「決意と覚悟」
約2年ぶりにブログを書く。Twitterの登場により。。。(はい、言い訳ですねww)
最後のほうに書いたブログも、なんだかブログっぽくないし(笑)
ブログっぽくないブログを久しぶりに書くとする。
いつかは記憶も薄れる。この危機を忘れない様、必ず乗り越えられると信じ、文章にしてみようと思う。
[地震直後]
記憶にも新しい3月11日に発生した東日本巨大地震。
発生したとき、自分はBaby smokerの北海道公演に同行していて、北海道の道央自動車道の上。
新千歳空港に向かっている途中で、高速道路を走っていたせいか全く揺れも感じなかった。
パーキングエリアに入ろうとした時にドラムのジンベエの携帯が鳴り、心配した親からの電話で宮城県北部で最大震度7、埼玉震度6弱を知る。
すぐに家族に電話したが、携帯は繋がらず…。嫁の実家が宮城県南三陸町の志津川だったので、そっちにも電話をしたが、やはり繋がらず…。
パーキングエリアでは、普通に電話できている人や、携帯が繋がらずイライラしている人、TVに釘ずけになっている人達で溢れていた。
みんながなんだか「緊張」していた。その時津波はまだ来ていなかった。
志津川はつい先日にも震度5が来ており、その時向こうのみんなはケロッとしていたし、なんとか大丈夫だろうと思っていた。
俺たちはかなり時間の余裕を持って新千歳空港に向かっていた。
なので何かあってもすぐに対応できると思ったが、17時前に到着した時点で予想を上回る混雑。
どうにもできない。
そして、自分が乗る飛行機の状況を調べたく辺りを見渡していたら、TVに目が行く。
仙台空港に津波が来ている映像だった。
嫁の実家が宮城県南三陸町志津川だ。
血の気が引いた。
『ただ事ではない。』
でも、チリ地震の時の津波の高さを示すポールが町中立っているし、まさかそれ以上はないだろうと、なぜか思った。
とりあえずチェックインカウンターを探す。
混雑が予想以上。伝言掲示板を見ると、やはり欠航だった。
私事で朝、東京にどうしても帰らないといけないのだが、次の羽田便は次の日の夜9時半まで満席。
これでは夜のFUCK YOU HEROES名古屋公演に間に合わない。
調べると中部国際空港行きと関西国際空港行きの2便は大幅に遅れてはいたが飛んでいた。
さらに、奇跡的に中部国際空港行きが4席空いていたので、それに乗って名古屋に飛ぶのが良いと判断した。
携帯が使えないからなのか、NTTが公衆電話を無料にしてくれたのでそれで家族の安否を確認、私事のキャンセル、
FUCK YOU HEROESメンバーの気持ちを確認した。気持ちは一緒だった。
飛行機を待っている間に、一通のメールがきた。
「津波すごい」
空港に向かっている途中、志津川にいるみんなに一括送信で「安否だけでも教えて下さい」とメールをいれといた。
その返事がきたのだが、句読点や絵文字も無い、ただ一言
「津波すごい」
みんな無事なのか?
続けて「みんな無事、町は全滅」というメール。いったい何が起きたんだ?
