悪意というもの2 | typの推しつ推されつ

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都内のメンタルクリニックに勤務しております。折々のお気に入りのコンテンツについて取り留めなく語ります。

ついにシーズン3が配信開始となったペントハウス。



復讐が復讐を呼び、憎悪が憎悪を呼ぶ、悪意の万国博覧会はついに最終章に入ったがテンションはマシマシのアゲアゲ。


主人公シム・スリョンは指数関数的に強く激しくなりとにかく応援してしまう。



このドラマを見てると愛は簡単に憎悪に変わるし信頼は不信に転落してしまうので、ヒトの口から出た言葉はそれが善意であれ悪意であれ全く信用してはいけない気がしてくる。


一方、とても日本的、昭和的な悲しき悪意の物語だったのが、目下上映中の「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」。



タイトル通り、鬼太郎誕生のいきさつを描いたお話なのだが、雰囲気が横溝正史とか松本清張的な地方の寒村を舞台にした3世代にわたるド昭和な情念が渦巻くダークファンタジーで、悪意が悪意を引き寄せ膨れ上がって破局に至るという絵に描いたような(アニメだから絵に描いてあるんだけど)悲劇。


そもそも物語というものが何かしら悪いことが起こらないと始まらないわけで、よかれと思ったことが恨みを生み、その悪意が回り回ってよき帰結に至るという皮肉でほろ苦い展開もあったりして、人類が物語とともに過ごしてきたのも、悪意というものと共存するための生存戦略なのではないかという気もする。


あるいは、悪意そのものもまた生存戦略なのかも…


誰が誰に対する誰の悪意を誰の生存のために創り出しているのかは謎だけど…


そんな善悪の陰陽原理をまざまざと見せてくれた仮面ライダー555の放映20周年記念の映画の公開が迫っている。


ヒトの進化形態であるオルフェノクという種族と人類の相剋、葛藤、親愛、憎悪、激突、共闘…という情念の贅を凝らしたストーリーが期待される。



そして、この555で俳優デビューを果たした綾野剛が出演する映画が今週公開である。



ヤクザが合唱部員の中学生に歌を習うというぶっ飛んだ設定だが、この原作マンガがとびきり面白く、この映画も山下敦弘監督に野木亜紀子脚本と、大いに期待できそう。


歌と、「誰のために誰が」ということで思い出したのがこの歌。



冒頭で


「誰かのために誰かが祈っているみたい」


と歌い出す、いつ聴いても心を揺さぶるこの歌は誹謗中傷に耐えかねて命を絶ってしまった芸能人たちを思って作られたそうなのだが、ネット空間で繰り広げられた膨大な悪意の表出が、かくも美しい歌に帰結したという経緯、この上ない呪いが美しい祈りに姿を変えるという現象はなんとも皮肉で悲しくも切ない。


そこで、呪術廻戦の最強五条先生の言葉も思い起こされる。