不可欠なもの[生き残る哲学](その2)
3000年前に(はっきり覚えない)中国が7国の乱の時代だった。
7国が生き残る為に最善の哲学を求めた。
哲学家達も自分の哲学は最善だとあちこちに唱えた。
その時代は、道、名、法、陰陽、墨、儒、の六の哲学があった。
7国の中の斉が[稷下学宮]と言う研究会を立ち上げて、
各の哲学の一番賢い哲学家達(孟子と荀子も入った)を集め、
たれの哲学が一番を決める為にであった。
自分の哲学が一番だと信じる哲学家達だった、
が、
議論するうちに、自分の弱みと相手の強みも気がついた。
で、
たれも知らないうちに相手の強みを自分の哲学に入れた。
繰り返しうちに、新しい哲学を誕生した。
これは[黄老道家]であった。
戦争がひどくなった。
哲学家達が斉から逃げなければならなかった。
そして、[黄老道家]が全中国に広まってしまった。
つづく


7国が生き残る為に最善の哲学を求めた。
哲学家達も自分の哲学は最善だとあちこちに唱えた。
その時代は、道、名、法、陰陽、墨、儒、の六の哲学があった。
7国の中の斉が[稷下学宮]と言う研究会を立ち上げて、
各の哲学の一番賢い哲学家達(孟子と荀子も入った)を集め、
たれの哲学が一番を決める為にであった。
自分の哲学が一番だと信じる哲学家達だった、
が、
議論するうちに、自分の弱みと相手の強みも気がついた。
で、
たれも知らないうちに相手の強みを自分の哲学に入れた。
繰り返しうちに、新しい哲学を誕生した。
これは[黄老道家]であった。
戦争がひどくなった。
哲学家達が斉から逃げなければならなかった。
そして、[黄老道家]が全中国に広まってしまった。
つづく
