ハワイアン6と俺(中編)
皆さんいかがお過ごしですか?前編はいかがでしたでしょうか?
さて、3部作の2部目でございます。
その前に、懐かし写真でお楽しみ下さいw
左上からKEV(Jr.MONSTER)、はっちゃん、とーるちゃん(ex.HAWAIIAN6)、ゆうた、筆者。
左下は元TOWER RECORDSの楡木さん、りょーちゃん、マーボー(SPC)この時マーボーは、いわゆるタダのSTAFF。のちに無謀な目標を達成することになるとは。。
これは、沖縄のBEACHにはっちゃんを埋めた図w
2000年のHAWAIIAN6と筆者。
左から、はっちゃん、とーるちゃん、ゆうた、筆者。中下はRUI (STINGRAY)。
初の札幌で、氷点下なのにもかかわらず浴衣1枚ではしゃぐ2000年。
【PIZZA OF DEATHとHAWAIIAN6】
HAWAIIAN6の目標はPIZZA OF DEATHからのリリース。
多分それはバンドを始めた頃からの目標だったと思う。
2000年は皆挙って新たなシーンの幕を開こうとしていた時代。
全身全霊でFANTASY TOURを敢行し、
盟友BRANCHとのSPLIT "WORD"をリリースし、
がむしゃらにライブをこなしていた。
俺もギターボーカルを辞め、エンジニア業に徹するモードへ。
BANDをやめる気はなかったが、やるなら本当にやりたい事をやろうと思っていた。
ギターボーカルを4年間(1996~1999年)やって、
ものすごく良い経験になったし、なにより楽しかった思い出しかない。
BANDをやるきっかけは人それぞれ。
ま、この話は表題からはなれてしまうのでまたw
PIZZA OF DEATH と言えば、当時はHi-STANDARDのレーベルっていう印象が強く、
皆の憧れで、雲の上のレーベル。
『俺ら界隈でPIZZAから出すバンドって現れるのかねぇ??』
と、よく皆で話してたな~
2001年のある日、はっちゃんから連絡が。
「PIZZAからのリリース決まりそうだよ」
大事件である。
はっちゃんは俺に、
「これで飯食えたら最高だよな!一緒に頑張っていこう!」
と言ってくれた。
エンジニアの先輩に、
「好きなアーティストについて全国ツアーに行けるエンジニアなんて、
世界でも一握りだぞ。お前なんか論外」
なんて言われてたけど、この業界に飛び込んで4年目にして
目標達成が目の前まで迫ってた。
俺もエンジニアの腕に磨きをかけてしっかりとHAWAIIAN6を伝えられるような、
頼もしいエンジニアになるぞって思っていた。。
【人生の起点】
ただ、引っかかる事が1つあった。
実は、俺は他にどうしてもやりたい事があったのだ。
畑野君にまず相談。
A「はっちゃん、俺さ、ギターボーカル辞めてドラムをやりたいんだよね。」
H「え?、今から?!今から始めたって追いつかないよ?w とりあえずPAとして一緒にツアー回ろうぜ!」
A「そっか~、とりあえず色々考えさせて!」
H「わかったよ~」
こんな会話をしたのを今でも覚えてる。
(今思うと、この会話で俺の心に火が着いたのかな。)
それから相談にのってくれた友達のバンドマンにどう思うかを聞くと、
皆、「今からドラムは辞めた方がいい、ギターボーカルを続けろ」と言う。
そりゃそうだよな。ドラム叩いているANDREWなんか想像つかないらしい。
2週間くらいたって、
自分の中で答えが見えた時、はっちゃんに会いに行き、
「ドラムをやろうと思う」と告げた。
はっちゃんは、
H「そうか。色々考えて出した答えなんだな。
それなら、うちのPAは辞めてもらうしかないね。」
やはり。言われるとは思ったが、これは、
『ドラムは生半可な気持ちじゃできねーよ、やるなら本気でやれよ』
というメッセージだと思い、HAWAIIAN6を卒業することに決めた。
【RISEに加入】
俺はハードコアも大好きで、叩くならそういう系のドラムをやりたかった。
当時メロディックパンクをやっていたがラウドな激しいバンドも誘ったりして
イベントをやっていた。そこに大好きなRISEをしょっちゅう呼んでいた。
ところが、RISEはドラムが脱退して1年くらい活動していない時期があり、
(ちょうどGUYSが解散した時期)連絡してみた。
ギターの加藤氏に、
「バンド活動お休みしてるなら一緒にスタジオはいりましょうよ!
