るゴジラ-1.0を見ていて、登場人物にカメラが寄る際に顔と肩がフレームに入るシーンがほとんどだったことに気づいた。
なんでそんなことを気にするかというと、デミアン・チャゼル監督作品の「ファーストマン」を見たときに、やたらと顔面に寄る時に顔の輪郭がフレームからはみ出るくらいまでクローズアップしていたことが印象に残っていたから。
この映画は、初めて月面着陸した宇宙飛行士ニール・アームストロングの伝記映画だが、アームストロングは常に冷静で穏やかで表情をあまり変えないところがよくわかる画面構成だったと思う。また映画全編が、どことなくホームビデオで撮影したような雰囲気になり、アームストロングはじめアポロ計画に関わる人々の生活感がリアルに感じられた。
そして顔面はみ出しアップといえば、なんどもこのブログに登場している「麗」。
こちらはアームストロングとは真逆でエモーションの極致であり、顔面はみ出しにより表情筋大躍動が堪能でき、エモさが半端ない。
前回ご紹介したイ・ジュンギの表情もそうなのだが、共演のIUの容貌の時系列に沿った変化も見ものである。
まずは序盤のなんの苦労も知らない天真爛漫な頃。
プンスカしたり素直な笑顔だったりがとても愛くるしい。
そして、さまざまな艱難辛苦を味わう頃。
なんとも切ない表情を浮かべるようになってしまった。
そして、もはや取り返しのつかない悲劇が展開される終盤。
不幸のどん底で諦念と共に見せる微笑は神々しいまでの凄みをたたえた美しさである。
劇中では十数年の年月が経過しているのだが、この変化を数ヶ月間の撮影の中で表現するというのは本当にすごい。
解剖学者の三木成夫によると、表情筋はもともと魚のえらを動かす筋肉だったらしく、内臓の筋肉が表面に露出したかたちになるとのことで、内面を表出して他人に理解させるための筋肉なのだそうだ。
たしかに「麗」は腹わたを引っかき回されっぱなし、涙腺が崩壊しっぱなしのドラマだった。
帝位という呪われた地位をめぐる皇族や豪族の妄執、確執、怨念、憎悪、そしてその中に時折おとずれる束の間の心の通い合う幸せをここまでのスケール感で描いた作品は他に見たことがない。