鉄底海峡 その1 第1次ソロモン海戦 | Dream Box

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このブログの内容は5割の誤解と4割の勘違い、2割の嘘で成り立っています



1980年代に“なぜか”日本でアニメになった『白い牙』

しかも絵柄を見ても分かるように、キャラクターデザインはガンダム等でおなじみの(?)安彦良和です

この原作を書いたアメリカ人作家のジャック・ロンドンは、別の作品『スナーク号の航海』で「私が王であるならば、敵に加える一番ひどい刑罰はソロモン諸島への流刑だろう。しかし、考え直してみると、例え王様であってもなくても、それだけは私にはできないと思った」と語っています

『白い牙』と並ぶ代表作の『野生の呼び声』などで動物・自然文学作家として名の知られているジャック・ロンドンですが、厳しい境遇に育った事で当時から流行し始めた社会主義思想に傾倒し『どん底の人々』などプロレタリア文学っぽい物も書いてたりもします

そんな彼が最悪の流刑地として名指ししたのがこの『ソロモン諸島』でした

  ┌─┐
_☆☆☆_
  (;´_⊃`)  (;´д`) 「そんな所で戦争させられてた俺らっていったい・・・」



どうにもグーグルマップが使い難く改悪されてしまったのでヤフーマップを使ってみました


日本軍はソロモン諸島南端に近いジェラスール島のツラギ島に水上機・大型飛行艇の基地を作ったもののの、敵空母艦載機に殴り掛かられたら防ぐのは不可能なので隣りのガダルカナル島に地上機用の飛行場を作る事にしました

完成すればルンガ飛行場と呼ばれる事になるこの飛行場を作る為に7月頭から設営部隊約2100人に護衛の陸戦隊430人を付けて送り込んでいました

1942年8月15日の完成をめざし、7日には滑走路の一部が使用可能になり先遣の戦闘機隊がラバウルから飛来する事になっていたのです

しかし当日、先にやって来たのは米軍(米軍主体だが一部英豪軍も参加の連合軍)の方でした

日本軍は本格的な反攻は開戦前後に作り始めた戦艦や空母などが戦力化する1943年秋頃と判断し、それまで米軍は守勢を保つと予想していました

しかし真珠湾攻撃から半年間に亘って負け続けたアメリカがミッドウェイ海戦で勝利した事で戦略のイニシアチブを取れるようになり、敗北のリスクが低く局地的に負けたとしてもその影響も少ない地域だったからこそ反攻の狼煙となる戦場として選んだのがこのソロモン諸島だったのでしょう


『ウォッチタワー作戦』と名付けられたこの反攻作戦は当初ツラギ島の日本軍水上機基地の攻略を目指し8月1日の発動に発動される予定でしたが、ガダルカナル島にも飛行場が建設中である事が判明し、こちらも合わせて攻略する為の準備に1週間延期されて8月7日の開始となったのでした

これが更に1~2日遅れていればラバウルからの戦闘機隊が到着していて、米軍は制空権が取れない事から作戦の中止に追い込まれたかもしれません

7日に到着する予定だった先遣隊もそこそこの規模だったものの最大空母3隻からなる敵航空力を跳ね返すのは無理だったでしょうが、実際にこの作戦の初期にラバウルから飛来する零戦を見た米軍空母機動部隊の指揮官は敵空母が近在にいると誤認してガダルカナル島水域から避退する判断を下しています(日本軍が空母4隻を失った2ヶ月前のミッドウェイ海戦の状況と酷似していた為)

この時期はまだ零戦の長大な航続力は知れ渡っておらず、まさかラバウルから1000km離れたガダルカナルまで往復できる艦上戦闘機があるなど思ってもいなかったのです(尤も行動範囲としては限界であり、ガダルカナル上空での滞空時間は10分程度しかなかった。また同時に送り出した99艦爆は航続力が足りずラバウルまで帰還できないので中途で着水させ、乗員だけ回収する為に水上機母艦の秋津洲が派遣されていた)

ミッドウェイ作戦の陽動として行われたアリューシャン列島への上陸作戦時に零戦の1機が不時着したのを米軍が回収しており(アクタンゼロ)、これを調査してその特性が明らかになっていった最中の事でした