飛行機の時間が迫っていたので俺はBaby smokerと別れ、名古屋へ向かった。
到着してすぐ漫画喫茶に向かう。
そして、徐々に被害状況が明らかになる。
TWITTERでもLIVEの自粛する告知が相次ぐ。
ライブを行うことの賛否が問われている中、俺たちはやる事を選択した。
正直困惑したが、どう思われようが俺たちの生き様を貫く事を選んだ。
LIVE中、志津川のことを考えてしまい、気が気じゃない気持ちをMCで言ってしまった。
[2日後]
一番下の妹を迎えにいくことにした。が、準備が全然足りない事に気づき、一旦とどまる。
[6日後]
この一週間、二番目の妹とその旦那と俺で南三陸町の志津川に行く準備を進めていた。
まずガソリンの確保。しかし、どこも売り切れの為、携行缶でガソリンを確保しなければならない。
みんなの協力により、1日かけて60リットルGET。
緊急車両通行許可証があれば通行止めの高速が使える事がわかり、警察署に申請しにいき、無事にGET。
[8日後]
いよいよ出発。夜走りで行った。
今回は乗用車で行くので、生きていく上で必要なものは1家族分しか持っていけなかったが、
かさばらないもので、避難所のみんなの役に立つだろうと思う物は持っていった。
着なくなったバンドT-shirts、パーカー、ズボン、米20kg、マスク400枚、を志津川高校の避難所本部に寄付した。写真は志津川高校から見た景色。
朝方無事に志津川到着し、嫁両親、妹と再開、朝から全員号泣。
そしてすぐに持参した暖かい味噌汁とコーヒーを飲んでもらった。
町を歩いた。遺体発見現場に2回も遭遇した。
何も無い嫁の実家にも行った。
マンションの入り口に船。屋上に車が。。
トンネルはあるが線路は無い。
[避難所]
半日志津川高校で過ごした。あちらの両親はどんな状況でも俺たちが来たら接待したい。避難者に支給される数少ない食料を出された。
何度も断ったが、断る事が悪く思えてきて結局頂いた。ちゃっかり米軍が持ってきた水も頂いた。
俺はこんな時でも髪の毛が緑。そんな奴南三陸町どこ探してもいない。
被災地に行くとき、心なしか不謹慎ではないか?と思ってしまい、なるべくパーカーのフードをかぶって目立たないようにしていたが、
たちまち噂が広まり、避難所で、東京から来た緑頭を見たいというおばさん達のグルーブが生まれてしまい、おばさん4、5人くらいが俺を見に来た。
子ども達は目が点。後で聞いた話だが、その場がすごく明るくなったそうだ(笑)ほんの一瞬でも嫌な事が忘れられたのなら良かった。
そして隣のおじいちゃんにお前はミュージシャンかと聞かれ、色々な話をした。
そのおじいちゃん、デブ過ぎて(これでも30kgは痩せたらしいw)新品の救援物資のズボンが入らないから、
俺が持ってきたかなりでかいディッキーズをあげた。凄く喜ばれた。
逆の隣のおじいさんは朝、新しいジーンズ(レディース)を手に入れたらしく超ご機嫌。
その件でみんなからいじられ、照れていた。奥さんは津波で流されて行方不明。
東京から持ってきた志津川が一面になっている新聞を渡す。
全く情報が入ってこないせいか、たちまち周りの皆が次貸してくれ、次貸してくれと、回す回す。
自分たちの町の状況がそこで初めてわかったようで、ほとんどの人が肩を落としていた。
ここで、直接行って、必要な物が見えたのでtwitterに書いた。(3/20の時点)
[自分のTWITTERより]
(あくまでも南三陸町の志津川談です。)
【まとめ1】特に必要とされる物→衛生用品(体拭くシートや、ドライシャンプーは特に!※買いだめSTOP) 、
男性用下着肌着靴下、(女性用ばかりくる。靴下なんか無理矢理女性用履いている)、
女性用下着類(若い人用ばかり。避難所は9割お年寄り。やはり抵抗 が。お年寄りにふさわしい下着を!)
