電気新聞新企画として2007年の10月より、毎月第2週以降の火曜日付最終面に掲載してきた「テクノロジートーク」が、今回をもって終了することとなった。
この5年半の期間で先週200回を迎えることができた。
ひとえに読者の皆様の大いなる関心の賜物と、電気新聞の関係者とともに筆者一同感謝させて頂いております。


当初は、巷の事柄から最先端の電気事業の技術に至るまでを題材として、サイエンスを駆使した素晴らし製品や技術の紹介や、永年利用されている物でもサイエンスの目で見ると安全上大きな欠陥があること、現在の便利な道具が生まれるまでの苦悩を含めた経緯など、幅広い分野のいろいろな科学技術に対して、ある時はメスを入れ、ある時は進化を促すためのトークをしてきた。


こうした中で、二年前の東日本大震災の発生は、サイエンスの分野に、とてつもなく大きなショックを与えた出来事であった。
それは、9日に起きた大きな地震から、11日の地震と大きな津波をなぜ予測できなかったのかである。
もし、進歩したサイエンスがあったなら、津波で多くの方々の命が奪われなくて済み、地震後停止した福島第一原子力発電所も津波の水をかぶって事故にならずに済んだかもしれない。
どこにサイエンスの欠陥があったのだろうか。それはサイエンティストの慢心なのか、それとも力不足なのか。


以降本欄で取り上げられてきたテーマは、テクノロジーやサイエンスとは何を以て完成と言えるのか、サイエンティストスを育てるためには今の教育で良しと言えるのか、サイエンスとイデオロギーとの議論の行く末は○×の両極の議論で良いのか、失敗学のような進化にまつわる負の経験の重要さを何処まで許容できるか、などであった。


そして、経済的にも科学技術的にも先進国である日本は、事なかれを選択するのか、自分の時代の満足を優先するのか、それとも地球上の人類の未来に向けて、新たな環境と技術を創り上げることを目指すのかもトークで扱われた。


これからもサイエンスの健全な成長と発展に向けて、それを期待する社会と、科学者のグローバルな視点で謙虚に追求する姿に夢を託して、このトークを締めくくりたい。


これにて本紙面でのテクノロジートークは終了するが、バックナンバーは従来通りブログにて公開させていただいているので、ご覧いただきたい。
また、これからも社会に気づきのきっかけを持って頂きたく思い、ブログにて「テクノロジートーク」を継続することとしました。
URLは次の通りです。
http://ameblo.jp/techno-talk


長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。
(著者を代表して)


サイエンスライター 高岡章喜
この記事は2013/3/26の電気新聞に掲載されたものです


ブログにてご覧いただいている読者の皆さん。電気新聞による「テクノロジートーク」はこれにて終了いたしますが、しばしお休みを頂き、新たな気持ちで本ブログにて「テクノロジートーク」を続けて参ります。よろしくお願い申し上げます


 昨今、北京のPM2.5(中国の環境大気質標準GB3095-2012では直径が2.5μm以下の粒子、米国環境保護庁USEPA では空気力学的直径が2.5μm以下の粒子)が話題になっている。
わが国ではPM2.5(定義は複雑なので省く)の大気環境基準は1年平均値が15μg/m3 以下であり、かつ、1日平均値が35μg/m3 以下としている。
NASAは1月中旬に北京を中心とする地域のサテライト映像を公開し、当時、北京の米国大使館のモニターがPM2.5の濃度291μg/m3を記録し、USEPA(米国環境保護庁)のAQI(大気質指標)では最悪の「人の健康に有害」なレベルであると報告した。
北京市環境保護監測中心(BJMEMC)は北京市の測定局でのPM2.5観測結果をウェッブ上で公開し始めた。


 日本のメディアも北京のPM2.5を報じている。
渋滞する車、砂埃で視界不良の天安門広場でマスクをし、急ぎ歩く人々、中国大陸から日本海を越え日本を包む込むPM2.5の広域輸送シミュレーションなどがTVで放映されていた。
原因は高濃度の硫黄を含む低品質のガソリンだとの解説もあった。


 映像は作為的、情報は一面的すぎるように思えた。
北京のPM2.5に寄与する成分として車以外にも、火力発電所やその他産業からの化石燃料燃焼排出物、バイオマス(薪)燃焼排出物や、道路の粉塵、二次的生成の硫酸塩・硝酸塩、黄砂等もある。


 一般にPM2.5はもちろんPMは起源のみならず素性も実に不可解なのである。
PMは、揮発性物質。反応性物質、固体粒子、液体粒子様々なものを含み、その特性は温度や圧力によって変わり、測定中に変化する可能性もある。
PMの厄介なところは大気中からの排除機構が機能しないことにある。


