「実態」
<# `Д´> 「戦時中チョッパリはウリナラ民族を強制連行して鉱山で過酷な奴隷労働をさせてたニダ!その鉱山を証拠として記念館にしたニダ!謝罪と賠償汁!!」
( ´・ω・`) 「だからぁ~、その鉱山ってのは日本人は働いてなかったの?日本人と同じ仕事させられてたなら“朝鮮人だけ”差別されてたとは言えなく・・・ん?」
http://www.asahi.com/articles/ASG7Y6SZ9G7YPLZB01S.html“京都)坑道に刻まれた過酷 丹波マンガン記念館”
“府の中部、丹波地方一帯はかつてマンガンの国内有数の産地だった。マンガンは兵器製造には欠かすことができず、戦時中は朝鮮半島出身者らが過酷な採掘作業にあたった。~元鉱山労働者で在日1世の故・李(リ)貞鎬(ジョンホ)さんが1989年、自ら経営した鉱山を私財を投じて改修し、開館した。”
(# ´・ω・`) 「・・ちょっと待て、その鉱山の経営者はお前じゃないか!?」
<ヽ`∀´> 「ウリは当時日本人だったニダwだからその責任はチョッパリにあるニダよ?」
http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1407641855/“朝鮮半島出身者らが過酷な採掘作業にあたった鉱山、李貞鎬(リジョンホ)さんが自ら経営した鉱山を記念館として開館”
http://www6.ocn.ne.jp/~tanbamn/close_announce.html“公式HP『丹波マンガン記念館 設立主旨』
まとめると、
この李貞鎬という人物は1945年当時で12歳であり、国家総動員法における勤労奉仕の対象外で強制徴用はもちろん労働力確保の強制連行の可能性もありません
本人も認めてる通り父親に連れられて日本に来たか、日本で生まれた可能性が高いとのこと
開鉱当時はともかく、いつから本人もしくは父親がこの鉱山の経営を行ったのかは分かりませんが、強制連行されてきた朝鮮人が鉱山を持てたという事実
朝○総連との関係も取り沙汰されている
この鉱山は1889年から1983年まで活動が続けられ、1989年の記念館設立時には行政から融資や運営費の補助を要求していた
今回記念館を再開館させた息子の李龍植は京都府立北桑田高校校舎の近隣にある本鉱山で、学校の敷地が鉱区にあると主張し学校の移転か補償金を要求し、受け入れられないと爆破作業時に使うサイレンを学校の隣で大音響で鳴らすなど嫌がらせを行いました(ちなみに李龍植はこの学校を中退していたようです)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C%E7%AB%8B%E5%8C%97%E6%A1%91%E7%94%B0%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1#.E9.A8.92.E9.9F.B3.E5.95.8F.E9.A1.8C“wiki『京都府立北桑田高等学校騒音問題』
戦後の1983年まで続いた、その過酷な奴隷労働とやらを誰がやらせていたのか、戦後にはどんな事をやってきたのか、名前でggrと香ばしい話がいっぱい出てきました
こんなのを日本人による差別の実態として発表するのが朝日新聞です
( ・ω・) 「安定の朝日新聞です」