【まとめ2】必要とされる物[危険物編]→ガソリン、軽油(ガソリン有れば登米市方面に買い出しに行ける、
発電機が動かせる、軽油が有れば重機が動かせる) 、
カセットコンロのガス(避難所は9割お年寄り。暖かい物が飲みたいという意見が多数。その他色々役に立つ)、BBQセット等。
【まとめ3】あまり必要とされてない物→お洒落な衣類(動きづらい、もったいない) 、
子ども服(年齢によるがかなり余ってます。)、水(当然有るのにこしたことはないですが、今すぐ必要ではありません。)
何でも送れば良いってもんじゃないですね。凄く難しいけど、被災地、被災者のニーズに合った物が良いですよね。
[最後に]
10日間風呂に入っていない妹を連れて東京に戻った。なんだかまだ信じられない自分がいた。
なんだか締まりの悪いブログになってしまいましたが。。。 とにかく、
大切な人を亡くした家族は想い出を大切にして下さい。必ずこの災害に打ち勝つことが出来るはずです。
3月11日に発生した東日本巨大地震により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災され、不自由な生活を余儀なくされている方々に心よりお見舞申し上げます。一刻も早い復旧をお祈りしております。 TIGHT RECORDS ANDREW
最後のほうに書いたブログも、なんだかブログっぽくないし(笑)
ブログっぽくないブログを久しぶりに書くとする。
いつかは記憶も薄れる。この危機を忘れない様、必ず乗り越えられると信じ、文章にしてみようと思う。
[地震直後]
記憶にも新しい3月11日に発生した東日本巨大地震。
発生したとき、自分はBaby smokerの北海道公演に同行していて、北海道の道央自動車道の上。
新千歳空港に向かっている途中で、高速道路を走っていたせいか全く揺れも感じなかった。
パーキングエリアに入ろうとした時にドラムのジンベエの携帯が鳴り、心配した親からの電話で宮城県北部で最大震度7、埼玉震度6弱を知る。
すぐに家族に電話したが、携帯は繋がらず…。嫁の実家が宮城県南三陸町の志津川だったので、そっちにも電話をしたが、やはり繋がらず…。
パーキングエリアでは、普通に電話できている人や、携帯が繋がらずイライラしている人、TVに釘ずけになっている人達で溢れていた。
みんながなんだか「緊張」していた。その時津波はまだ来ていなかった。
志津川はつい先日にも震度5が来ており、その時向こうのみんなはケロッとしていたし、なんとか大丈夫だろうと思っていた。
俺たちはかなり時間の余裕を持って新千歳空港に向かっていた。
なので何かあってもすぐに対応できると思ったが、17時前に到着した時点で予想を上回る混雑。
どうにもできない。
そして、自分が乗る飛行機の状況を調べたく辺りを見渡していたら、TVに目が行く。
仙台空港に津波が来ている映像だった。
嫁の実家が宮城県南三陸町志津川だ。
血の気が引いた。
『ただ事ではない。』
でも、チリ地震の時の津波の高さを示すポールが町中立っているし、まさかそれ以上はないだろうと、なぜか思った。
とりあえずチェックインカウンターを探す。
混雑が予想以上。伝言掲示板を見ると、やはり欠航だった。
私事で朝、東京にどうしても帰らないといけないのだが、次の羽田便は次の日の夜9時半まで満席。
これでは夜のFUCK YOU HEROES名古屋公演に間に合わない。
調べると中部国際空港行きと関西国際空港行きの2便は大幅に遅れてはいたが飛んでいた。
さらに、奇跡的に中部国際空港行きが4席空いていたので、それに乗って名古屋に飛ぶのが良いと判断した。
携帯が使えないからなのか、NTTが公衆電話を無料にしてくれたのでそれで家族の安否を確認、私事のキャンセル、
FUCK YOU HEROESメンバーの気持ちを確認した。気持ちは一緒だった。
飛行機を待っている間に、一通のメールがきた。
「津波すごい」
空港に向かっている途中、志津川にいるみんなに一括送信で「安否だけでも教えて下さい」とメールをいれといた。
その返事がきたのだが、句読点や絵文字も無い、ただ一言
「津波すごい」
みんな無事なのか?
続けて「みんな無事、町は全滅」というメール。いったい何が起きたんだ?
