ようこそ鬼ヶ島へ(ノ≧▽≦)ノ

結婚と同時に義両親と同居して31年。

自分勝手で傍若無人な宇宙人を相手に

地球と鬼ヶ島の平和を守る

『てち』と申します。

よろしくお願いします。

 

鬼ヶ島初上陸の方は

こちらからどうぞ 

 

 

 

ここでは基本的には

同居の愚痴を綴っています。

もともとは宇宙人の生態記録でしたが

鬼姑も80歳を超え

この頃は介護記録に

変わりつつあります。

 

それと、

未来の自分

宇宙人にならないようにという

私の記憶バンクでもあります(笑)

 

ママ友との確執を記録した

PTAシリーズもあります。

ご近所付き合いで

悩めるママの参考になればいいなぁ。

 

たまに、良い娘を演じたい義芋が

へんてこなエサ(2代目宇宙食)を

鬼姑に運んできます。

鬼姑は、すっかり料理をしなくなったので

元祖宇宙食をご覧になりたい方は

宇宙食専用のInstagram

をご覧ください。

techi459

で、検索してね音譜

鬼さんマークが目印です爆  笑

 ※インスタ申請時には必ずメッセージください。

となっていますが、メッセージなしで

300名ほどの方が申請されています。

メッセージのない方は承認しておりません。

心当たりの方はインスタでもアメブロでも

メッセージください。

 

 

※ブログのコメントは承認制にしております。

  すぐには反映されませんので、

  ご了承ください。

 

 

ムカつくことがあったり

思い出したことがあったら

いつでも吐き出しにきてね😆

 

 

 

 

✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️✴️

 

こんばんは🌃

「てち」です。



いよいよ今年も残すところ

あと1日となりましたね。


今年も色々ありました。


わたし、

いつも職場ではストレスが

なかったんですけど


今年は同僚の態度に

悩まされました。


一人の人から、

やたらめったら

キツく当たられたんですよね。


なんかしたか??

と思うほどに。。。


いまは別に

そうでもないんですけど


それはメンタルクリニックに

通いだして

薬を飲み始めたから??


職場でも振り回されて

結構しんどかったです。


まぁ、鬼姑よりも

最強なやつには

会ったことがないので

たいしたことないんですけどね。


それよりも、、、


今年一番の出来事は

実家の父が

亡くなったことです。


リアルでブログには

書いていなかったんですが、

今年の区切りということで

書かせてください。


施設に入所していたのですが

風邪から肺炎になり

病院と施設を行ったり来たり。


そんな頃から

別れを意識しては、いました。


移送のときには

できる限り施設や病院を訪れ

ほぼ会話もできませんでしたが

私自身の自己満足かもしれませんが

会いに行き、

写真を撮っていました。


最後のほうは

食事もできなくなり

誤嚥も多く、

肺炎を繰り返すかもしれないと


今後の治療方針の

決断をしなければなりませんでした。


①何もしない

②点滴治療

③胃ろう


弟と話し合い、

胃ろうに決めて

また別の病院への転院など

できる限り付き添えるように

してきました。


人は、食べられなくなると

だめだなぁと

父を見ていて

そう思いました。


それに比べ、

鬼姑や逃げ舅の

食べることへの執着。


このギャップを感じるたび

なぜ私の父なんだろうと

鬼姑や逃げ舅の

顔を見るのも嫌でした。


最後は病院ではなく、

施設でした。


その直前に

母と面会に行けていたので

良かったなと思いました。


私は職場で

その連絡を受けました。


弟も職場でした。


しばらく休むことを想定し

お互い仕事の目処をつけてから

帰宅しました。


すぐに葬儀場を決めて

施設から葬儀場へ

身を移さなければなりません。


悲しむよりも

やることが先行して

バタバタした数日でした。


施設から葬儀場への移送は

私が同乗しました。


父との最後のドライブでした。


手を握ったまま

ドライブしました。


車好きだった父には

たくさん色んな所に

連れて行ってもらったなぁと

思いながらの

ラストドライブでした。



覚悟はしていましたが

やはり自分の父には

生きていてほしかったなと。


わがままですが

鬼姑や逃げ舅よりは

1日でも長生きしてほしかったなと

思いました。



いつかはやってくるだろう

自分の親との死別が

まさか今年だとは

思いもしませんでした。



父のところへ行くのも

一度は旦那に

疑問を投げかけられましたが

貫き通して良かったと思います。



自分基準になってしまいますが

自分自身がね

もっとできたんじゃないかって

後悔はしたくなかったので

やれるだけやりました。



葬儀は湿っぽいのは

父は嫌いだったので

父の好きな音楽をかけて

賑やかに見送りました。


葬儀は友引も被ったため、

ゆっくりとお別れの時間を

もつことができました。


私は父っ子だったので

寂しさはなかなか

拭いきれませんが

今年の締めくくりとして

ここに記録させていただきました。




親孝行は

親の居るうちに

そう思った2023年でした。