【縄張りコラム】検定不合格 | 人生竪堀

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TEAMナワバリングの不活発日誌

 僕が城の研究を志した大学生の頃、杉山城のことを知っているのは、関東の縄張研究者くらいなものだった。それから40年ほどをへて、今や杉山城は「続日本100名城」に選出され、城好きなら一度は訪れてみたい土の城として、指折られるまでになっている。
 無名の城が名城に数えられるに至る経緯については、拙著『杉山城の時代』にも書いたので、興味のある方はご一読いただきたいのだが、多くの人が杉山城を歩き、語り、さまざまな媒体で採り上げられるようになって気になるのが、城の評価である。
 いえ、いえ。北条だとか山内上杉だとか、永禄とか大永とか、そういう話ではないのです。杉山城について語るとき、多くの人が枕詞として冠する「中世の築城教本」「築城の教科書」という表現が、気になるのだ。
 実は、この「築城教本」「教科書」という表現、誰が使い始めたのか、よくわからない。わからないにもかかわらず、なぜだか縄張研究者達が言い出したことになっていて、関東の縄張研究者は杉山城を模範的縄張と評価している、みたいに思われることが多い。とあるシンポジウムで、著名な戦国史の先生から「西股さん的には、杉山城は中世の築城教本という評価になるのでしょうが」と言われて、当惑した経験もある。
 少なくとも僕は、自分自身で杉山城を教科書的な縄張だと評価するような書き方や発言をしたことは、一度もない。杉山城の縄張は、たしかに技巧的ではあるが、模範的だとも教科書的だとも思えないからだ。
 だいたい、あんな堀切も、櫓台も、内枡形虎口もない城、教科書なら一発で検定不合格だ。ついでに言うなら、杉山城をモデルルームかプロトタイプのような城だと考える人もいるが、これも首肯できない。トイレもキッチンもクローゼットもないモデルルームなんて、ありえないからだ。
 それに、もし杉山城がモデルルームやプロトタイプだとしたら、杉山城に範をとった城が、関東のあちこちにあるはずではないか。見たことないのである、そんな縄張。つまり杉山城は、何らかの理由でとんがった、ぼっちの縄張なのである。
 そこで最近は、杉山城について書く機会があるたびに、「こんな縄張、教科書ではありえない」と明言するよう、心がけている。心がけてはいるのだけれど、それ以上に圧倒的に多くの人や媒体が、やれ「築城教本」だ「教科書」だと発信するので、一向に追いつかない。
 それは、そうだ。今は、城ブーム。ブームとは、多くの人が関心を寄せて、多くの人が発信する現象であるから、多くの人が語れば語るほど、ノイズも圧倒的な倍率と速度で増幅されるのだ。
 城ブームなんて、来なければよかった。