飛行機の時間が迫っていたので俺はBaby smokerと別れ、名古屋へ向かった。
到着してすぐ漫画喫茶に向かう。
そして、徐々に被害状況が明らかになる。
TWITTERでもLIVEの自粛する告知が相次ぐ。
ライブを行うことの賛否が問われている中、俺たちはやる事を選択した。
正直困惑したが、どう思われようが俺たちの生き様を貫く事を選んだ。
LIVE中、志津川のことを考えてしまい、気が気じゃない気持ちをMCで言ってしまった。
[2日後]
一番下の妹を迎えにいくことにした。が、準備が全然足りない事に気づき、一旦とどまる。
[6日後]
この一週間、二番目の妹とその旦那と俺で南三陸町の志津川に行く準備を進めていた。
まずガソリンの確保。しかし、どこも売り切れの為、携行缶でガソリンを確保しなければならない。
みんなの協力により、1日かけて60リットルGET。
緊急車両通行許可証があれば通行止めの高速が使える事がわかり、警察署に申請しにいき、無事にGET。
[8日後]
いよいよ出発。夜走りで行った。
今回は乗用車で行くので、生きていく上で必要なものは1家族分しか持っていけなかったが、
かさばらないもので、避難所のみんなの役に立つだろうと思う物は持っていった。
着なくなったバンドT-shirts、パーカー、ズボン、米20kg、マスク400枚、を志津川高校の避難所本部に寄付した。写真は志津川高校から見た景色。
朝方無事に志津川到着し、嫁両親、妹と再開、朝から全員号泣。
そしてすぐに持参した暖かい味噌汁とコーヒーを飲んでもらった。
町を歩いた。遺体発見現場に2回も遭遇した。
何も無い嫁の実家にも行った。
マンションの入り口に船。屋上に車が。。
トンネルはあるが線路は無い。
[避難所]
半日志津川高校で過ごした。あちらの両親はどんな状況でも俺たちが来たら接待したい。避難者に支給される数少ない食料を出された。
何度も断ったが、断る事が悪く思えてきて結局頂いた。ちゃっかり米軍が持ってきた水も頂いた。
俺はこんな時でも髪の毛が緑。そんな奴南三陸町どこ探してもいない。
被災地に行くとき、心なしか不謹慎ではないか?と思ってしまい、なるべくパーカーのフードをかぶって目立たないようにしていたが、
たちまち噂が広まり、避難所で、東京から来た緑頭を見たいというおばさん達のグルーブが生まれてしまい、おばさん4、5人くらいが俺を見に来た。
子ども達は目が点。後で聞いた話だが、その場がすごく明るくなったそうだ(笑)ほんの一瞬でも嫌な事が忘れられたのなら良かった。
そして隣のおじいちゃんにお前はミュージシャンかと聞かれ、色々な話をした。
そのおじいちゃん、デブ過ぎて(これでも30kgは痩せたらしいw)新品の救援物資のズボンが入らないから、
俺が持ってきたかなりでかいディッキーズをあげた。凄く喜ばれた。
逆の隣のおじいさんは朝、新しいジーンズ(レディース)を手に入れたらしく超ご機嫌。
その件でみんなからいじられ、照れていた。奥さんは津波で流されて行方不明。
東京から持ってきた志津川が一面になっている新聞を渡す。
全く情報が入ってこないせいか、たちまち周りの皆が次貸してくれ、次貸してくれと、回す回す。
自分たちの町の状況がそこで初めてわかったようで、ほとんどの人が肩を落としていた。
ここで、直接行って、必要な物が見えたのでtwitterに書いた。(3/20の時点)
[自分のTWITTERより]
(あくまでも南三陸町の志津川談です。)
【まとめ1】特に必要とされる物→衛生用品(体拭くシートや、ドライシャンプーは特に!※買いだめSTOP) 、
男性用下着肌着靴下、(女性用ばかりくる。靴下なんか無理矢理女性用履いている)、
女性用下着類(若い人用ばかり。避難所は9割お年寄り。やはり抵抗 が。お年寄りにふさわしい下着を!)
【まとめ2】必要とされる物[危険物編]→ガソリン、軽油(ガソリン有れば登米市方面に買い出しに行ける、
発電機が動かせる、軽油が有れば重機が動かせる) 、
カセットコンロのガス(避難所は9割お年寄り。暖かい物が飲みたいという意見が多数。その他色々役に立つ)、BBQセット等。
【まとめ3】あまり必要とされてない物→お洒落な衣類(動きづらい、もったいない) 、
子ども服(年齢によるがかなり余ってます。)、水(当然有るのにこしたことはないですが、今すぐ必要ではありません。)
何でも送れば良いってもんじゃないですね。凄く難しいけど、被災地、被災者のニーズに合った物が良いですよね。
[最後に]
10日間風呂に入っていない妹を連れて東京に戻った。なんだかまだ信じられない自分がいた。
なんだか締まりの悪いブログになってしまいましたが。。。 とにかく、
大切な人を亡くした家族は想い出を大切にして下さい。必ずこの災害に打ち勝つことが出来るはずです。
3月11日に発生した東日本巨大地震により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災され、不自由な生活を余儀なくされている方々に心よりお見舞申し上げます。一刻も早い復旧をお祈りしております。 TIGHT RECORDS ANDREW










