ようこそ鬼ヶ島へ(ノ≧▽≦)ノ

結婚と同時に義両親と同居して30年。

自分勝手で傍若無人な宇宙人を相手に

地球と鬼ヶ島の平和を守る

『てち』と申します。

よろしくお願いします。

 

鬼ヶ島初上陸の方は

こちらからどうぞ🎵

 


ここでは基本的には

同居の愚痴を綴っています。

もともとは宇宙人の生態記録でしたが

鬼姑も80歳を超え

この頃は介護記録に

変わりつつあります。


それと、

未来の自分

宇宙人にならないようにという

私の記憶バンクでもあります(笑)

 

ママ友との確執を記録した

PTAシリーズもあります。

ご近所付き合いで

悩めるママの参考になればいいなぁ。

 

たまに、良い娘を演じたい義芋が

へんてこなエサ(2代目宇宙食)を

鬼姑に運んできます。

鬼姑は、すっかり料理をしなくなったので

元祖宇宙食をご覧になりたい方は

宇宙食専用のInstagram

をご覧ください。

techi459

で、検索してね音譜

鬼さんマークが目印です爆  笑

 ※インスタ申請時には必ずメッセージください。

となっていますが、メッセージなしで

多数の方が申請されています。

メッセージのない方は承認しておりません。

心当たりの方はメッセージください。


 

 

※ブログのコメントは承認制にしております。

  すぐには反映されませんので、

  ご了承ください。

 


ムカつくことがあったり

思い出したことがあったら

いつでも吐き出しにきてね😆



 

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おはようございます☀

「てち」です。



旦那が濃厚接触者になり


PCR検査の結果、

陽性が判明し


ある日突然

濃厚接触者になった私達は

陰性ではありましたが



旦那が変異カブとわかり

ホテル療養が白紙に。


途方に暮れていたところ

再度保健所から連絡があり


旦那が入院できる病院が

見つかりました。



ほっと一安心。


と思いきや、

これまたホテル療養同様に

自力で行くしかないわけです。

公共交通機関は利用不可、

タクシーも無理、

入院先まで私が送るか。。。


と思っていたら、

自宅待機で車が使えない

逃げ舅の車で

旦那が自力で行くと言い出しました。


大丈夫かなと思いましたが、

正直、病院へ行く道中、

陽性者の旦那と

三密の状態にはなりたくない。。。


高熱というわけではなかったので

自力で行ってもらうことに。


翌朝朝イチで

自力で向かいました。


旦那の部屋はそのまま封印。

トイレもそのまま封印。


すぐに消毒とかは

しませんでした。


ここでようやく

私達の自宅待機期間が

確定しました。


保健所に電話をして

いつまでか確認。

濃厚接触者になった日から

2週間ではなく、


陽性者との最終接触日から

2週間と言われました。


これは自治体によって

違うかもです。


というわけで、

鬼ヶ島密着24時を

2週間することになったのでした。


旦那が入院した病院からは

担当医師から電話がありました。


今の病状と

今後の体調変化による

治療方法の確認などです。


もう、

よろしくお願いします。

しか言えませんでした。

そして、大変な日々である

先生方への労いを。


こうして

朝昼晩と4人分の食事を作る羽目に

なりました。


とりあえず健康で

やることもない日々。


けど、外に出るわけにもいかない。


家にずっといるんだから

パーッとシーツでも

洗いたいところだけど


私が居ないはずの昼間に

洗濯物を大量に干すこともできない。


洗濯物は夜になり

暗くなってから干していました。


正直、

食事はどうにでもなりました。

生協を利用してたこともあり

食べるものには

全く困りませんでした。


ただ、

夏休みの母親の心情ね。

一日中、ご飯の支度をしてるかんじ。


もうこの状況を

楽しむしかないと

突然ゲームを買う私。

ポチと毎日フィットネスしてました(笑)

 ↓↓これね

Fit Boxing 2 -リズム&エクササイズ- -Switch

 

キッチンの掃除も

はかどりましたよ。


元気なのにやることないから

掃除するしかないもん。


旦那が入院したときには

空きがあった病室も

数日のうちに満室になったそうです。


うちはタイミングよく

入院できたと思います。


感染のピーク時だったら

入院できずに

自宅療養になって

私達の自宅待機期間も

どんどんのびていたことでしょう。


入院してからは

鬼姑が鬱陶しかった。


夜な夜な泣くんですよ。

心配だとか言って。

親っていうのはそういうもんだわ!

と言って泣く。


そして、

自分の父母の写真にむかって

ブツブツと念仏を唱えていました。


👩(しんでないわ!!)

とイライラしっぱなしでした。


あまりにも鬱陶しいので

👩泣いたら治るの!?退院できるの!?

と言った私。


だんだん我慢も限界超えます。。


密着24時は

精神的に負担が大きすぎる。

ポチが居たのが救いですけどね。

逃げ舅は朝から夜まで

リビングを占拠して

テレビ見てるだけ。


もう、苦行でしか

ありませんでした。



変異カブは入院が1ヶ月程度

と言われていましたが

途中から、

通常カブと同じ扱いに

変更になりました。


わりと軽症だった旦那は、

1週間程度で

退院してきました。


そして、もう仕事に行ってもよいと。


え、

私達はまだ1週間も

自宅待機残ってるのに

当の本人は

仕事に行ってもいい!?

なんじゃそりゃ~


とはいえ、

旦那もまだ多少咳も残っていたので

あと1週間程度は

自主規制するとのことで


隔離部屋に閉じ込めておきました。


鬼姑は

👹なんで退院してきたの!?

もっと入院させてもらやー!!


と、勝手なことを言っていました。


心配だって泣いてたくせに

帰ってきたら

👹なんで帰ってきたの!!

まだ、うつるんじゃないの!?

って怒ってましたからね。


もう笑えてきますよ。


しかし、

旦那が退院してきてからのほうが

色々と大変でした。


そして、義芋のこともね、、、

次回の記事にします。



つづく