【縄張りコラム】フォースとともに40年 | 人生竪堀

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TEAMナワバリングの不活発日誌

 『EP-Ⅸ/スカイウォーカーの夜明け』が公開されて、『STAR WARS』シリーズがついに完結しましたな。僕が第1作(EP-Ⅳ)を最初に観たのは高校生の時だから、これまで40年、実に人生の2/3もの期間を付き合ってきたことになる。なので、言いたいことは山のようにあるのだけれど、ここでは少しだけ。
 この映画はもともと、1970年代後半におけるハリウッド映画の閉塞感に対するアンチテーゼとして登場してきた作品。ベトナム戦争の後遺症に病んでいた当時のハリウッドは、勧善懲悪の娯楽映画を作ることができなくなっていたからだ。
 重厚、あるいは先鋭な社会派ドラマは数多く生み出されたものの、映画が本来もっていた娯楽要素が、行き場を失っていたのだ。そうした状況を背景に登場してきた『STAR WARS/EP-Ⅳ』が、どれだけ清新なインパクトをもって受け入れられたかは、今の人にはちょっとピンとこないだろう。『STAR WARS』は当時の映画ファンにとって、まさに「A NEW HOPE」だったのだ。
 そうした背景を前提にすると、帝国軍がナチス・ドイツをイメージさせることや、ハン・ソロが西部劇そのままのスタイルであること、などの必然性が読み解ける。かつて、ハリウッドにおける娯楽映画の代表といえば、戦争映画と西部劇だったからだ。
 もう一つ、そもそも『EP-Ⅳ』が比較的低予算の映画として制作されたことも、心に刻んでおきたい。予算が乏しい分、制作者たちは「A long time ago, in a galaxy far, far away…」を表現するために、知恵をしぼった。見せたいもの全部は作れないので、作り込むのは一部分だけにして、それを既存の風景の中に巧みに埋め込む。そうすることで、ルーカス言うところの「使い込まれた時と場所」が、自然なものとして表現される。そうして、カット割りとカメラワークを工夫することで、世界観を構築する。
 結果として、短いカットを積み重ねて映像を構成することになるので、見せたいものがはっきりして、画面に小気味のよいテンポ感が生まれる。SFと戦争映画はアカデミー賞をもらえない、と言われていた中で、EP-Ⅳが衣装デザイン賞・編集賞・美術賞を受賞したわけがわかる(当然ながら音楽賞・視覚効果賞も受賞)。
 『EP-Ⅶ』以降、制作元がディズニーになって、作品の娯楽性が増した一方で、何となく大味になってしまったように感じるのも、たぶんそのあたりに原因があるのだろう。予算がたっぷりついて、CGの技術も飛躍的に向上して、見せたいシーンは何でも、見せたいように作れることになった。
 ただ、その分、先鋭な構図感覚とか、小気味よいテンポ感が後退してしまう。結果として、主人公のキャラが壮大なスペクタクル映像の中に埋没して、このシリーズがもっていた「サーガ感」みたいなものが、少し薄れてしまった気がする。
 とはいえ、これだけ長期にわたるシリーズを通して、リベラルな価値観を貫徹させた点は敬服に値する。たとえば『EP-Ⅷ』を観ていると、反乱軍のメンバーが皆、いかにもリベラリストっぽい顔をしている。このあたりに、僕なんかはアメリカ映画界の底力みたいなものを感じてしまうのだ。
 うん、いいな、低予算映画。予算が乏しくて、あれもこれもできないから、見せたいものをハッキリさせて、工夫を重ねて観る人を楽しませる。そんな仕事がしたいなあ。

 


※写真は本文内容とはあんまり関係ありません。デ●ズニー的な画像は出せないので。