日本軍は開戦後にラバウルを制圧し南方進攻の拠点とします
一方連合軍側はポートモレスビーにオーストラリア軍が基地を持ち、米領サモアは19世紀後半からアメリカが、ヌーメア(ニューカレドニア)・フィジーはイギリスが植民地としてきた事から、この戦争を睨んで軍事拠点化が図られてきました
攻略と言っても彼我の距離は余りにも大きく、ラバウルと各拠点との距離は
ポートモレスビー :約760km
ヌーメア :約2500km
フィジー :約3200km
米領サモア :約4000km
もあり、ポートモレスビーなら爆撃機は行動範囲内に収められる物の戦闘機の護衛を付けるのは無理であり(日本の零戦なら可能だが、1942年春の段階ではラバウルに増加タンクが届いていなかった)、フィジー・サモアに至っては長大な航続距離を誇る二式大艇(航続距離7~8000km)ですら往復がギリギリ~困難という距離でした
1942年5月8日に行われた『珊瑚海海戦』はフィジー・サモアを攻略するFS作戦を前に、側面・後背を扼されるリスクを除くためにポートモレスビーを陥落させようとしたものでした
ポートモレスビーを攻撃し上陸部隊を送り込む『MO攻略部隊』と、それを妨害に出てくるだろう米空母部隊叩く『MO機動部隊』に分かれた作戦です
また中間のソロモン諸島・ツラギ島に水上機基地を設ける作戦も同時に行われていました
結果だけ言うと海戦で負った損害の大きさにポートモレスビー攻略を諦めた日本軍の負けです
日本側は軽空母『祥鳳』を失い正規空母『翔鶴』が中破、米軍は正規空母『レキシントン』を失い正規空母『ヨークタウン』が中破で、損害だけを見るなら日本の勝利とも言えるのですが、この海戦の目的はポートモレスビー攻略(日本)とその妨害(米軍)ですから、目的を達成したのはアメリカ側なのは瞭然です
もっとも豪州と目と鼻の先にあるポートモレスビーを占領しても維持できたかという疑問はあったわけですが、どうもそれについて考慮された形跡が無いようです
ここを落とせなかった結果、翌43年3月のビスマルク海を航行する輸送船団がポートモレスビーから飛来した攻撃機により全滅させられるなど(ダンピールの悲劇)、日本軍の南方戦略は常に側面から脅かされ続ける事になるのでした
この後、6月5~7日にかけて行われたミッドウェイ海戦で空母4隻を失う大敗北を喫し、基幹戦力を失いFS作戦の実施は不可能になってしまいます
フィジー・サモアの攻略による米豪連絡線の『遮断』を目指すFS作戦は『妨害』を目指すSN作戦へと変わります
やる事は似ていますが、ソロモン諸島・東部ニューギニアの航空戦力の拡充と拠点の整備というミッドウェイで失った空母の代わりに沈まない飛行場を作り、その哨戒力とエアカバーの下で米豪連絡線への通商破壊をやろうとしたのです
ソロモン諸島の東端に近いツラギ基地は大型飛行艇と水上機の基地ですが、要撃力が低く大型爆撃機や空母艦載機の本格的な攻撃を跳ね返す事が出来ないことから、その南方にあるガダルカナル島にルンガ飛行場と名付けられる事になる陸上機の拠点を設けようという作戦でした(加えて既存のラバウル・ラエの強化も)
しかしここで1つ問題が生じます
5月の珊瑚海海戦と6月のミッドウェイ海戦の敗北直後の6月14日に『大本営』は現地軍(と言っても司令部はフィリピン)に対し「陸路でポートモレスビー攻略は可能か研究せよ」との『指示』を出します(命令ではなく指示)
この時大本営はすでにFS作戦の中止(というか実行はもはや不可能)を考えていましたが、現地軍には2ヶ月の延期と説明するに留めていました
6月30日に『研究結果』がフィリピン・ダバオの司令部に提出され
(;´・ω・`) 「無理っす」
