譲れないもの | てちとぴあ

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 ヘ/タ/リ/アで二次小説を書いて行きます。たぶん、日受け中心になるハズ。

 
 
 「もうこんなに暗くなって…」
 壁際のスイッチを押すと、数度瞬いた電灯がかすかな音と共に白い光を溢れさせた。
 「…なあ」
 熱を潜めた囁きが、宵闇の降りくだる大気をそっと分ける。華優し東つ邦の化身は転瞬肩を跳ねさせ、しかしそれ以上の反応は見せずに卓袱台の前に膝をついた。
 「何でしょう?お茶が入りましたので、どうぞ」
 抑えられた緊張の隙間に滑り込ませるように穏やかな声を返せば、縁側でふところ手に空を見上げていた男が振り返る。その膝から、白い塊が分離してきゃわんと鳴いた。
 「ああ…すまねぃな」
 大柄なサディクが立ち上がると、鴨居の向こうに頭頂が隠れる。白い仮面をつけた顔を少し伏せ、彼はのっそり身を屈めて室内に踏み入った。 常に比べて緩慢なその動作にも抑制が見られ、卓袱台に茶盆を置いた家主…菊はほんのわずか息を詰める。
 アジアの西端から来た男は座布団の上に落ち着き、差し出された湯呑を手に取った。ひょいと会釈する様子はやけに日本人じみている。
 す、とひと啜り、口元を緩めた。
 「おう…こりゃまた、いい茶じゃねえかい」
 「貴方はたいせつなお客様ですからね、奮発もします」
 美食の国の化身は、緑茶の味がわかるまでに日本に馴染んでいる。菊が茶目っ気を乗せて舌は確かですねと言ってやると、そりゃまあなと少し得意げな声が返って来た。そこに、次の瞬間苦笑のひびきが混じる。
 「けど、俺としちゃあ今のは嬉しい一方でちょいと切ないねい」
 「はい?」
 菊は自分の湯呑を持ったまま、きょとりと視線を向けた。こりこり仮面の下の鼻筋を掻く様子が、卓袱台の天板にぼんやりと映る。
 「客、じゃなしに、人、とか言ってもらいてえもんだってな」
 「それは…」
 少なからず胸が騒いだ。先ほど呼びかけられた時のように。
 小さな間が空いて、目を畳に落とせば息を入れる音が聞こえた。
 「そう、思ってんだよ。俺はよう…少なくとも俺ぁ、お前ぇさんが大切で仕方ねえ。お前は俺の絶対で、唯一だ。いつもそう思ってる…いつも近くにいて欲しい。だからお前にもちったあそう思っててもらいてえ…ってのは、過ぎた望みかぃ?」
 乞うように問われて、菊は反射的にかぶりを振る。
 「そ、そんなことはありません。私にとってだって、貴方はとても大切な方ですよ。だって、たとえ敵味方に分かれてさえ信じていていいと思えるのなんて、貴方くらいです」
 頬が熱い。目の前に座る男の熱に当てられているのだろうか。言っていることは本心だけれど、なにか別の意味合いが混じり込んでいる気がする。
 サディクが顔を跳ね上げた。
 「じゃあ…」

 背を屈めて覗き込むように見つめて来る様子に、菊は仰け反りそうになるのを堪えて微笑もうとした。ひどく情けない顔になっていたかもしれない。

 それへ、先ほど呼びかけた時と同じほどの熱を浮かべた声が向けられる。大きな掌とともに。

 「てえげえに、色好い返事を聞かせてくれよ。俺の胸に空いた穴を埋めてくんな…そいつは」
 頬に触れる直前で止まった手が、頬までの間の空気をあたためる。そこからゆっくりと…ゆっくりと近づき、

そうっと触れた。

 「あんたにしかできねえんだ…」

 一緒にいてくれ。

 トルコへ、来てくれ。

 畏れるような。あるいは祈るような。溜息を含んだ声音が菊の耳朶に届く。ゆっくりとひとつ瞬き、彼はそうっと息を継いだ。

 「…できません」

 「なんで!!」

 反射のように返された大音声に、柱が天井がびりと震える。あ、と我に返ったサディクは膝立ちになったまま視線を逸らした。

 「すまねえ、大声出して…けど、だけどよう…俺はほんとに」

 長身の男はのろのろと腰を落とし、再び湯飲みをつかんだ。しかしそれを持ち上げようとはしない。

 「…理由を、聞かせてくんねえか」

 ややあって、力ない呟きが零された。

 「お前さんがそう決めたってんなら、俺ゃそれ以上何も言えねえ。まして無理強いなんざできるわけもねえ…けど、振られる理由くらいは教えてくれたっていいだろい?」

 菊は息をつく。かすかにかぶりを振ると、空気中に自分の使っているシャンプーの香りが拡がるのを感じた。体温が上がっているのかもしれない。

 「振った、なんて覚えは…」

 静かに呟くと、サディクの視線が上がる。

 「現に俺のプロポーズを断ってんじゃねえかい」

 「プロポーズって貴方…

 「いえ、とにかく、私がトルコで暮らすことが無理だというのは本当です。だって」

 卓袱台の上で、菊はぐっと拳を握る。そして彼は言った。言い切った。

 「貴方のところでは、ちゃんとしたお醤油が手に入らないじゃないですか!!」

 「…は?」

 間抜けな声が返るのを気にも留めず、日本国の化身は大きな目をかっと見開いて反るほどに背筋を正す。反論は受け付けないという姿勢の表れか。

 「宗教上の理由で、醸造段階でアルコール成分を発する調味料さえも許されないって!無茶ですよそんなの、無理無理無理!!お醤油がなくちゃ生きて行けません私っ!!!」

 「え…あ、いや、まあ…しかしそいつは、メーカーに失礼ってモンじゃねえのかい。アルコールを生成しねえ醤油、ってのも作られてんだろ?」

 呆気に取られたサディクが話しながら立ち直って行く。それへ菊は、きらりと瞳を光らせたあと沈痛に顔を伏せた。

 「ええ…わが国企業の皆さんの経営努力は素晴らしい。確かに、メーカーさんは頑張って下さっています…それは事実です。事実ですが…やっぱりどうしても、ひと味足りないと言うか…違うんです、っ」

 くっ、と詰められる吐息には苦渋が色濃い。そして対面に座る男は、食に関しては容赦のない菊の姿をよく知っている。

 「そう、けい」

 長く息を吐く音のあとには、なにかうすい沈黙が落ちた。

 柱に掛けられた時計だけが一定のリズムで時を呟き続ける。

 「…わかった」

 「…だから」

 再び口を開いたのは同時だった。消沈を隠しもせずに肩を丸め、仮面の位置を直しながらサディクは引き下がる言葉を紡ごうとし、反対に菊はきっぱりとこうべを擡げる。唇に微笑さえ湛えて。

 それをどう取ったのか視線を揺らす異邦の化身に、古りたる東の国はそっと言葉を継いだ。

 「あなたがこちらにいらっしゃるのが、いいと思いますよ」

 隠された瞳に浮かんだ驚きと喜びは、空気に伝わって確かに彼には読めた。