8月7日に奇襲的に攻撃を受けたツラギ・ガダルカナルの日本軍はひとたまりもなく敗退します

ツラギ島の警備部隊も250人程度で、両島に合わせて2万人近い兵力が攻め寄せて来た訳で、奇襲が成功した事もあって守りきれる筈もありません

ツラギ島の基地要員・守備隊は2日ほどで全滅し、ガダルカナル島でも飛行場を捨てて一時退避を余儀なくされるのでした(この時点で1000人以上が生き残っていた)

これに対しラバウルの日本軍は直ちに反撃の準備に取り掛かりますが、初動の態勢に早くも問題がありました


理由は幾つか(も?)あります

まず前記事で語ったようにこの時期、7月末から陸軍がポートモレスビーの陸路攻略作戦を始めていた為に、ガダルカナルへの増援兵力が用意できなかった事(大本営参謀の辻政信が嘘を吐いて攻略作戦を独断で発動させてしまった。これによりミッドウェイ攻略に用意され、それに先立つ海戦の敗北により中止になり宙に浮いていた幾つかの部隊がこちらに転用されていた。結局、現地軍間での協議でガダルカナル奪還の陸軍の協力が得られたのは13日以降、先陣の一木支隊の上陸が18日。それまでは海軍の陸戦隊を送り込むつもりでいたが1000人に満たない小勢しか工面できなかった)

在ソ連日本大使館からの情報で米軍の反攻は限定的で、飛行場の破壊を目的としており恒久的な奪取を目指していない、つまり飛行場の破壊が成功すれば撤退するという情報が伝わっており、大規模な攻撃だと考えられていなかった事

この時期にラバウルの海軍人事に変更があり、前任の井上成美中将から三川軍一中将への申し送りに「この時期に米軍の反攻はない」と伝えられてしまっていた事、さらに新部隊に交代された事で現地海域の地理や状況に不案内だった事

海軍は7日にラバウルから航空機約50機からなる攻撃隊を送り、輸送船10隻他の大戦果を挙げたという報告を受けて既に敵の攻撃意図を挫いたと判断していた事(これが3つ前の記事の冒頭にあった超低空で攻撃侵入する一式陸攻で、実際には輸送船1隻しか沈んでいなかった)


これらの事情の下に、この方面を担当する第8艦隊の三川提督は敵上陸部隊、というよりそれを支援する輸送艦と護衛部隊を撃破すべく艦隊の出撃を決定します

新設されたばかりの第8艦隊旗艦『鳥海』に古鷹型重巡洋艦4隻『古鷹』『加古』『青葉』『衣笠』の第6戦隊での“殴り込み”を仕掛ける作戦です

これは第8艦隊首席参謀神重徳大佐の発案とされますが、彼はこの後もこの作戦の『成功』を以って捨て身の突入作戦を繰り返し行う事になります

ある意味勇猛果敢な指揮官(というか参謀)と言えますが、その行動パターンはすぐに敵軍に把握され対応を編み出されてしまうのですが、いわゆる陸軍でいうところの『突撃将校』の類と言えるでしょうか

この出撃に際しラバウルにいた第18戦隊が同行を申し入れて来たものの、この部隊は旧式の軽巡洋艦『天龍』『夕張』と同じく旧式の駆逐艦『夕凪』からなり、戦力として疑問だったのと夕張の動力が故障中で速力が低下しており、敵空母艦載機の攻撃を避ける為夜陰に紛れて最大戦力で戦場に突入し離脱する今作戦の足手纏いになりかねないとして断ろうとします

しかし18戦隊側から一歩も引かない勢いで参加を要請され、根負けして同行を許可することになります

ラバウルから戦場となるガダルカナル島まで直線で約1000km、実際には欺瞞航行や潜水艦の襲撃を用心しながら進むので24ノットの速力(約45Km/h)で丸1日の距離になります

ラバウルからの出発が7日午後2時30分で、現地ツラギの守備隊が早朝の午前4時20分に敵襲を察知していたので軍艦8隻の出撃までに要した時間としては迅速な対応だったと言えます



http://seiga.nicovideo.jp/seiga/im4626824ニコニコ静画坂崎ふれでぃ“【艦これ】天龍ちゃんの第一次ソロモン海戦【史実】”

