イギリス人「高射砲で戦車を撃つなんて、ずるいじゃないか!」
ドイツ人 「高射砲じゃなきゃ撃ち抜けない戦車で来る方が、ずるい!」
北アフリカ戦線での、88ミリ砲をめぐる有名なエピソードである。
88ミリ砲とは、ドイツ軍が誇る超優秀な高射砲。彼らは、これを野砲や対戦車砲としても活用し、連合軍に恐れられた。映画『プライベート・ライアン』の中でも、米兵たちが再三、88ミリ砲がどうとかいっている。
なぜ、88ミリの話なんかを持ち出したかというと、最近、城界の一部で「城郭抑止力論」なる考えが、まことしやかに説かれているからである。少し前にも、駿府城を採り上げたテレビ番組で、某先生が語っていた。
いわく、家康が駿府城に巨大な天守を建てたのは、豊臣方の戦意を喪失させるためだ、と。こんな壮大な城は落とせないから、戦争仕掛けるのやーめよ、となるわけで、巨大な城郭は抑止力としての効果を発揮した、という論法だ。
僕は、全然納得できない。ある種の兵器システムが抑止力たりうるのは、それが決定的な破壊力を持つ、攻撃システムだからではないだろうか。たとえば、現在の国際情勢においては、核兵器が抑止力として機能している。それは、もし相手国に核攻撃を仕掛けたら、相手も相応に核兵器で反撃してきて、お互いに国家が滅亡するくらいのダメージを負う、ということを、双方が確信しているからではないか。
一方、城は防禦兵器である。防禦兵器が抑止力たり得る、というロジックは、歴史的に、ないしは軍事学的に成立するのだろうか。少なくとも北アフリカのドイツ軍は、イギリス戦車の装甲が厚すぎるからといって、逃げ出したりはしなかった。手持ちの対戦車砲で撃ち抜けなければ、撃ち抜ける砲を持ってくるだけのことである。
話を日本の城に戻す。島原森岳城は、見るからに難攻不落だが、一揆は起きた。起きたどころか、一揆勢は森岳城に攻め寄せている(落とせなかったが)。しかも、一揆が起きた主要な原因の一つは、築城にともなう苛斂誅求とされている。築城は、抑止力どころか戦争の誘発要因になったのだ。
徳川対豊臣の場合を考えても、豊臣方は挙兵したのである。彼らは、結果的に攻勢策を採らずに籠城策を採ったが、それはあくまで戦略上の選択だ。駿府城や姫路城や彦根城が強力だから戦争はやめよう、という判断にはならなかったのである。
だから、家康も大坂城を攻めた。太閤殿下が心血を注いだ天下の堅城で、攻略は無理だから開戦は避けよう、とは考えなかったのだ。実際には、冬の陣で大坂城を落とすことができなかったが、夏の陣では落とした。攻め方を変えただけの話である。
要するに、ある城を攻めるか、攻めないか、攻めるならどう攻めるか、というのは、あくまで戦略上の判断、作戦上の選択、ということだ。(つづく)
西股総生