( ´・ω・`) 「だよねー」
地図上でも何となく山が連なってるのが分かると思いますが、これはオーエンスタンレー山脈といって標高3~4000mの山脈を越えて行かねばならない事が判明したのです
余談ですが、松本零士の「戦場まんがシリーズ(後のザ・コクピットシリーズ)」で何度も取り上げられた地名であり、映画『わが青春のアルカディア』の冒頭部分で石原裕次郎をキャスティングしたシーンで登場した場所でもあります
大本営からの『研究』というちょっと不思議な表現も、『命令』にしてしまうと無理とは言えない責任問題が発生してしまうので研究なら忌憚のない現実的な意見が出てくるだろうという判断だったようです
しかしここにとんでもない馬鹿野郎が現れます
7月15日にダバオ司令部を訪れた大本営の辻政信参謀中佐が『り号研究』の実行を大本営は決定したと通達、作戦実施を『命令』します
(;´・ω・`) 「えっマジで?(だって無理って…)」
現地軍はこれに従って作戦準備に入りますが、何かおかしいなと思っていたところ7月25日に当の大本営から電文が届きます
「先般指示したり号研究の結果を送達せよ」
つまり大本営が作戦実施を命じたと言った辻政信が嘘を吐いてた事が判明するのです
しかし7月21日には既に威力偵察と進撃&補給路の整備に入っていた先遣隊が敵と遭遇し戦闘が始まっており、
今さら間違いだったので撤収とは言えない雰囲気だったので、うやむやのまま作戦続行となってしまうのでした
この間作戦中止か続行か協議がされたという様な形跡もないようです
意味が分かりません
もう一度言います、意味が分かりません
大切な事なので3回繰り返します
意味が分かりません
実はこれには一応の意味は有り、ミッドウェイ海戦で空母4隻を失う敗北を喫し戦力の大幅低下を招いた日本軍はFS作戦の延期(と言い繕った中止)を決定しますが、これにより日本陸海軍は現地における担当区域をニューギニア島を陸軍が、ソロモン諸島を海軍が行う事を決めていたのです(だから辻参謀みたいなのが現地にやって来てたわけで)
なのでガダルカナル島に敵が上陸してきたから陸軍さんお願いと頼まれても
(;´・ω・`) 「えっこないだそっちは海軍がやるって決めたばっかじゃん。こっちも取り決めに沿ってニューギニアの作戦始めたばっかだよ・・・」
まさにこの状態
陸軍はガダルカナル島なんて補給が届けられないから無理と派遣に難色を示しますが、海軍が補給については責任を持つと約束したことで「それならまあ・・・」と割ける限りの戦力の供出に同意する事になるのでした(で、海軍が約束した補給が行えたかと言うと、餓島なんて異名が付いた事からもお察しになるわけです)
ポートモレスビー攻略作戦は緒戦こそ相手が装備の悪いオーストラリア軍であり、「何でこんな所攻めてくんだよ」くらいに思ってた場所だったので小規模な戦闘に勝ち続けた為、
( `・ω´・)シャキーン 「あれ!?いける??」
とか思っちゃったのでしょうか
ですが元々研究の結果『重装備が運べない』『そもそも補給路が確保できない』事で攻略は無理という結果が出ていた作戦です
仮にスタンレー山脈を越えたとしても(実際越える事はできた)、ポートモレスビーを陥落させる事が出来るほどの兵力・火力を揃えるのは無理でしたし、また攻略できたとしても維持できる見通しは全くなかったのですが、
最終的にポートモレスビーの手前30Kmくらいまで辿りついたようです
(; ・ω・) 「って行けたのかよ!?」
戦いは8月に入っても続きましたが、そこで遂にガダルカナルの地獄の蓋が開いてしまうのでした
まあここも充分に地獄になるんですけどね
( ・ω・) 「やっと本題に入れます」