 PMは化石燃料を使う以上克服しなければならない課題の一つである。
化石燃料については、固定排出源、移動排出源によらず、PMをはじめとし、硫黄酸化物、窒素酸化物や有機微量物質など厄介な課題が多い。
CO2に起源する温暖化は言うまでもない。


 とはいえ、化石燃料の功罪を見る限り、「功」は甚大である。
今日、世界はエネルギー生産の約90%を化石燃料に依存し、この傾向はまだ当分続く。
石炭だけ取り上げても、今、中国の消費量は中国以外の全ての国々の合計消費量にほぼ匹敵する。
中国でのローカルな問題は同時にグローバルな問題にもなりうる。
石油の消費量も半端ではない。
今後も化石燃料の「功」を活かすには「罪」を見過ごしてはならない。
そのためには、隣接する日本や韓国はもとより、広くグローバルな国際協力が不可欠である。



サイエンスライター 新井隆介
この記事は2013/3/19の電気新聞に掲載されたものです

 原爆開発における米国とナチスドイツ双方の科学者の疑心暗鬼と思い込みと相互不信が、原子力という人類にとって希望を託せるエネルギーと技術を原爆という忌むべき形で世に出してしまった背景にあることを、ドイツのハイゼンベルク博士夫人の書かれた「ハイゼンベルクの追憶」(1980年)を基に推測をまじえつつ紹介したい。


 一般に米国の原爆開発はナチスドイツから逃れたユダヤ系科学者がナチによる開発を恐れて、ナチより先に開発すべく極秘に膨大な予算と人をかけて必死に取り組んだ、とされている。
その背景にはウランの核分裂がドイツで発見(1938年)されたためその兵器利用も当然進めるに違いない、なぜなら“あの”ハイゼンベルクがナチス政権下のドイツに残っているから、ということのようだ。


 米国はハイゼンベルクを1938~39年にかけて米国に呼び寄せようとした。
しかし真面目で頑固なこの愛国者は、ナチに蹂躙されつつある国の将来を憂い、アインシュタイン等ユダヤ系学者が拓いた理論物理学を専攻する科学者たちを「ナチの威を借りて攻撃する」御用学者連中に悩まされつつも、自分が育てた弟子達を見捨てられず、一国民として絶望的な国を支える決意でドイツ残留を選択し、1939年夏米国亡命の友人学者達に理由を説明すべく渡米した。
しかし友人だった彼等に偽装ナチとみなされて失意のうちに帰国した。


 ハイゼンベルグは1940~41年にかけて原子炉の雛形を造ったが、この頃に原爆開発には莫大な費用と数年の時間がかかること、そして科学者としてこれにかかわらない意思を持って、「ドイツは原爆開発不可能」とナチ政府に伝えていたという。


 また彼は1941年9月、かつての恩師で親友のニールス・ボーアに会いにデンマークに行っている。
しかしデンマークは1940年にドイツに占領され、ボーアはもはや彼を敵国人と見ていた。
ハイゼンベルクは、言論統制されていたドイツ国内でのように、言質を取られない「あいまいな話し方」ながら、ボーアに「ドイツは原爆を開発せず」と伝え、これを米国の科学者たちに伝えてくれることを期待した。
しかしボーアはその言葉を正反対に受け取り、ハイゼンベルクは原爆開発を進めていると米国に伝えた、という。


 1945年5月のドイツ敗戦直後、連合軍のドイツ原爆調査団長に米国は原爆開発をやっていない、と聞かされ、ボーアへの伝言の効果を信じたようだ。
だがその後10名のドイツ人科学者等と英国に数ヶ月抑留されている間に1945年8月、広島・長崎の原爆投下を知って、はじめは信じられず、本当だと知って米国への不信を募らせた、という。


 技術を巡るこうした不信の連鎖を見るにつけ、原子力エネルギーの不幸な誕生に残念な思いを感じざるを得ない。



サイエンスライター 世野和平
この記事は2013/3/12の電気新聞に掲載されたものです

 我が国ではいわゆる理系の人々が、ややもするとコミュニケーション力不足ではないか等と揶揄される場合があるが、勿論そうではない。自分で確かめてみるという性質を持つ人が多いので、返答に時間が掛かる場合があるだけである。


 さて、地球温暖化については拙稿で何度も触れたが、今回は理系に限らず、自分でも確かめたいという方に向けて、大気中炭酸ガス濃度の変動の原因を考察するという、演習問題を用意した。
大学の理系初年度程度の知識があれば確かめてみることができよう。