動画は長いよという方はこちらを参照してください

ニコ動のアカウントを持ってれば、画像クリックで大きい絵で見る事が出来ます


「高雄型の4番艦、鳥海です。
マレー、ソロモン、マリアナ、レイテと数々の作戦に参加しました。
鳥海の名は、現在、海自のイージス護衛艦、その4番艦に受け継がれています」














「鳥海」は愛宕型重巡洋艦の4番艦です

本来この種の重巡は同型艦で戦隊を組んで(高雄型は第4戦隊)1セット、或いは2隻ずつの小隊毎に運用される物です

鳥海は豪華客船の建造経験が豊富な三菱造船で造られた為か艦内艤装が充実していた事から旗艦として使われる事が多く、この新編の第8艦隊でも前任の南遣艦隊から引き続いて旗艦に指定されました

当初は艦隊司令部の宿舎として使うつもりでいたのでしょうが、配属からひと月も経たない内にソロモン海が激戦化し、結果として日本海軍随一の戦歴を誇る艦になってしまいます


1942年8月8~9日

8月7日午後2時30分にラバウルを出港した襲撃部隊は旗艦の重巡「鳥海」を先頭に第6戦隊の重巡「青葉」「衣笠」「古鷹」「加古」、無理矢理帯同した第18戦隊の軽巡「天龍」「夕張」駆逐艦「夕凪」の8隻からなっていました



この艦隊は出港直後から敵軍に発見されており、航路偽装を行いつつ(当初ブーゲンビル島の北へ向かった事で米軍はこの艦隊の目的をサンタイザベル島と判断した)8~9日の深夜から払暁にかけて敵上陸部隊・支援艦隊に襲撃を行い、陽が昇って敵空母艦載機の攻撃を受ける前に圏外に離脱する事を目指していました(突入は8日2330時以前・離脱は翌9日0440時までと計画された)

7日のラバウルからの長距離航空攻撃に本来は空母艦載機である零戦がいた事で、米空母部隊指揮官が日本空母が近在にいるものと誤判断し、戦域から離脱する事を決めていたのを知る由もないのは当然でした

この為第8艦隊は1回敵艦隊にすれ違いざまの攻撃を掛けて離脱するという作戦を採る事になります

この判断が後に重大な影響を与えるのですが、これもまた仕方ない事と言うべきだったでしょうか

これに対しガダルカナル島北方水域には第62任務部隊の巡洋艦8隻・駆逐艦15隻・輸送艦23隻



さらに第11・16・18任務部隊の空母『ワスプ』『エンタープライズ』『サラトガ』、戦艦『ノースカロライナ』を中心に26隻が控えていました

(; ・ω・) 「そこに重巡5・軽巡2・駆逐1で突っ込もうとするって…知らないって凄い」

しかしこの指揮官フレッチャー少将は珊瑚海海戦とミッドウェイ海戦で2隻の空母を失っており(レキシントン、ヨークタウン)、敵空母部隊の動向が不明なまま飛行場のある島を攻撃するというミッドウェイ戦と攻守を替えたような状況に不安を覚え、上陸部隊のヴァンデクリフト少将とその援護部隊の第62任務部隊司令のターナー少将とクラッチレー少将に戦域外への離脱と敵空母の捜索を行う事を通達してきました

