フォロバの御礼&”隼”を駆ることについて(ヤス@GSX1300R隼) | 絶望ライダー(仮)

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バイクが好きだけど乗るのが怖くなったヘタレによる雑多なブログ

日曜日の雨が悔やまれる、爽快な天気の週明けでしたね( ;∀;)

 

ホタテの丸かじり、ヤスでございます。

 

この度フォローバックくださいましたおじさんとバイクさんBB21号さん、yukunononintonさん。また、いいねをくださいました皆様!この場をお借りして改めて御礼申し上げます!ありがとうございます(・∀・)

 

さて、私ヤスは念願かなって「隼」という大変な性能を持つパートナーを得ることができ、いささか舞い上がっておるわけなんですが…実際に跨ることにより、その大変さを改めて痛感いたしました。

 

(メットも換えなアカンなぁ)

 

昨日「ちょっと乗っちゃお☆」ってな具合に「隼」に跨り街へ繰り出したのですが、そこで少々問題がございました(コケたりしたわけじゃないですよ)。

 

ここから長文&駄文ゾーン入ります。「読むんダルい」という方は「長文&駄文ゾーン終わり」まで飛ばしてください。

 

自身がバイクで街中を走るという点においては全く問題はありませんでした、先代「GSR」でも散々駆け巡ってきたいつもの道、しかしながらそんな馴染みの道がこいつに跨るだけで一変してしまいます。

「隼」という存在は周囲へ圧倒的なオーラを放ちながらその眼光が向かう方向へ進んでいきます。放たれるオーラは、見る者に対し老若男女あるいはドライバーや歩行者の区別なく己が持つその性能を、その機能美を、否が応でも認識させるほど強力です。

 

その強力なオーラは跨る者にも放たれ、当然誰よりも近くで感じます。納車されてすぐは「イヤホー☆」ってな具合にウカレポンチでおりましたが、時間が経つにつれ徐々に「隼」の放つオーラを感じるようになりました。それを感じることは、ライダーにプレッシャーにも似た錯覚を与えます。

その隼の放つオーラをまとってしまうが故に、いつもの道でいつもの運転をしているつもりがミョーに緊張するというか、なんか見られているような錯覚に陥ります(自意識過剰っていうんスかね?)。

 

(初代とツーショット)

 

なまじ「GSR」のころの感覚のままで転がすと、返ってくる反応は「GSR」よりも強烈です。その強烈な反応をそのまま表に出して調子こいてビュンビュン走らすとどうでしょう、それは気持ちがいいかもしれません。しかしながら己が操っているマシンはあの「隼」です、スズキの…いや日本のフラッグシップと言って過言ではないマシンを、原付やそこらのバイクと同じようにすり抜け全開で走らせてよいものなのだろうか(できたらできたで技量を誇示できていいんでしょうけど)。

 

「隼」に限らず、ほぼ全てのバイクの背負う宿命は「速く走る」ことであると私は思います。ですがその速さとは、こと公道においては他と比較した結果の速さではなく、自身の持つ技量の範囲内で「速さを自覚する」ということではないでしょうか。

「隼」は言うまでもなく速いバイクです。ワインディング等はともかく、街中で転がす分には他の追随を許す訳がありません。その気にならなくてもあっという間にその辺の木っ端な車共はミラーから消え失せてしまいます。

 

(そろそろ写真がなくなってきた)

 

そんな凄まじいマシンのオーラをまとい、その性能を扱う者として軽率なライディングはできないものです。

しかしながら「隼」の声はライダーの精神を駆り立てます、先日のツーリング時にもあったように

「”究極”を見せてやる」と。

周囲の目も期待のこもった視線を寄こしてきます、

「うわ隼やん、めっちゃ速いやつやん」と。

その全てを理性でもって律し、「隼」を操る者として、しかるべきシチュエーション以外での速さの誇示を控えなければなりません(できるできないは別として)。

 

長文&駄文ゾーン終わり

 

…というような諸々のいらん考えが頭をよぎっちゃって「街中で乗るん大変やな」と感じてしまいました。正直クラッチが重かったり、フレームがちんちんに熱かったりとかはありますが転がすこと自体は特に労することなくいけました。やっぱ「隼」を街乗りすんのっていろいろ意識しちゃいますね、周りの目とか、もっとエンジン回したらなアカンなぁとか。やっぱ”メガスポーツ”の名前はいろんな意味で伊達じゃないということですかね(;^_^今後は街乗りは控えようと思うヤスでございました。

 

本日も最後までお付き合いいただきましてありがとうございます!