【今週のワンポイント-10】根拠ある城郭 | 人生竪堀

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TEAMナワバリングの不活発日誌

 佐竹攻めのくだりで金砂郷山(かなさごやま)城が登場したのにちなんで、今回のワンポイントは城の話。

 この時代の史料には、「城」「城郭」という言葉がちょくちょく登場する。もちろん、城といったって白亜の天守も壮麗な石垣もない。では、戦国時代の城のように、土塁や空堀でできた「土の城」だったのかというと、それも違う。

 この時代には、街道を封鎖するバリケードのような施設も「城」「城郭」と呼んでいる。それから、武士の屋敷などを「城郭」にしている例もある。要するに、武装した兵がタムロっているような場所が「城郭」。

 だから、この時代の史料では、「城」「城郭」に対応する動詞は「構える」だ。城郭は「築く」ものではなく、「構える」ものだったのだ。叛乱軍や謀反人が武装して、アジトに集まれば「城郭を構える」ことになる。

 もちろん、ドラマに登場した佐竹氏の金砂郷山(かなさごやま)城のような、山城タイプの城もあった。ドラマでは、セリフのみではしょられてしまったが、三浦一族が畠山重忠らと戦った衣笠城も、そうだ。要するに、一族が命運をかけて籠もるような城だ。

 ただし、戦国時代のように、ふだんから城を築いて敵の攻撃に備えているわけではない。戦いになって、敵に攻め込まれると、一族郎党で山に籠もる感じである。「ヤバくなったら、○○山へ」みたいに、一族で申し合わせている緊急避難所、みたいなイメージで考えた方がまちがいない。

  そんな「構える」山城には、土塁も空堀もない。はっきり言って、タダの山である。

 では、なぜタダの山が「城郭」になるのかというと、軍勢の主力が騎馬武者だったからだ。弓や薙刀をもった歩兵もいるけれど、どちらかというと補助的な存在。縦横無尽に走り回りながら、強力な矢を射る騎馬武者にはかなわないからだ。

 ただし、騎馬武者は開けた場所や、道のあるところでないと戦闘力を発揮できない。だから、騎馬武者が突入してこられないような場所に陣取るだけで、強力な防禦ができる。あとは、要所に楯やバリケードを並べて、道を見下ろすように兵を置き、敵が攻めてきたら弓矢や投石で迎えうつ。

 それに、この時代の軍勢は、戦列を整えて組織的に戦うようにはなっていない。家ごとに集まったら、あとは個人でてんでに戦うだけだから、城内を堀や土塁でガチガチに区切ったりしたら、かえって戦いにくい。

 なので、タダの山や街道を封鎖するバリケードが、強力な「城郭」になるのだ。

 

 そんな源平合戦時代の「城郭」に興味がある人は、今月の『歴史群像』(4月号)毛掲載の「〝鎌倉殿の古戦場を歩く2〟衣笠城合戦」(西股筆)を読んでみよう。ドラマでは省略された衣笠城合戦が、香川元太郎さんのすばらしいイラストで再現されてますよ。

 

(西股総生)

 

《ワンポイントイラスト》

 

 

ただの山が城郭? 騎馬武者にとってはね!!

 

(みかめゆきよみ)