最近ドラム始めたんで、ギター、ベースにあわせて叩いてみたいです!」
と電話した。8ビートしか叩けないのに快く引き受けてくれた。
何も決めずにスタジオに入りがむしゃらに叩いた。すごくたのしかった!。
加藤君が、「今度はお題決めてやろうぜ」と言ってくれて、
ドラム叩きまくり、なんとか決めたお題のものを叩けるようになって
2回目のスタジオの日を迎えた。
「アンドリュー、お前下手だけどやる気は有るよな。今日からお前RISEな。」
え?!
突然すぎて、びっくりを通り越した。
電話したときはRISEに加入するなんて1ミリも思っていなかったが、
うまいやつとやるよりお前みたいなやつとやったほうがやりがいが有ると言ってくれて、
やろうと決めた。
RISEは凄く好きなバンドだったので、
ほぼ素人の俺が入ったらダメなんじゃないかって考えたけど、
やりがいが有るって言われたし挑戦しようと決めた。
ANDREW加入後RISE初ライブは、
はっちゃん、ゆうた、どっちゃん、リョーちゃん
(ちなみにまだFUCK YOU HEROES結成前)
等、みんな応援しにきてくれた。
俺は、はっちゃんに言われた、
「今からドラム始めたって追いつかないよ」
という言葉の意味をすごく考え、
技術では追いつかないかもしれないけど、
違うかたちで必ず追いついてみせる!
そんな目標を立て、憧れのはっちゃんの背中を見ながら、
かっこいいドラマーになると心に誓った。
うまいドラマーよりかっこいいドラマー。
ずっとフロントマンだったっていうはっちゃんが持ってない武器があるし、
自己流だしフォームはめちゃくちゃだけど、
「なんかあのドラマーに目がいくなぁ、下手だけどカッコいいなぁ~」
そんなドラマーを目指し、2001年ドラマーに転向した。
つづく
次回最終回!
【FUCK YOU HEROES結成】
【ハワイアン最後のPA】
です!
では~
さて、3部作の2部目でございます。
その前に、懐かし写真でお楽しみ下さいw
左上からKEV(Jr.MONSTER)、はっちゃん、とーるちゃん(ex.HAWAIIAN6)、ゆうた、筆者。
左下は元TOWER RECORDSの楡木さん、りょーちゃん、マーボー(SPC)この時マーボーは、いわゆるタダのSTAFF。のちに無謀な目標を達成することになるとは。。
これは、沖縄のBEACHにはっちゃんを埋めた図w
2000年のHAWAIIAN6と筆者。
左から、はっちゃん、とーるちゃん、ゆうた、筆者。中下はRUI (STINGRAY)。
初の札幌で、氷点下なのにもかかわらず浴衣1枚ではしゃぐ2000年。
【PIZZA OF DEATHとHAWAIIAN6】
HAWAIIAN6の目標はPIZZA OF DEATHからのリリース。
多分それはバンドを始めた頃からの目標だったと思う。
2000年は皆挙って新たなシーンの幕を開こうとしていた時代。
全身全霊でFANTASY TOURを敢行し、
盟友BRANCHとのSPLIT "WORD"をリリースし、
がむしゃらにライブをこなしていた。
俺もギターボーカルを辞め、エンジニア業に徹するモードへ。
BANDをやめる気はなかったが、やるなら本当にやりたい事をやろうと思っていた。
ギターボーカルを4年間(1996~1999年)やって、
ものすごく良い経験になったし、なにより楽しかった思い出しかない。
BANDをやるきっかけは人それぞれ。
ま、この話は表題からはなれてしまうのでまたw
PIZZA OF DEATH と言えば、当時はHi-STANDARDのレーベルっていう印象が強く、
皆の憧れで、雲の上のレーベル。
『俺ら界隈でPIZZAから出すバンドって現れるのかねぇ??』
と、よく皆で話してたな~
2001年のある日、はっちゃんから連絡が。
「PIZZAからのリリース決まりそうだよ」
大事件である。
はっちゃんは俺に、
「これで飯食えたら最高だよな!一緒に頑張っていこう!」
と言ってくれた。
エンジニアの先輩に、
