動物さんが 肉体の死 を迎え

その身体、肉体がどれだけ愛おしかったかを痛感します。

触れたり、抱きしめたり、匂いをかいだりして

いなくなってから、自覚していた以上に

その身体に癒やされていたことに気づくのかなって思います。





今まで個人的に経験してきたこと

そして周囲の人たちの経験や

アニマルコミュニケーターとしての経験から感じるのは

動物さんたちは、大好きな人間家族に対して

最善の方法で旅立っていくように感じます。

ギリギリまで力を尽くして・・・。




私は子どもの頃から 死=無 ではないと知っていました。

誰かに教えられたとか、何かの宗教観だとか

そういうものではなくて

子どもの頃から身内の死に触れる機会があったり

ご近所さんや血のつながりのない相手に対しても

なぜか関心があったようで

その頃から自分なりの死生観を持っていたのだと思います。

実際に亡くなった人を感じることもあったりして。

なので最初に猫のトムちんをお見送りした時には

彼女が消えて無くなってしまった訳じゃないことはわかっていました。



でも。


やっぱり触りたかった、感じたかった。

辛くて苦しくて、会社の階段室で

彼女にコンタクトを取ったときのことを

私が書いてる猫ブログから転載しますね。










トムとお話がしたくて、階段室に行って

傍にいてくれていることはわかっているけど触りたいことを伝えました。

トムの答えは、
私だって撫でてもらいたい。ってことでした。

そんなトムの気持ちにも気づかなかったことに涙が溢れました。

そうだよね、肉体が無いってそういうことなんだよね。

でもトムちんは肉体を離れることを選んだんだよねって。

でも触れ合うこと、それ以上に肉体を離れることには

大切な意味があるってことを教えてくれました。

そしてまた会えることも伝えてくれました。


少し落ち着いて、今思うのは、全て計算されていて

旅立ちの時を計画していたんだなぁってこと。

このことも、色々不思議なことがいっぱいです。

また機会があれば、トムの旅立ちのための作戦を書きたいと思います。


(2009/08/21 お転婆トム子ちん から抜粋)








私が暮らした3ニャンのうちで

彼女が最初に旅立った意味もあるんだなあ

と、感じています。

トムちんは、旅立った後も本当にすごい存在感でした。

透明になれるマントでもかぶっているだけじゃない?

というくらい。

爪とぎしたり、ごはんを食べたりして

強くアピールすることで



わたしはココにいるから、消えていなくなった訳じゃないから!!



と、いうことを私に伝えようとしていることが

よく伝わってきました。

対照的に他の2ニャンは旅立ち後も静かでしたしね。



明日のお話会、行きたいけど距離が、都合が・・・という嬉しい声も頂いています。

私も届けたいっ!

動物たちがくたびれきった身体で

懸命に私たちがペットロスにならないようにしてくれていること

それを感じられるようになったら

お互いにもっと幸せを感じて生きられると思うのです。





という訳で、すぐにお届けできない方に向けて

今日はちょっとだけ書かせて頂きました。

仙台には、このテーマを持って行きます。

日程が決まったらまたお知らせしますね。

あおの迷子のことも持っていけたらいいな。

ウチのコらが小さな身体で教えてくれた大きな愛。

その深い部分では、他の全ての動物たちと繋がってる愛。

届けずにはいられないです。





多くの人たちが、与えられていることに気づかず

奪われていると感じ、心身ともに疲弊していると感じます。

動物たちと共に、彼らから届けられた愛いっぱいのメッセージを

できる限り、届けたいと思っています





あまり遠いところだと簡単に行けないかも知れませんが

junから話を聞きたい、そんな人が数人集まったならば

できる限り、お伺いします。


みーちゃんがあのタイミングで身体を離れたことも

実は今の私につながっていますしね。

そんな意味でも、見送った猫達は今も生き続け、私を応援してくれています。


同じように、あなたと暮らす動物たち、暮らしてきた動物たちも

あなたがあなた自身を生きるために大きくて深い愛で

あなたを応援し続けてくれているのです^^







その他、お茶会・イベント等のご案内は コチラ から。