ちょっと前に岡田斗司夫氏が感動の正体について持論を話していた。
『これは僕の持論なんですけど、あらゆる物事で感動するというのは罪悪感が解消されるからなんです。立派に生きた人の映画を見て僕らが感動するのは「そんな風に生きられない自分自身」を肯定されているような気がして感動するんです。
何か人間がポロポロ泣くというのは「もうそんな風になれない自分」を感じるから泣くんであって、だから子供は感動しないです。感動する話は大人にならないと分からないとか、物心ついて、10歳とか11歳くらいにならないと分からないというのは罪悪感がないからです。
罪悪感があって、もうすでにそんな自分はなれない、そういう風に頑張れないと思うからです。だから不幸な病気に耐えた人の手記とか読んで感動するのはそんな風になっても私はけなげに生きられない。その罪悪感で感動するんです。』
最近ハマっている「無人島のディーバ」を見るたびぬほんとにそうだなぁと思う。
歌手を目指していた少女が無人島に15年置き去りにされて必死で生き延びて、生還してなお歌手を目指しなおかつ推しだった先輩歌手の復活を死に物狂いで助けるなんて、ある意味荒唐無稽な設定で、絶対自分にはできないであろうことをなんの迷いもてらいもなくへこたれずやり続けるこのモチベーションやエモーションにこれでもかと自分の無力さ不甲斐なさを叩きつけられる。
とはいえ、歌詞が韓国語なので基本何を歌っているかわからないOSTにここまで心を揺さぶれるのはなんでなのか…歌唱力もあるのだろうがメロディーに何かハッピーターンのハッピーパウダーみたいなティアパウダーがまぶしてあるのだろうか…