーリーをカバーできる事になり、81年7月に第2作、82年3月に第3作が劇場公開されました
これはガンプラの売り上げ推移を示した表ですが、見て分かる通り(映画の3作目が公開され、映像的な展開が終わった)82年を頂点として急降下しています(それでも年間1000万個以上売れてたわけですが)
と言うのもそれまでのロボットアニメと違ってガンダムでは量産型兵器としてロボットを扱っていたのでプラモ化できるキャラクターに限りがあり、ネタが底をついてしまったのです
スポンサーであるバンダイはガンダムを制作した『日本サンライズ』に続編を打診したりしたようですが、返ってきた答えは『NO』
まあ宇宙戦艦ヤマトが続編を作りまくって『死んだ筈のキャラが生き返ったり』色々設定的に辻褄が合わなくなってしまった事などから死児の齢を数えるような真似はしたくなかったのかもしれません
しかしガンダムが扉を開いた『リアルロボット路線』(人型ロボが有り得ない様な合体や変形をせずに、有り得るべき兵器としてリアルっぽく描かれるもの)は『超時空要塞マクロス』(1982年、プラモ展開はイマイ・アリイ)や『太陽の牙ダグラム』(1981年、同タカラ[現タカラトミー])『装甲騎兵ボトムズ』(1983年、同タカラ)等の後追い作品を生み、そのプラモデルや玩具トイは何れも大ヒットを記録します
他にもこの路線がウケると知った他のアニメ制作会社が雨後のタケノコの様に同種の作品を作り続けたのでした
ダグラム・ボトムズはガンダムと同じ日本サンライズ制作のアニメでしたが、放送局が東京12チャンネル系であり、ガンダムはTV朝日系(制作は系列の名古屋テレビ)の全国放送でした
こちらの系列の放送枠(土曜日夕方5時台)はガンダムの『失敗』の後、路線を元に戻した『無敵ロボトライダ―G7』(1980年)、『最強ロボダイオージャ』(1981年)とリアルロボがウケる時代に昔ながらの『スーパーロボット路線』に回帰しており、時流に乗り遅れた観がありました
ようやくガンダムの富野由悠季監督を再任した『戦闘ロボザブングル』(1982年)『聖戦士ダンバイン』(1983年)『重戦機エルガイム』(1984年)と立て続けに富野色を打ち出した作品を送り出します
これらは何れもバンダイからプラモデルが発売されましたが、リアルロボブームが既に飽和から退潮期にあり、ガンダムほどのブームを作り出す事が出来ませんでした(ガンダムの数作前から日本サンライズ作品の玩具トイを出し続け、それらの番組のメインスポンサーを務めていた『クローバー』はダンバインで力尽きて倒産していた)
さすがにヤバイと思ったのか、それまで断り続けていたガンダムの続編の制作を遂に了承する事になったのが1985年でした
『機動戦士Zガンダム』がそれで、上のグラフを見ても分かる通り往時の勢いは無いものの何とか回復はさせています
それも後番組の『機動戦士ガンダムZZ』(1986年)ではどうにもならず、日本サンライズはドル箱だったガンダムからの脱却を図ります(『ミスター味っ子』『シティハンター』など)
( ・ω・) 「先の例でいえば『ガンダム』はイノベイダーでしたが、サンライズ自身が土5枠にアーリーアダプタを用意する事が出来ず、美味しい所は他局や他の会社に奪われ、やっとブームに後追いする事ができた時にはレイトマジョリティ化しており、起死回生だった筈の『Zガンダム』は最初からオワコン化していた訳です」
上のグラフの破線で描かれた曲線はSDガンダムというガンダムのパロディ版のようなキャラクターであり、当初は「ガンダムを侮辱している」としてメーカー側が忌避していたのですが、背に腹は代えられないと売り出して見たら意外にヒットしてしまい、ガンプラ氷河期の救世主となってしまいます
その後も分かるのは『逆シャア』(映画『機動戦士ガンダム逆襲のシャア』)、『ポケ戦』(『機動戦士ガンダム0080ポケットの中の戦争』)、『83』(『機動戦士ガンダム0083スターダストメモリー』)『F91』(『機動戦士ガンダムF91』)と新作が発表される度に僅かですが売り上げが回復している事です
新作のプラモはもちろん、かつてのファンが帰ってきて旧作キットも相乗効果で売れているのです
この辺から定期的にガンダムの名を冠した新作が作られる様になって行きます
その結果、
(;・ω・)「それってガンダムでやる必要があるの?ガンダムの名前を付ける必要あるの?という作品が増えて行く事になるのでした」
制作会社の『日本サンライズ』が(87年に『サンライズ』に社名変更)1994年にメインスポンサーだったバンダイの子会社になった事と無関係ではないでしょう
グラフの端にある『G』と言うのは『機動武闘伝Gガンダム』の事で、それまでの宇宙世紀の歴史を構築していく作風と違う、全くの別設定の番組で『アナザー系』などと呼ばれたりします
これなどはアナザー系の走りとでもいう作品で、国家間の紛争を戦争では無くロボットのプロレスと云うか剣闘士による1対1の戦いで決着をつけようとする世界での物語になります
敵も味方もみんなガンダムに乗り、あまつさえこんなのもガンダムを名乗ってしまうのでした
小さなバイキングが乗りそうです
そしてこの作品のキャラデザインをし、後年コミカライズ作品を描いたのは前記事で紹介した漫画家島本和彦だったりします
新しい物を作り出そうという努力は伝わってはきますね
( ・ω・) 「例によって長くなるので前後編に切ります」