 元データはハワイのマウナ・ロアでアメリカ海洋大気庁が測定している炭酸ガス濃度データと、米国二酸化炭素情報分析センターが配布している世界の化石燃料燃焼による炭酸ガス排出量データを用いる。
どちらも1959年-2008年のデータをネットからダウンロードする。


 この演習問題には、手持ちの表計算ソフトなどが使えるであろう。
まず、年々の炭酸ガス排出量を積算して、大気中に排出された炭酸ガスが毎年どれだけ溜まってきたかという時系列データを作る。
次にマウナ・ロアの濃度データにこの排出量積算データをフィッティングさせる。
具体的には、積算データの時系列に一定の係数aを掛けて定数bを加えた数値が濃度データの時系列に最も合致するようにaとbを求めるわけである。
フィッティングの結果、両者は驚く程よく一致するであろう。


 次に両者の差をとると、季節変動分が残る。
両者の一致の度合いを数値化するために、ここからは応用問題となるが、対象としている50年間は季節変動の振幅その他は変化しないとして、この年変動を三角関数の基本波と高次波で表してから差し引く。
得られた残差が、非常に小さくなるのが分る。

 
 筆者の計算によると、その平均二乗偏差は、約0.7ppmとなる。
これは50年間の炭酸ガス測定の中央値が350ppmとすれば、その僅か0.2%にしか相当しない、つまり化石燃料燃焼による排出量でマウナ・ロアの炭酸ガス量の長期変動分のほぼ全てが記述できるという結果となる。


 この結果が示すところは、ここ50年間に自然による一定した吸収があるのは当然としても、増え続ける炭酸ガスのほぼ全てが人為的活動の表れということである。
この話の元データを作ったアメリカ海洋大気庁や他の機関の、これ程の長期間の実直な活動とそれに対する政府の支援には感動を覚えると同時に、変化する地球環境を考慮することなく、ひたすら炭酸ガスを削減するためには、森林保護や植林活動が必要だと喧伝する態度には疑問を感じざるを得ない。


サイエンスライター 朝田培九
この記事は2013/2/26電気新聞に掲載されたものです


 筆者は、とある総合スポーツ雑誌をよく読むのであるが、つい最近の号に例の全日本柔道連盟の全日本女子への暴力問題に関する論評があって、興味を持った。
このたったの1ページの記事の内容に興味を持ったのではない。
このページの印刷の地が黒であったことに興味を持った。
つまり記事の筆者や編集者達の、もうこれ真っ黒だよ記事にするのも嫌になる、という感想が活字を使わずして伝えられていたことにである。


 この雑誌にはよくサッカー記事が掲載されるのであるが、世界のサッカーの状況とそれを文脈とした、日本選手の活躍の報道や日本国内リーグの論評などがこの雑誌の魅力のひとつとなっている。
つまり、如何に日本のサッカーがワールドカップで優勝できるか、その目的と現状の差とは何かが雑誌のポジションである。
これは他分野スポーツの記事でも基本的に同じスタンスで、そこには暴力問題等の記事は存在し得る筈もない。


 なぜならそこには個人やチームのパフォーマンスを上げるためには何が必要であるのかという、合理的な思考があるからだ。
食事や健康管理やトレーニングや戦術の創造や理解や、あらゆるパフォーマンスの向上に寄与する、科学的と言って良い方策が練られている現代スポーツに、暴力やいじめが入り込む余地などないのだ。


 疑問に思うのはこの暴力問題に係る大手マスコミの報道が、暴力を否定するばかりで、そこに日本の柔道が勝利するためにどうすればよいか、という議論がないことである。


 以前に拙稿で述べたことがあるが、グループの組織化であるとか統率であるとか、方向性を決めるための議論と意思決定であるとか、結果としてのチームとしてのパフォーマンスであるとか、についての概念に、彼らの考えは向かっていなくて、我が国における教育をそのルーツとする、暴力は絶対に反対であるという、果てしもない絶対的解決へと目が向いてしまっているからだと言わざるを得ない。


 何かに対して絶対的な解決を求めるという、原子力に対する我が国の多くの人々の見せた反応が、またもやこのような出来事にも現れるのを見ると、絶対的なものが実現できる筈もないのに無為な議論を続けて、結局は問題の風化を待つといういつも通りの経過が見られるのではないか。


 つまりこの問題についても、終には絶対的なものが不可能だから根性論が必要だとする、これも拙稿で述べた、非アッパークラス同士の了解だけが残るのではないのか。
筆者は単純な解決策として、オリンピック柔道に関しては指導者層の全部を、ヨーロッパの適切な人間と交代することを提案する。


サイエンスライター 朝田培九
この記事は2013/2/19電気新聞に掲載されたものです