これを受けてターナーとクラッチレーはヴァンデクリフトと対応策を講じるべくツラギ上陸船団の輸送船「マーコレー」に移っていきます

この時ターナーとクラッチレーは自分らの代理指揮官を指名しないまま司令部を離れてしまっており、この後に襲来する日本艦隊との戦闘に混乱の種を残してしまうのでした

9日朝まで続く揚陸作業と7~8日の日中はラバウルから飛来する攻撃機への対空戦闘に追われ、兵士の疲労はつのる中、8日深夜に第8艦隊は突入して来るのでした



戦闘の詳細は割愛します

米軍の警戒艦として前方に配置されていた2隻の駆逐艦は、レーダーが島陰に紛れる日本艦隊を探知できずに気付かないまま接近を許します

サボ島の南から水域に侵入した日本艦隊が先に敵艦隊(南方部隊)を発見しこれを圧倒、続いて左舷前方に別の敵艦隊(北方部隊)がいるのを察知します

北方部隊は日本艦隊を味方の南方部隊と誤認し、暗闇の中に浮かぶ戦火を地上戦闘か日本艦隊でも威力偵察レベルの小戦闘と判断してしまいました

司令官であるターナー、クラッチレーらが旗艦を離れていたが故の混乱でした

結局先手を取られ、その混乱から抜け出せないまま一方的にやられ続けた第62任務部隊は、

重巡「キャンベラ(豪)」「アストリア(米)」「ビンセンス(米)」「クインシー(米)」を失い、

重巡「シカゴ(米)」、駆逐艦「ラルフ・タルボット(米)」「パターソン(米)」が大破という大損害を負います

一方の日本艦隊は旗艦重巡「鳥海」「青葉」が小破のみと云う大勝利でした

但し帰途において第6戦隊が途中で潜水艦の襲撃を避ける為の之字運動(潜水艦の雷撃は命中して初めて存在が分かる事が多いので、アトランダムにジグザグに進路・速度を変えて潜水艦に密かにでも狙いを付けさせない様にする艦隊運動。非常に面倒くさく、また目的地に着く時間が余計にかかる)を、もう大丈夫だろうと戦隊司令が止めさせた途端に雷撃を喰らい重巡加古が失われてしまいます



と云うのは、この作戦の目的は上陸部隊・輸送船団への攻撃であり、敵護衛部隊に一航過かけて離脱したのでは何の意味も無かったからです

離脱直後に艦隊がほぼ無傷だった事から引き返してそれらを殲滅すべきという意見もあったのですが、第8艦隊にしてみれば所期の作戦行動に沿っており、今から引き返して攻撃を反復した場合日の出までに戦場を脱出できずに敵空母艦載機の攻撃を受ける可能性が高い事(但しこれは杞憂だったが、日本側が知る由もなかった)から艦隊参謀長と神重徳先任参謀は帰投を主張し、これが採用されたのでした

この手段と目的を取り違えた様な近視眼的な戦闘勝利主義は、この後の日本海軍にも何度となく見受けられる様になるのでした

この報を聞いた山本五十六聯合艦隊司令長官は、上陸部隊殲滅の目的を達成せずに戦勝を誇るような第8艦隊の行動に激怒したそうです

しかし彼とて元々この襲撃作戦には否定的で、作戦の認可についても聯合艦隊の立案でない現地部隊の独断として許可を出していた等、疑問に感じざる部分が無かったわけではありません

なお、ツラギ基地奪還の為にかき集められた海軍陸戦隊を中心の1000名弱の増援部隊も輸送中に敵潜水艦の攻撃に阻まれ途中で引き返しており、戦闘の勝利も殆ど意味が無くなってしまったのでした


米軍側(というかこの頃は米英豪の連合部隊)にしても

・空母機動部隊が損失を怖れて戦場を離脱している事、

・上陸護衛部隊の指揮官が代理も決めないまま持ち場を離れていた事、

・作戦発動から2日目で疲労が先に立っていたとはいえ、各艦の艦長クラスが敵の襲撃の可能性が最も高い夜に仮眠をとるべく艦橋を離れていた事、

と敗因に足る要因を自ら作っていたのも事実でした

さらにこの敗北で輸送艦隊は揚陸作業を切り上げ撤退する事になり、上陸部隊はしばらくの間火力や食料の不足に悩まされながらの戦いを余儀なくされたのでした

と言っても1日3度の食事を2度に制限する程度で、戦死よりも飢え死にする方が多かったガダルカナル島の日本軍とは状況は雲泥の差だったのですが

有名な話では日本軍が残して行った製氷施設を活用してアイスクリームまで供給されており、トージョーアイスクリームカンパニーなどと呼ばれていたそうです


http://seiga.nicovideo.jp/seiga/im3613347ニコニコ静画“坂崎ふれでぃ【艦これ】青葉と加古【史実】”

http://seiga.nicovideo.jp/seiga/im3932007ニコニコ静画“坂崎ふれでぃ【艦これ】第八艦隊【史実】

併せてこちらも参照されると文字だけで語るより分かりやすいでしょうか

この坂崎ふれでぃ氏は本業はエロ漫画家らしいのですが、こちらのジャンルでの検証は至って真面目です





( ・ω・) 「ここから4ヶ月に亘って激戦というのも生温い死闘が繰り広げられる事になるのでした」