「好きなアーティストについて全国ツアーに行けるエンジニアなんて、
世界でも一握りだぞ。お前なんか論外」
なんて言われてたけど、この業界に飛び込んで4年目にして
目標達成が目の前まで迫ってた。
俺もエンジニアの腕に磨きをかけてしっかりとHAWAIIAN6を伝えられるような、
頼もしいエンジニアになるぞって思っていた。。
【人生の起点】
ただ、引っかかる事が1つあった。
実は、俺は他にどうしてもやりたい事があったのだ。
畑野君にまず相談。
A「はっちゃん、俺さ、ギターボーカル辞めてドラムをやりたいんだよね。」
H「え?、今から?!今から始めたって追いつかないよ?w とりあえずPAとして一緒にツアー回ろうぜ!」
A「そっか~、とりあえず色々考えさせて!」
H「わかったよ~」
こんな会話をしたのを今でも覚えてる。
(今思うと、この会話で俺の心に火が着いたのかな。)
それから相談にのってくれた友達のバンドマンにどう思うかを聞くと、
皆、「今からドラムは辞めた方がいい、ギターボーカルを続けろ」と言う。
そりゃそうだよな。ドラム叩いているANDREWなんか想像つかないらしい。
2週間くらいたって、
自分の中で答えが見えた時、はっちゃんに会いに行き、
「ドラムをやろうと思う」と告げた。
はっちゃんは、
H「そうか。色々考えて出した答えなんだな。
それなら、うちのPAは辞めてもらうしかないね。」
やはり。言われるとは思ったが、これは、
『ドラムは生半可な気持ちじゃできねーよ、やるなら本気でやれよ』
というメッセージだと思い、HAWAIIAN6を卒業することに決めた。
【RISEに加入】
俺はハードコアも大好きで、叩くならそういう系のドラムをやりたかった。
当時メロディックパンクをやっていたがラウドな激しいバンドも誘ったりして
イベントをやっていた。そこに大好きなRISEをしょっちゅう呼んでいた。
ところが、RISEはドラムが脱退して1年くらい活動していない時期があり、
(ちょうどGUYSが解散した時期)連絡してみた。
ギターの加藤氏に、
「バンド活動お休みしてるなら一緒にスタジオはいりましょうよ!
最近ドラム始めたんで、ギター、ベースにあわせて叩いてみたいです!」
と電話した。8ビートしか叩けないのに快く引き受けてくれた。
何も決めずにスタジオに入りがむしゃらに叩いた。すごくたのしかった!。
加藤君が、「今度はお題決めてやろうぜ」と言ってくれて、
ドラム叩きまくり、なんとか決めたお題のものを叩けるようになって
2回目のスタジオの日を迎えた。
「アンドリュー、お前下手だけどやる気は有るよな。今日からお前RISEな。」
え?!
突然すぎて、びっくりを通り越した。
電話したときはRISEに加入するなんて1ミリも思っていなかったが、
うまいやつとやるよりお前みたいなやつとやったほうがやりがいが有ると言ってくれて、
やろうと決めた。
RISEは凄く好きなバンドだったので、
ほぼ素人の俺が入ったらダメなんじゃないかって考えたけど、
やりがいが有るって言われたし挑戦しようと決めた。
ANDREW加入後RISE初ライブは、
はっちゃん、ゆうた、どっちゃん、リョーちゃん
(ちなみにまだFUCK YOU HEROES結成前)
等、みんな応援しにきてくれた。
俺は、はっちゃんに言われた、
「今からドラム始めたって追いつかないよ」
という言葉の意味をすごく考え、
技術では追いつかないかもしれないけど、
違うかたちで必ず追いついてみせる!
そんな目標を立て、憧れのはっちゃんの背中を見ながら、
かっこいいドラマーになると心に誓った。
うまいドラマーよりかっこいいドラマー。
ずっとフロントマンだったっていうはっちゃんが持ってない武器があるし、
自己流だしフォームはめちゃくちゃだけど、
「なんかあのドラマーに目がいくなぁ、下手だけどカッコいいなぁ~」
そんなドラマーを目指し、2001年ドラマーに転向した。
つづく
次回最終回!
【FUCK YOU HEROES結成】
【ハワイアン最後のPA】
です!
では~